はてなに引っ越した。先立つ不幸をお許し下さい。
・斧節 https://onobushi.hatenablog.jp/
2022-04-05
2022-03-18
信仰とは観念操作
しかし人間は誰でも、自分の注意や願望に反して、何故こんな不幸不運が起るのか、と思い疑う。
それについて、転んだのはただの過失であり、不運は不運でしかない。その内に運も向くだろう、と言うのでは答にならぬし、人々も満足はしまい。
そうした原因については、訳がある。その訳を極め、それを正せば、それから抜け出すことが出来る、と言うことで初めて、人間の求めている救いがある。
宗教は、その訳を、即ち、眼に見えぬものの力、即ち、神、心霊の力に依るものであるとし、ジェイムズの言うが如くに、その力の秩序に順応することで、安心立命があり、救済がある、とする。
その秩序への順応、即ち信仰と言っても、それにはいろいろな段階があろうが、その初めは矢張り、一つの体験によって、その力の秩序の存在を感じ、知ると言うことに他ならない。
信仰と言うのは、或る意味であくまでも一つの観念操作だが、しかし、その基点となるものは、あくまでも一個の現実認識である。
それを欠く信仰は、砂の上にかけた梯子のように、上るにつれ、足元がぐらついて来る。
その、信仰の出発点、第一段階の基礎固めを、人間に与えることの出来ぬ宗教は、最も根源的な力を欠いていると言われるべきだ。
【『巷の神々』石原慎太郎(サンケイ新聞出版局、1967年/産経新聞出版、2013年『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』/PHP研究所、2017年)】
石原はウィリアム・ジェームズ著『宗教的経験の諸相』(原書は1901年/星文館、1914年/警醒社、1922年/誠信書房、1957年/岩波文庫、1969年)を軸に各新興宗教を読み解く。何の先入観もなく、直接自分の目と耳で判断する姿勢にはある種の勇ましさが窺える。
信仰を「一つの観念操作」と言ってのける鋭さが侮れない。認知科学的な視点すら垣間見える。
私が石原慎太郎を見直したのは「小林秀雄を諌めたエピソード」を知ったことが大きい。石原が『太陽の季節』で文壇デビューしたのは1955年(昭和30年)のこと。文士劇が1962年だったとすれば(文士劇)、小林(1902-1983年)が60歳で石原(1932-)は30歳である。小林は若い時分から遠慮を知らぬ男で、酔っ払って正宗白鳥(1879-1962年)に絡んだり、対談で柳田國男(1875-1962年)を泣かせたりしている。たぶん小林は若い石原に自分と同じ匂いを嗅ぎ取ったのだろう。



2022-03-16
正真正銘の数学の天才・ラマヌジャン
・『妻として母としての幸せ』藤原てい
・『流れる星は生きている』藤原てい
・『若き数学者のアメリカ』藤原正彦
・『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』藤原正彦
・正真正銘の数学の天才・ラマヌジャン
・『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル
・『祖国とは国語』藤原正彦
・『国家の品格』藤原正彦
藤原正彦は『若き数学者のアメリカ』で颯爽と登場し、口述を筆記した『国家の品格』で出版界を席巻した。ご母堂の藤原ていは聖教文化講演の常連で、実は夫君の新田次郎よりも作家デビューが早い。正彦も創価学会とは縁があり、著作を必ず池田に贈っている。
数学者の文章といえば真っ先に岡潔〈おか・きよし〉が浮かぶ。口の悪い小林秀雄と互角に渡り合った人物である(『人間の建設』)。岡の筆致は剣術の如き鋭さがあるが、藤原の文章は柔らかく薫りが高い。
戸田のことを「数学の天才」と池田は言ったが、真の天才とはラマヌジャンや岡潔のような人を指す。人類の脳は数学を行うには容量が足りないようで、天才といわれる人物は夭折したり廃人になったりしている。過度の集中力が必要なためドラッグを常用する人物も珍しくない。


・『流れる星は生きている』藤原てい
・『若き数学者のアメリカ』藤原正彦
・『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』藤原正彦
・正真正銘の数学の天才・ラマヌジャン
・『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル
・『祖国とは国語』藤原正彦
・『国家の品格』藤原正彦
ラマヌジャンは「我々の100倍も頭がよい」という天才ではない。「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくとも、2年以内に誰かが発見したであろうと言われる。数学や自然科学における発見のほとんどすべてには、ある種の論理的必然、歴史的必然がある。だから「10年か20年もすれば誰かが発見する」のである。
【『数学者列伝 天才の栄光と挫折』藤原正彦〈ふじわら・まさひこ〉(新潮選書、2002年/文春文庫、2008年)】
藤原正彦は『若き数学者のアメリカ』で颯爽と登場し、口述を筆記した『国家の品格』で出版界を席巻した。ご母堂の藤原ていは聖教文化講演の常連で、実は夫君の新田次郎よりも作家デビューが早い。正彦も創価学会とは縁があり、著作を必ず池田に贈っている。
数学者の文章といえば真っ先に岡潔〈おか・きよし〉が浮かぶ。口の悪い小林秀雄と互角に渡り合った人物である(『人間の建設』)。岡の筆致は剣術の如き鋭さがあるが、藤原の文章は柔らかく薫りが高い。
戸田のことを「数学の天才」と池田は言ったが、真の天才とはラマヌジャンや岡潔のような人を指す。人類の脳は数学を行うには容量が足りないようで、天才といわれる人物は夭折したり廃人になったりしている。過度の集中力が必要なためドラッグを常用する人物も珍しくない。
2022-03-14
自由と不自由
私たちのほとんどは、安心したいのではないですか。なんてすばらしい人たちだ、なんて美しく見えるんだ、なんととてつもない智慧があるんだろう、と言われたいのではないですか。そうでなければ、名前の後に肩書きをつけたりしないでしょう。そのようなものはすべて、私たちに自信や自尊心を与えてくれます。私たちはみんな有名人になりたいのです。そして、何かに【なりたく】なったとたんに、もはや自由ではないのです。
ここを見てください。それが自由の問題を理解する本当の手掛かりだからです。政治家、権力、地位、権威というこの世界でも、徳高く、高尚に、聖人らしくなろうと切望するいわゆる精神世界でも、えらい人になりたくなったとたんに、もはや自由ではないのです。しかし、これらすべてのことの愚かしさを見て、そのために心が無垢であり、えらい人になりたいという欲望によって動かない人――そのような人は自由です。この単純さが理解できるなら、そのとてつもない美しさと深みも見えるでしょう。
というのも、試験はその目的のために、君に地位を与え、えらい人にするためにあるからです。肩書きと地位と知識は何かになることを励まします。君たちは、親や先生たちが、人生で何かに到達しなければならないよ、おじさんやおじいさんのように成功しなければならないよ、と言うのに気づいたことがないですか。あるいは君たちは何かの英雄の手本を模倣したり、大師や聖人のようになろうとします。それで、君たちは決して自由ではないのです。大師や聖人や教師や親戚の手本に倣(なら)うにしても、特定の伝統を守るにしても、それはすべて君たちのほうの、何かに【なろう】という要求を意味しています。そして、自由があるのは、この事実を本当に理解するときだけなのです。
【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】
不思議なほど「虚実」が見えてくる。くっきりと輪郭が浮かび上がる。ともすると「欲望を満たす」ことが自由であるとの風潮がある。100円ショップがこれほど社会に根を下ろしたのは、価格の安さもさることながら、不況下で賃金が停滞する中で「選択肢の広さ」を提供したところにある。ま、駄菓子屋の雑貨版と考えてよかろう。
政治家は総理大臣を目指し、官僚は事務次官を望む。俳優は主役を欲し、タレントは冠番組を希(こいねが)う。
話は変わるが100%といわれるプラシーボ効果がある。「高価な薬」は必ず効くのだ。たとえそれが偽薬であったとしても、だ。情報は脳を束縛する。あらゆる薬には一定のプラシーボ効果が認められるが、我々の脳は薬効よりも金銭的な価値を重んじることが明らかである。
資本主義経済は人々に富の獲得競争を強いる。地位に付随するのは収入である。そして権力は他人を顎(あご)で動かし、額(ぬか)づかせる。他人から頭を下げられると喜ぶ習性はたぶん群れを形成した時代からあったことだろう。
クリシュナムルティが指摘するのは欲望の危うさであり、彼は驚くべきことに努力や理想まで否定している。何かになろうとする時、現在の自分は卑小な存在と化す。なれない=不幸、なる=幸福という単純な図式が人生の道幅を狭める。他人を見つめる眼差しも成功を基準としたものにならざるを得ない。
妙の三義とは「開」「具足・円満」「蘇生」である。これを自由の定義と考えてもいいのではないか。
2022-03-13
2022-03-10
虚実
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・虚実
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
孟嘗君〈もうしょうくん〉=田文は戦国四君の一人。宮城谷作品の中で最も血湧き肉躍る作品で、『楽毅』(がっき)とセットで読むのが望ましい。私は二度読んでいるが飽きることがなかった。
虚とは地位・名誉・財産である。自分が欲している間は、それらを持つ人に頭が上がらない。尊敬の方向性が狂う。人間が抱く欲望は価値観をも規定してしまうのだ。
勲章・名誉称号の類いもまた虚である。「だから凄い」と言うのは社会の奴隷になっている証である。ブッダや日蓮がそんなものを望んだことは一度としてない。
真に偉大な人物は全てを失っても輝きを失うことはない。たとえ病んで斃(たお)れたとしても偉大である。






・自由と不自由
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・虚実
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
田文(でんぶん)は夏候章(かこうしょう)に会い、
「なにが人を狂わせるのだろう」
と、謎をかけるようなことをいった。
夏候章という読書ずきの少年は、すかさず、
「虚(きょ)です」
と、こたえた。謎にたいして謎でこたえたようなものである。
田文は夏候章をみつめた。説明を待つ表情である。
「虚に実(じつ)はないのに、実をそこにみようとするから、狂うのです」
【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)】
孟嘗君〈もうしょうくん〉=田文は戦国四君の一人。宮城谷作品の中で最も血湧き肉躍る作品で、『楽毅』(がっき)とセットで読むのが望ましい。私は二度読んでいるが飽きることがなかった。
虚とは地位・名誉・財産である。自分が欲している間は、それらを持つ人に頭が上がらない。尊敬の方向性が狂う。人間が抱く欲望は価値観をも規定してしまうのだ。
勲章・名誉称号の類いもまた虚である。「だから凄い」と言うのは社会の奴隷になっている証である。ブッダや日蓮がそんなものを望んだことは一度としてない。
真に偉大な人物は全てを失っても輝きを失うことはない。たとえ病んで斃(たお)れたとしても偉大である。
・自由と不自由
2022-03-09
日本仏教に与えた道家の影響
今の官制の中に、典薬寮の職員として呪禁師(じゅごんし)、呪禁博士などがあったが、僧や民間人の中でも、書符や薬を調合して病人に接する者、山林に隠れ住み、道術、呪術、幻術に熱心だった者も多かったことを窺わせる。
しかも仏法と偽ってまでそれを行う。この辺にすでに後世の山伏、行者の淵底、密教的萌芽や占術、山人の日本的民間信仰の台頭があったのではなかったか。抑圧されながらも仏教や神道と結びつき、巧みに融和しながら生きつづけ、独自な形態をも発展させていったのではなかろうか。
それほどに、こうした道術符呪の類は、一般民衆にとっても時の政権担当者にとっても魅惑的、吸引性を持つ存在だったと思われる。
「沙門にして擅に本寺を去り、山林に陰住し」て、人の依頼を受け、邪法を行う者が往々にしてある。これは絶対に許せない。「よろしく諸国の司部内を巡検し、あるところの山林の精舎、ならびに居住する」尼僧、僧侶を見つけたら早速報告すべし。見逃したり、怠ったりしてはならぬと、『類聚国史』の「仏道・僧尼雑制」では強く指示していた。
僧侶、尼僧にとって、単なる仏道帰依の修行より、こうした道術のほうが余程魅力があったのであろう。また一般民衆からも喜ばれ、経済的援助にもつながる点が多かったに違いない。
大衆への訴えかけ、信仰の厚さは、中国の黄巾賊、すなわち教匪の乱にも発展し、組織化や宗教集団が時の支配者に強い警戒心を与えていただけに、それだけ民衆の熱狂ぶり心酔ぶりも窺える。
【『日本の仙人たち 老荘神仙思想の世界』大星光史〈おおぼし・みつふみ〉(東京書籍、1991年)】
個人的なルールではあるが儒家(じゅか)・道家(どうか)と記し、儒教・道教とは書かない。発祥において宗教を目指したものではなかったからだ。その意味では初期仏教も「ブッダの教え」とした方がいいように考えている。
道家の本を集中的に読んでいる。別に宗旨変えをしたわけではない。道家の革命思想に興味があったのだ。孔子の教えは主君に絶対服従するもので、武家社会とは親和性があった。江戸時代まで長く『論語』が学ばれたのは、その内容もさることながら簡潔な文体の秀抜さにあると私は考えている。
既に7~8冊読んだのだが、どうも駄目っぽい(笑)。シナ(※蔑称ではなく地理的・文化的な呼称)的実利に傾きすぎていて、シナ版密教あるいはシナ版ヒンドゥー教といった印象が強い。
もう一つは日本仏教に与えた道家の影響を知りたかった。例えば「魂魄」という言葉は道家由来のものだ。そして道家といえば「気」である。宗教的身体性でいえばヨーガ(瑜伽〈ゆが〉)と気功が双璧を成す。
日蓮が通力(つうりき)を否定したのはトリッキーな方向を戒めるためか。では、曼荼羅や御秘符はどうなのか? マントラ口唱は呪法ではないのか? 因みに「呪」の字には「祝」の義もある。「祝」の字が誕生するのはずっと後のこと。結局のところ日蓮もまた大衆性に配慮したのだろう。日蓮は信を説いて悟りから離れた。
大衆が求めるのはミラクル(miracle/奇蹟)である。起承転結の転でミラクルが起こればヒット間違いなしである。小説家やシナリオライターはこの一点で腐心する。日蓮は「妙」と説いたが、これは「生の不思議」を見つめたもので、ミラクルよりもwonder(ワンダー)を志向している。
諫言の人・晏嬰〈あんえい〉
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・政情不安
・諫言の人・晏嬰〈あんえい〉
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
蔡朝〈さいちょう〉は慎重な言葉づかいで「このたび、御尊父は将軍になられた。そこで、ご嫡男であるあなたは、留守中はどんなことに心がけなさるのか」と問うた。この時、晏嬰〈あんえい〉は10歳である。
言葉の正しさが鞭となって私の背中を打ち、涙まで催させる。配下の二人は父親の心情を勝手に慮(おもんぱか)って子を試している。だが少年晏嬰〈あんえい〉にそうした技巧の陰は微塵もない。
晏嬰は生涯にわたって小さな体から大音声を放って君主を諌め続けた。管仲〈かんちゅう〉と並び称される名宰相(さいしょう)である。孔子や子産〈しさん〉、伍子胥〈ごししょ〉と同時代の人物。父・晏弱〈あんじゃく〉は武勇に秀でた大将軍であった。
本書の白眉は「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の件(くだり)である。「恐れながら申し上げます」との溌剌(はつらつ)たる声が今尚、私の心に余韻を残している。諫言は容(い)れられなければ死罪になることも珍しくはなかった。つまり命を懸けた行為であった。
幼い晏嬰の言葉は賢(さか)しらが過ぎるように思えるが、諸子百家の誕生を思えば言葉と脳細胞が初期宇宙の如くインフレーションを起こした可能性があるように感じる。




・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・政情不安
・諫言の人・晏嬰〈あんえい〉
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
蔡朝〈さいちょう〉は慎重な言葉づかいで「このたび、御尊父は将軍になられた。そこで、ご嫡男であるあなたは、留守中はどんなことに心がけなさるのか」と問うた。この時、晏嬰〈あんえい〉は10歳である。
「君公のご安寧を念じております」
晏嬰〈あんえい〉の声の大きさに、蔡朝〈さいちょう〉はおどろいた。蔡朝ばかりではない、南郭偃〈なんかくえん〉も目をみはった。
「君公の……、ふむ、それから」
父が戦場にいるときでも、まず君主のぶじを祈るという晏嬰〈あんえい〉の心の姿勢に感心した。蔡朝は、かれにしては優しい声を出した。
「父上のご安寧を念じております」
と、晏嬰〈あんえい〉はいった。
「嬰〈えい〉どの、それは、ご武運ということでは、ありませんか」
と、割り込むように南郭偃〈なんかくえん〉がいった。その声にするどさがある。童子に語りかける口調ではない。
晏嬰〈あんえい〉ははっきりと首をふった。
「いいえ、次に斉(せい)の民、すなわち兵の安寧を念じます。莱(らい)の民も安寧でいてもらいたいと思います」
「ほほう、すると、ご尊父の征伐は、なりたたない。なりたたなければ、なんのための将軍か、ということになりませんか」
蔡朝〈さいちょう〉はこの童子との問答に気を入れた。
晏嬰はつぶらな瞳(ひとみ)を蔡朝にむけたまま、小さな口から大きな声を放った。
「将軍はもともと君公にかわって蒙昧(もうまい)の民を正す者です。正すということは殺すこととおなじではありません。正さずして殺せば、遺恨が生じます。遺恨のある民を十たび伐(う)てば、遺恨は十倍します。そうではなく、将軍は君公の徳を奉じ、君公の徳をもって蒙(くら)さを照らせば、おのずとその地は平らぎ、民は心服いたしましょう。真に征すということは、その字の通り、行って正すということです。どうして武が要りましょうか」
蔡朝は目を細めた。
【『晏子』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)以下同】
言葉の正しさが鞭となって私の背中を打ち、涙まで催させる。配下の二人は父親の心情を勝手に慮(おもんぱか)って子を試している。だが少年晏嬰〈あんえい〉にそうした技巧の陰は微塵もない。
晏嬰は生涯にわたって小さな体から大音声を放って君主を諌め続けた。管仲〈かんちゅう〉と並び称される名宰相(さいしょう)である。孔子や子産〈しさん〉、伍子胥〈ごししょ〉と同時代の人物。父・晏弱〈あんじゃく〉は武勇に秀でた大将軍であった。
本書の白眉は「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の件(くだり)である。「恐れながら申し上げます」との溌剌(はつらつ)たる声が今尚、私の心に余韻を残している。諫言は容(い)れられなければ死罪になることも珍しくはなかった。つまり命を懸けた行為であった。
幼い晏嬰の言葉は賢(さか)しらが過ぎるように思えるが、諸子百家の誕生を思えば言葉と脳細胞が初期宇宙の如くインフレーションを起こした可能性があるように感じる。
2022-03-08
陰徳
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・陰徳
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
文公は介推〈かいすい〉の陰徳を見逃し、悔いを千載に残す。静かに去っていった介推を、後世の人々は文公以上に称賛した。
陽報を目指すのは陰徳ではあるまい。陰悪に染まった人は幸福の感度が狂って寂しい終局を迎える。老いはその人がもつ欲望を純化し、結局満たされることがない事実を思い知らせる。最後は生にしがみつき、苦悶の底に打ち沈むのは間違いない。陰徳の人はその場その場で生き方が完結している。それゆえに後悔することがない。

・『重耳』宮城谷昌光
・陰徳
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
「籍沙〈せきさ〉さん、人にわかる悪や善については、わたしにもわかるような気がしますが、人にわからない悪や善については、どうですか」
「ふむ、さすがに介推は深みのある質問をするな。人にわからぬ悪を陰悪(いんあく)といい、人にわからぬ善を陰徳という」
【『介子推』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)】
文公は介推〈かいすい〉の陰徳を見逃し、悔いを千載に残す。静かに去っていった介推を、後世の人々は文公以上に称賛した。
陽報を目指すのは陰徳ではあるまい。陰悪に染まった人は幸福の感度が狂って寂しい終局を迎える。老いはその人がもつ欲望を純化し、結局満たされることがない事実を思い知らせる。最後は生にしがみつき、苦悶の底に打ち沈むのは間違いない。陰徳の人はその場その場で生き方が完結している。それゆえに後悔することがない。
稽首妙法蓮華経
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・稽首妙法蓮華経
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
稽首の意味を初めて知った。
同抄を偽作とする向きも多い。「そもそも最蓮房なんて人物は本当にいたのか?」という指摘まである。
・PDF:偽撰遺文の類型的分類の試み(二) 『立証観抄』を中心とする最蓮房宛偽撰遺文群
・PDF:最蓮房あて御書の一考察:中條暁秀
・PDF:日蓮聖人の成仏論 本覚思想との関係において:三浦和浩
「重耳」(ちょうじ)とは晋(しん)の文公の諱(いみな)である。重耳の19年にも及ぶ放浪が宮城谷自身の雌伏の時と重なる。直木賞に輝いた『夏姫春秋』(1991年)で読書界は騒然となり、『重耳』でひれ伏したといっても過言ではない。



・稽首妙法蓮華経
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
稽首(けいしゅ)も稽顙(けいそう)もひたいを地につける礼である。
【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)】
稽首の意味を初めて知った。
天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云
【「当体義抄」】
同抄を偽作とする向きも多い。「そもそも最蓮房なんて人物は本当にいたのか?」という指摘まである。
・PDF:偽撰遺文の類型的分類の試み(二) 『立証観抄』を中心とする最蓮房宛偽撰遺文群
・PDF:最蓮房あて御書の一考察:中條暁秀
・PDF:日蓮聖人の成仏論 本覚思想との関係において:三浦和浩
「重耳」(ちょうじ)とは晋(しん)の文公の諱(いみな)である。重耳の19年にも及ぶ放浪が宮城谷自身の雌伏の時と重なる。直木賞に輝いた『夏姫春秋』(1991年)で読書界は騒然となり、『重耳』でひれ伏したといっても過言ではない。
誰とでも仲良くしてはいけない
・活字文化の担い手「新聞配達員」を救え!
・『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
・誰とでも仲良くしてはいけない
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
血で書かれた一書である。冒頭の独白に衝撃を受けた。安冨は私と同い年である。東大教授として成功した人生を歩んでいるように見えながら、長らく細君からのモラハラに苦しんだ。そして離婚を決意した途端に幼少期から母親に虐待されてきた事実に気づく。いつしか自殺念慮に取り憑かれ、必死の思いで細君と別れ、母親とも訣別した。
「そういえば、自分も親から愛されてこなかったな」というのが率直な感想だった。そんなことは考えたこともなかったし、愛されたいという願望があったわけでもなかった。ただ、同い年の中年男性の赤裸々な告白にたじろぎ、心の中で蓋(ふた)をしていた感情が頭をもたげたのだ。兄弟が多いせいで一人ひとりにかまけている時間がなかったのだろう、ぐらいにずっと思ってきた。しかし違った。私は親から褒められたことがないのだ。ただの一度もないような気がする。
ところが、である。私は小学校や学会組織では結構褒められた。明らかに他の子供たちよりも褒められていた。3年生くらいになると体も声も大きくなっていた。父親からしょっちゅう殴られていたこともあって喧嘩は強かった。「面白い」と言われることに無上の喜びを感じていた。小学4年から6年まではずっと学級代表をやっていた。中学では札幌優勝チームの4番打者を務めた。
こうした内外の極端な評価の違いが私の歪んだ性格を形成した(笑)。過剰な情熱と冷酷が同居しているのだ。声がでかいせいで周囲からは熱血漢と思われているが、実は常に醒(さ)めている。「我を忘れた」ことがない。ま、AB型のせいかもしれんな。
私が子供と直ぐに仲良くなれるのは、自分が子供だった時の気持ちをよく覚えているためだろう。あるいは、ただ単に子供っぽいだけか。性格が3歳くらいから変わってないのよ。58歳になった今でも見知らぬ子供と目が合うと変顔(へんがお)をする癖が抜けない。
「誰とでも仲良くしてはいけない」とは、悪人を見抜く眼を持つことでもある。創価学会員は善意の人が多いので悪い幹部に騙されやすい。何度も言うようで恐縮だが、喧嘩巧者でないと学会組織で生きてゆくことは難しい。人生の資源で最も大切なのは「時間」である。一生成仏とは人生という時間の主体性を説いているのだ。他人の意のままに動く人は一生が三生であっても成仏はできまい。

・『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
・誰とでも仲良くしてはいけない
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
友だちを作るうえで、何よりも大切な原則があります。それは、
【命題2】☆誰とでも仲良くしてはいけない
ということです。これが友だちづくりの大原則です。誰とでも仲良くしようとすれば、友だちを作るのはほぼ絶望的です。なぜかというと、世の中には、押し付けをしてくる人がたくさんいるからです。誰とでも仲良くするということは、こういった押し付けをしてくる人とも、ちゃんと付き合うことを意味します。
自分を人間として尊重してくれる人と、自分に押し付けをしてくる人とを、分け隔てせず、どちらも同じように仲良くしようとすると、何が起きるでしょうか。押し付けをしてくる人は、あなたを利用しようと思っているのですから、
「友だちじゃないか」
「きみはこういう人だろ」
「きみは○○と言ったじゃないか」
といった手段によって、あなたに罪悪感を感じさせて、自分に都合のよいことをさせます。そうすると一歩一歩、あなたの時間や能力や友人関係やお金や容姿を(ママ)など、あなたの生きるための資源を勝手に使われることになります。
それに対してあなたを尊重する人は、そういうことをしません。あなたを尊重する真の友だちたりうる人は、あなたが嫌だと思っていることをさせたりはしません。
【『生きる技法』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(青灯社、2011年)】
血で書かれた一書である。冒頭の独白に衝撃を受けた。安冨は私と同い年である。東大教授として成功した人生を歩んでいるように見えながら、長らく細君からのモラハラに苦しんだ。そして離婚を決意した途端に幼少期から母親に虐待されてきた事実に気づく。いつしか自殺念慮に取り憑かれ、必死の思いで細君と別れ、母親とも訣別した。
「そういえば、自分も親から愛されてこなかったな」というのが率直な感想だった。そんなことは考えたこともなかったし、愛されたいという願望があったわけでもなかった。ただ、同い年の中年男性の赤裸々な告白にたじろぎ、心の中で蓋(ふた)をしていた感情が頭をもたげたのだ。兄弟が多いせいで一人ひとりにかまけている時間がなかったのだろう、ぐらいにずっと思ってきた。しかし違った。私は親から褒められたことがないのだ。ただの一度もないような気がする。
ところが、である。私は小学校や学会組織では結構褒められた。明らかに他の子供たちよりも褒められていた。3年生くらいになると体も声も大きくなっていた。父親からしょっちゅう殴られていたこともあって喧嘩は強かった。「面白い」と言われることに無上の喜びを感じていた。小学4年から6年まではずっと学級代表をやっていた。中学では札幌優勝チームの4番打者を務めた。
こうした内外の極端な評価の違いが私の歪んだ性格を形成した(笑)。過剰な情熱と冷酷が同居しているのだ。声がでかいせいで周囲からは熱血漢と思われているが、実は常に醒(さ)めている。「我を忘れた」ことがない。ま、AB型のせいかもしれんな。
私が子供と直ぐに仲良くなれるのは、自分が子供だった時の気持ちをよく覚えているためだろう。あるいは、ただ単に子供っぽいだけか。性格が3歳くらいから変わってないのよ。58歳になった今でも見知らぬ子供と目が合うと変顔(へんがお)をする癖が抜けない。
「誰とでも仲良くしてはいけない」とは、悪人を見抜く眼を持つことでもある。創価学会員は善意の人が多いので悪い幹部に騙されやすい。何度も言うようで恐縮だが、喧嘩巧者でないと学会組織で生きてゆくことは難しい。人生の資源で最も大切なのは「時間」である。一生成仏とは人生という時間の主体性を説いているのだ。他人の意のままに動く人は一生が三生であっても成仏はできまい。
2022-03-07
東大話法規則一覧
・活字文化の担い手「新聞配達員」を救え!
・魂の脱植民地化
・東大話法規則一覧
・『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
東大話法とはエリートによる責任回避を目的とした詭弁である。東大即官僚と考えてもよかろう。
その遠因はGHQによる公職追放にあったと私は考える。保守派は日本社会から一掃された。同様の方針でプレスコードも行われ、朝日新聞は1945年9月15日付と17日付のたった2日間の業務停止命令を受けて、それ以降左旋回をするのである。
日本の中枢には戦時中からソ連のスパイがいたが、勝ったアメリカではソ連のスパイが野放し状態であった。GHQの占領政策に深く関与したハーバート・ノーマンもコミンテルンのスパイであった。獄にあった共産主義者を解放し、日教組を設立したのもGHQである。当初はニューディーラーの巣窟であった民政局が占領政策を主導したが、後に保守派の参謀第2部が巻き返す。こうした混乱がそのまま戦後日本史に反映されることとなる。
東大話法とは敗戦文化であると言ってよい。もはや切腹する官僚(侍)は存在しないし、特攻隊となって散華するエリートもいない。

・魂の脱植民地化
・東大話法規則一覧
・『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
東大話法規則一覧
1.自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
2.自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
3.都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
4.都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
5.どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
6.自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
7.その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
8.自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
9.「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
10.スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
11.相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
12.自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
13.自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
14.羊頭狗肉。
15.わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
16.わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
17.ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
18.ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
19.全体のバランスを常に考えて発言せよ。
20.「もし◯◯◯であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。
【『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(明石書店、2012年)】
東大話法とはエリートによる責任回避を目的とした詭弁である。東大即官僚と考えてもよかろう。
その遠因はGHQによる公職追放にあったと私は考える。保守派は日本社会から一掃された。同様の方針でプレスコードも行われ、朝日新聞は1945年9月15日付と17日付のたった2日間の業務停止命令を受けて、それ以降左旋回をするのである。
日本の中枢には戦時中からソ連のスパイがいたが、勝ったアメリカではソ連のスパイが野放し状態であった。GHQの占領政策に深く関与したハーバート・ノーマンもコミンテルンのスパイであった。獄にあった共産主義者を解放し、日教組を設立したのもGHQである。当初はニューディーラーの巣窟であった民政局が占領政策を主導したが、後に保守派の参謀第2部が巻き返す。こうした混乱がそのまま戦後日本史に反映されることとなる。
東大話法とは敗戦文化であると言ってよい。もはや切腹する官僚(侍)は存在しないし、特攻隊となって散華するエリートもいない。
2022-03-05
魂の脱植民地化
・活字文化の担い手「新聞配達員」を救え!
・魂の脱植民地化
・東大話法規則一覧
・『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
「創価学会から離れた」と書いておきながら、延々と創価学会に対する恨みを綴る人々を時折目にする。それだけ傷が深かったのだろう。「自分自身の地平ではなく、他人の地平を生き」ていたことに気づき、懊悩(おうのう)・煩悶(はんもん)しているのかもしれない。私は心の底から「馬鹿だなあ」と思う(すまん)。「組織を恨む前に、てめえの判断力のなさを恨めってえんだ」と本気で思う。
私は少年部も含めれば40年近く活動してきたが一片の悔いもない。私は自分の意志で活動してきたのであり、誰かから強制されたことは一度もない。生粋(きっすい)の学会っ子ってのはそんなもんだ。
私がここにつらつらと駄文を認(したた)めているのは飽くまでも親切心からであって、自分なりの創価学会に対する恩返しでもある。学会で頑張りたい人は頑張ればいいし、やめたい人はやめればいい。一度しかない自分の人生なんだから自分で責任をもって決めることが肝心だ。
安冨歩は一流の経済学者である。非線形科学の研究も10年行っていて、エントロピーに関する造詣も深い。著書は論語から親鸞にまで及ぶ。それほどの知性の持ち主でありながら「反安倍」を叫び、左翼の本性を露呈している。「魂の脱植民地化」というキーワードも左翼丸出しだ。その後、叢書(そうしょ)を6冊ほど編んでいるが出来は悪い。

・魂の脱植民地化
・東大話法規則一覧
・『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
こうして私は「魂の脱植民地化」という問題を考えるようになりました。魂が植民地化されていると人は、自分自身の地平ではなく、他人の地平を生きるようになります。自分自身の感じる幸福ではなく、他人が「幸福」だと考えることを追求するようになるのです。このような生き方に追い込まれた人間は、水分子とさしたる違いはなくなり、条件さえ揃えば簡単に暴走します。その状態からの離脱が「魂の脱植民地化」です。
【『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(明石書店、2012年)】
「創価学会から離れた」と書いておきながら、延々と創価学会に対する恨みを綴る人々を時折目にする。それだけ傷が深かったのだろう。「自分自身の地平ではなく、他人の地平を生き」ていたことに気づき、懊悩(おうのう)・煩悶(はんもん)しているのかもしれない。私は心の底から「馬鹿だなあ」と思う(すまん)。「組織を恨む前に、てめえの判断力のなさを恨めってえんだ」と本気で思う。
私は少年部も含めれば40年近く活動してきたが一片の悔いもない。私は自分の意志で活動してきたのであり、誰かから強制されたことは一度もない。生粋(きっすい)の学会っ子ってのはそんなもんだ。
私がここにつらつらと駄文を認(したた)めているのは飽くまでも親切心からであって、自分なりの創価学会に対する恩返しでもある。学会で頑張りたい人は頑張ればいいし、やめたい人はやめればいい。一度しかない自分の人生なんだから自分で責任をもって決めることが肝心だ。
安冨歩は一流の経済学者である。非線形科学の研究も10年行っていて、エントロピーに関する造詣も深い。著書は論語から親鸞にまで及ぶ。それほどの知性の持ち主でありながら「反安倍」を叫び、左翼の本性を露呈している。「魂の脱植民地化」というキーワードも左翼丸出しだ。その後、叢書(そうしょ)を6冊ほど編んでいるが出来は悪い。
2022-03-03
武士の情け
・『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
・『大空のサムライ 死闘の果てに悔いなし』坂井三郎
・武士の情け
・『今日われ生きてあり』神坂次郎
・『月光の夏』毛利恒之
・『神風』ベルナール・ミロー
孟子曰く「惻隠の心は仁の端なり」と。私は藤原正彦のエッセイで「惻隠の情」という言葉を知った。北海道では聞いたことがなかった。しかしながら腑に落ちた。まだ私の世代でも幼少期から同情心は珍しいものではなかった。「可哀想だろ!」という声はそこここで聞かれた。いじめが社会問題化するのは、まだ後のことだ。
坂井からの申し出でティベッツ大佐とのセッティングが行われた。坂井は武士の末裔(まつえい)であり、娘の道子も武家の教育を受けた。坂井の言葉は武士の情けそのものである。理を尽くす言葉の端々から惻隠の情がほとばしっている。高度経済成長下でゲバ棒を振るいながら平和を叫んだ学生とは大違いだ。
家庭教育も戦闘機乗りらしく独創的で目の付け所が違う。

・『大空のサムライ 死闘の果てに悔いなし』坂井三郎
・武士の情け
・『今日われ生きてあり』神坂次郎
・『月光の夏』毛利恒之
・『神風』ベルナール・ミロー
正式に紹介がある前の(ティベッツ)大佐はひどく緊張したご様子でした。父に何か別の意図があるのではないかと危惧されていたのかもしれません。
挨拶の後、父は言いました。
「あなたがどういうミッションを実行したかは、知っています。私もたくさんのアメリカ機を落としました。私は軍人ですから、軍人としてのあなたを批判するつもりは全くありませんし、できません」
父はさらに続けました。
戦争の一つ一つの戦局で、どこにどういう攻撃をしかけるかは、前線で実際の戦闘に臨む軍人が決めることではありません。原爆投下もあなたが決定したものでなく、あなたは上部からの命令を遂行しただけの立場です。被害が甚大だったからといって、たまたま遂行役として任命されたあなたを非難するというのは、はなはだ筋違いの話だと、私は思っています。一方で、原爆投下によって戦争を終結させ、さらなる被害を食い止めたとして、あなたを大局的に英雄視するのもやはり筋違いです。
たとえ、ただの遂行役であっても、これほどの被害になる攻撃は命令を破ってでも回避すべきだった……そんな論調が日本にはありますが、どんな被害をもたらすかは原爆が実際に投下され、爆発するまで分からなかったことです。全く最新の兵器であり、誰もその威力を本当には知らなかったのですから。アメリカ大統領やこれを考案した物理学者でさえ、実際にどれほどを把握していたかは分かりません。
また、被害が過去に前例のない、あまりにも恐ろしいものだったということも繰り返し話題にされますが、それならば小さい爆弾で被害者数が少なかったら赦(ゆる)されるのかという話にもなりかねません。もちろんそんなことはあり得ません。第一、どんな小さなミッションでも、敵国を攻撃し、建物施設だけでなく軍人にも民間人にも被害を与える、それは戦争の本質です。
ただあなたの場合、与えられた原爆投下という任務が史上初であったことから、それは極めて重要な時事として人類の歴史に刻まれるものとなってしまいました。
多くの日本人をはじめ、核爆弾禁止を願う世界中の人々は、これを批判するでしょう。しかし、それは核の軍事利用それ自体を批判しているのであって、決してあなたを非難しているわけではないと私は解釈しています。
むしろ、あなたの率直なご意見を聞きたいと願っている人たちも多いのではないでしょうか。図らずも史上初の原爆を投下する立場になったあなたが今どう思っていらっしゃるのか、それを知りたいのが、正直なところではないでしょうか。
私でも、あなたと同じ立場となって上官から「この新型爆弾をアメリカに落としてこい」と命令されたなら、躊躇(ちゅうちょ)なく同じようにしたことでしょう。それが軍人の仕事ですから。そして、あなたと同じように強いショックを受けたことでしょう――。(中略)
聞いている大佐の顔はだんだん紅潮してきて、うっすら涙ぐんでもおいででした。同じようなことを遠回しに伝える人はいても、父のように目の前で大佐自身の目を見て、はっきりと言う人はいなかったのでしょう。
後にティベッツ大佐は、「ねぎらいの言葉をいただいて、非常に嬉しかった」という言葉を寄せてくださいました。この時のことと関係しているかどうかは分かりませんが、後年、ティベッツ大佐は、もう一つの被爆地・長崎を訪問されたと聞いています。
【『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子(産経新聞出版、2012年/光人社NF文庫、2019年)】
孟子曰く「惻隠の心は仁の端なり」と。私は藤原正彦のエッセイで「惻隠の情」という言葉を知った。北海道では聞いたことがなかった。しかしながら腑に落ちた。まだ私の世代でも幼少期から同情心は珍しいものではなかった。「可哀想だろ!」という声はそこここで聞かれた。いじめが社会問題化するのは、まだ後のことだ。
坂井からの申し出でティベッツ大佐とのセッティングが行われた。坂井は武士の末裔(まつえい)であり、娘の道子も武家の教育を受けた。坂井の言葉は武士の情けそのものである。理を尽くす言葉の端々から惻隠の情がほとばしっている。高度経済成長下でゲバ棒を振るいながら平和を叫んだ学生とは大違いだ。
家庭教育も戦闘機乗りらしく独創的で目の付け所が違う。
2022-03-02
自由意思と予定説
・『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・自由意思と予定説
「まとまりを保っている」とはゲシュタルト心理学か。一般的にはゲシュタルト崩壊の方がよく知られている。
西洋で無意識を発見したのはフロイト(1856-1939年)だ。唯識に後(おく)れること1500年である。西洋では一切を神の被造物と考える前提があるため聖書に書かれていないことが判るたびに一々腰を抜かす。
で、意識である。なぜ西洋人がかくも大仰に意識を取り上げるのかというと、それは自由意思の問題に行き当たるためだ。「科学的な見地としては、自由意思はおそらく“ない”だろうといわれています」(池谷裕二)。一神教としては胸を撫で下ろすような指摘である。キリスト教徒にとっては「予定説」と絡んでくるのだ。
西洋が侮れないのは教条(ドグマ)という圧力をバネに論理を飛躍させることができる思考能力にある。日本人はそこまで考え抜くことができない。なぜなら我々が勝負するのは俳句や短歌の世界であるからだ(笑)。理窟よりも風流を好むのが日本の流儀であり、弱点でもある。

・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・自由意思と予定説
私たちの行動は、随伴的な現象にすぎない。シャドワース・ホジソンが言うように、意識が持つ感情は、色そのものによってではなく、色のついた無数の石によってまとまりを保っている、モザイクの表面の色にすぎない。あるいは、トマス・ヘンリー・ハクスリーがある有名な論文で主張したように、「我々は意識を持つ自動人形である」。汽笛が列車の機械装置や行く先を変えられないのと同じように、意識も体の動きの仕組みや行動を変えられない。どうわめいたところで、列車の行き先はとうの昔に線路によって決められているのだ。意識とは、ハープから流れてくる弦をつまびくことのできぬメロディ、川面から勢いよく飛び散るものの、流れを変えられぬ泡、歩行者の歩みに忠実についてはいくけれども、道筋に何ら影響は与えられぬ影だ。
【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2005年/原書、1976年)】
「まとまりを保っている」とはゲシュタルト心理学か。一般的にはゲシュタルト崩壊の方がよく知られている。
西洋で無意識を発見したのはフロイト(1856-1939年)だ。唯識に後(おく)れること1500年である。西洋では一切を神の被造物と考える前提があるため聖書に書かれていないことが判るたびに一々腰を抜かす。
で、意識である。なぜ西洋人がかくも大仰に意識を取り上げるのかというと、それは自由意思の問題に行き当たるためだ。「科学的な見地としては、自由意思はおそらく“ない”だろうといわれています」(池谷裕二)。一神教としては胸を撫で下ろすような指摘である。キリスト教徒にとっては「予定説」と絡んでくるのだ。
西洋が侮れないのは教条(ドグマ)という圧力をバネに論理を飛躍させることができる思考能力にある。日本人はそこまで考え抜くことができない。なぜなら我々が勝負するのは俳句や短歌の世界であるからだ(笑)。理窟よりも風流を好むのが日本の流儀であり、弱点でもある。
戸田先生の清らかなお題目
初めて聞いた時は吃驚した。同時中継(電話回線)だったか衛星中継だったかは記憶が定かではない。私は勤行・唱題の姿勢と発声に関してかなりうるさい。全く遠慮も躊躇もなく後輩に指摘しまくった。声が「その人のその場の生命の反響です」との指導を肝に銘じていた。戸田の声は晴朗で作為がない。それに対して池田の発音は不明瞭で白馬の脚がもつれているような歯切れの悪さだ。結婚したばかりの香峯子夫人が勤行をしない池田の姿に驚いたというのは有名なエピソードだ。
2022-02-25
意識のハード・プロブレム
・『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
・意識とは
・意識の前に脳は動いている
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
冒頭の一文である。これを「意識のハード・プロブレム」という。1990年代からパーソナルコンピュータの実用化で科学は長足の進歩を遂げた。宗教はというといまだにテキストを入力しているだけだ。科学は観察し測定し、仮説を立て、モデルを構築し、法則を見出す。研究は公開され、多くの科学者が検証し、更に発展させる。量子力学の歴史を少し知れば、数多くの科学者が偉大なオーケストラのようにハーモニーを奏でていることがわかる。そこにあるのは紛(まが)うことなき人類の叡智である。一方の宗教はまず協力することがない。彼らの流儀は反目である。しかも一方的に「法則」を騙(かた)りながらその実、法律レベルの決め事を教条と仰ぐだけだ。宗教よ、汝の名はドグマなり。
「認識していることを認識する行為」をメタ認知という。「メタ」には、「高次の」「超」という意味があるが、例えば自分自身を天井から見下ろすような感覚である。高次とは抽象性である。視点をグーグルアースのようにどんどん高くしてゆくことを瞑想と名づける。
十界とは瞬間瞬間の生命の実相を説いたものだが、仏教徒でこれをきちんと理解している者を見たことがない。創価学会だと戸田城聖だけだろう。水滸会の読書会で片鱗が窺える。
例えば職場で上司から叱責を受けたとしよう。「なんて嫌な上司なのだろう」「早く終わってくれないかな」「どうせ、私は駄目な人間なんだ」「俺なりに頑張ったことは一切評価しないわけだな」「お前の秘密をバラしてやろうか?」「今度闇討ちしてやろうかな」などの反応が予想できる。実際は、上司もまた上の管理職から怒鳴られていた、上司は家庭内に様々な問題を抱えてストレスまみれになっていた、上司の脳には腫瘍ができていて感情をコントロールすることが困難になりつつあった、上司は起死回生を賭けた投資で損が膨らんでいた、などといったケースが想像し得る。
一つの事実から様々な物語が生まれる。脳は時間の矢に基づいて因果を紡(つむ)ぐ。この妄想機能こそが人類の業と言ってよい。
「上司は今、修羅界である」「自分は三悪道をグルグル回っている」と見なすのが十界論である。映画や小説の登場人物を見つめるのと全く同じ視点である。おわかりだろうか? 妄想とは「自我を巡る物語」なのだ。
では、エベレストの高さ(8848m)から自分を見下ろせばどうなるのか? ま、航空機の高度と変わらない(1万m)。「私」は点ほどの大きさにもならない。その高みからすれば人類すら点以下の存在である。すなわち「私」は消える。「私」が消えれば妄想が生まれる余地はない。

・意識とは
・意識の前に脳は動いている
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
意識は人間にとって最も身近であると同時に、不可解なまでに捕らえどころのない存在でもある。意識について他人と語り合うことはできるが、意識はその根本において、あくまで主観的であり、本人だけが内側からしか経験できない。意識とは、経験していることを経験する行為、認識していることを認識する行為、感知していることを感知する行為だ。だが、経験を経験しているのは、いったい何なのか。経験することの経験を【外から】観察し、「意識は実際にはどれだけ観察しているのだろう」と問うたらどうなるのか。
近年、意識という現象の科学的研究を通して明らかになってきたのだが、人間は意識的に知覚するよりもずっと多くを経験している。人は、意識が考えているよりもはるかに多くの影響を、周りの世界やお互いと及ぼし合っている。意識は自分が行動を制御していると感じているが、じつはそれは錯覚にすぎないのだ。西洋文化ではこれまで、人間生活の中で意識は多大な役割を担うと思われがちだったが、じつはその役割は、ずっと小さなものだった。(中略)
〈私〉の時代の幕切れは近い。
【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】
冒頭の一文である。これを「意識のハード・プロブレム」という。1990年代からパーソナルコンピュータの実用化で科学は長足の進歩を遂げた。宗教はというといまだにテキストを入力しているだけだ。科学は観察し測定し、仮説を立て、モデルを構築し、法則を見出す。研究は公開され、多くの科学者が検証し、更に発展させる。量子力学の歴史を少し知れば、数多くの科学者が偉大なオーケストラのようにハーモニーを奏でていることがわかる。そこにあるのは紛(まが)うことなき人類の叡智である。一方の宗教はまず協力することがない。彼らの流儀は反目である。しかも一方的に「法則」を騙(かた)りながらその実、法律レベルの決め事を教条と仰ぐだけだ。宗教よ、汝の名はドグマなり。
「認識していることを認識する行為」をメタ認知という。「メタ」には、「高次の」「超」という意味があるが、例えば自分自身を天井から見下ろすような感覚である。高次とは抽象性である。視点をグーグルアースのようにどんどん高くしてゆくことを瞑想と名づける。
十界とは瞬間瞬間の生命の実相を説いたものだが、仏教徒でこれをきちんと理解している者を見たことがない。創価学会だと戸田城聖だけだろう。水滸会の読書会で片鱗が窺える。
例えば職場で上司から叱責を受けたとしよう。「なんて嫌な上司なのだろう」「早く終わってくれないかな」「どうせ、私は駄目な人間なんだ」「俺なりに頑張ったことは一切評価しないわけだな」「お前の秘密をバラしてやろうか?」「今度闇討ちしてやろうかな」などの反応が予想できる。実際は、上司もまた上の管理職から怒鳴られていた、上司は家庭内に様々な問題を抱えてストレスまみれになっていた、上司の脳には腫瘍ができていて感情をコントロールすることが困難になりつつあった、上司は起死回生を賭けた投資で損が膨らんでいた、などといったケースが想像し得る。
一つの事実から様々な物語が生まれる。脳は時間の矢に基づいて因果を紡(つむ)ぐ。この妄想機能こそが人類の業と言ってよい。
「上司は今、修羅界である」「自分は三悪道をグルグル回っている」と見なすのが十界論である。映画や小説の登場人物を見つめるのと全く同じ視点である。おわかりだろうか? 妄想とは「自我を巡る物語」なのだ。
では、エベレストの高さ(8848m)から自分を見下ろせばどうなるのか? ま、航空機の高度と変わらない(1万m)。「私」は点ほどの大きさにもならない。その高みからすれば人類すら点以下の存在である。すなわち「私」は消える。「私」が消えれば妄想が生まれる余地はない。
2022-02-23
四十不惑と四十不或
・四十不惑と四十不或
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
整理すると孔子が生まれる500年前に「心」という文字はあったがまだまだ一般的ではなかった。そして『論語』が編まれたのは孔子没後500年後のことである。
「或」の訓読みにはないが、門構えを付けると「閾(くぎ)る」と読める。そうなると「不或」は「くぎらず」「かぎらず」と読んでよさそうだ(或 - ウィクショナリー日本語版)。
「心」の字が3000年前に生まれたとすれば、ジュリアン・ジェインズが主張する「意識の誕生」と同時期である。私の昂奮が一気に高まったところで、きちんと引用しているのはさすがである。安田登はここから「心」(しん)と「命」(めい)に切り込む。
意識=心の誕生が3000年前だと仮定しよう。3000年より前は万人が統合失調症であり、左右の脳は分離していた。意識が脳を統合するようになり、左脳の論理で右脳の声(幻聴)は抑圧された。私の脳裏に浮かんだのは「ただ心こそ大切なれ」との言葉である。今少しばかり検索してみたのだが、やはり真蹟には存在しない。こんな通俗的な言葉を重んじる方がおかしい。教義とは無関係な道徳レベルである。
意識の出現と同時に「歴史」が誕生する。そして枢軸時代が訪れるのだ。ジュリアン・ジェインズはかなり難解なので、トール・ノーレットランダーシュを読んでから進むのがいいだろう。


・御書の系年研究 若江賢三
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『論語』の中で、孔子時代にはなかった漢字から当時の文字を想像するときには、さまざまな方法を使います。一番簡単なのは、部首を取ってみるという方法です。部首を取ってみて、しかも音(おん)に大きな変化がない場合、それでいけることが多い。
「惑」の漢字の部首、すなわち「心」を取ってみる。
「惑」から「心」を取ると「或」になります。古代の音韻がわかる辞書を引くと、古代音では「惑」と「或」は同音らしい。となると問題ありません。「或」ならば孔子の活躍する前の時代の西周(せいしゅう)期の青銅器の銘文にもありますから、孔子も使っていた可能性が高い。
孔子は「或」のつもりで話していたのが、いつの間にか「惑」に変わっていったのだろう、と想像してみるのです。(中略)
「或」とはすなわち、境界によって、ある区間を区切ることを意味します。「或」は分けること、すなわち境界を引くこと、限定することです。藤堂明保(あきやす)氏は不惑の「惑」の漢字も、その原意は「心が狭いわくに囲まれること」であるといいます(『学研漢和大字典』学習研究社)。
四十、五十くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。『自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、狭い枠で囲って限定しがちになります。
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは「【そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない】」という意味になります。そうなると「四十は惑わない年齢だ」というのは全然違う意味になるのです。
【『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登〈やすだ・のぼる〉(春秋社、2009年/新潮文庫、2018年)】
整理すると孔子が生まれる500年前に「心」という文字はあったがまだまだ一般的ではなかった。そして『論語』が編まれたのは孔子没後500年後のことである。
「或」の訓読みにはないが、門構えを付けると「閾(くぎ)る」と読める。そうなると「不或」は「くぎらず」「かぎらず」と読んでよさそうだ(或 - ウィクショナリー日本語版)。
「心」の字が3000年前に生まれたとすれば、ジュリアン・ジェインズが主張する「意識の誕生」と同時期である。私の昂奮が一気に高まったところで、きちんと引用しているのはさすがである。安田登はここから「心」(しん)と「命」(めい)に切り込む。
意識=心の誕生が3000年前だと仮定しよう。3000年より前は万人が統合失調症であり、左右の脳は分離していた。意識が脳を統合するようになり、左脳の論理で右脳の声(幻聴)は抑圧された。私の脳裏に浮かんだのは「ただ心こそ大切なれ」との言葉である。今少しばかり検索してみたのだが、やはり真蹟には存在しない。こんな通俗的な言葉を重んじる方がおかしい。教義とは無関係な道徳レベルである。
意識の出現と同時に「歴史」が誕生する。そして枢軸時代が訪れるのだ。ジュリアン・ジェインズはかなり難解なので、トール・ノーレットランダーシュを読んでから進むのがいいだろう。
・御書の系年研究 若江賢三
日蓮から離れてゆく創価学会
信仰を学問化するのは、三代会長を教祖化するための愚行。/創学研究Ⅰ-信仰学とは何か 創学研究所編:中外日報 https://t.co/i6zx8UyoOP
— 小野不一 (@fuitsuono) February 22, 2022
まるで習近平礼賛と変わりがない。個人崇拝は必ず独裁に通じる。誤った志向というよりは、他に手がないのだろう。本来であれば日蓮からブッダに向かう道筋が正しいと思われるが、逆方向へ突き進むようだ。初代・二代会長の言動からこうした方向性を見出すことはできない。すなわち初代・二代会長のテキストをもって批判することが可能である。更に外部の人間を招いて「信仰を学問する」馬鹿馬鹿しさに気づかないのだろうか? 「創学」というネーミングも創価班の無線用語を思わせ、センスがない。
現在の執行部が考えているのは、池田の印税を中心とした遺産相続と、池田没後の記念事業、池田大作選集などを刊行し持続的なスピーチ学習を行うことなどではあるまいか。公明党については中国共産党と自民党との間で揺れ続けることだろう。
池田の現役時代ですら西口のような老練な実力者を排除することができなかった。本部の目が届きにくい地方で利殖に励む幹部が陸続と現れることだろう。
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