ツイ禁中ですが創価のBBAが賄賂を渡してきたのでTwitterに載せます
どう思いますかこれ… pic.twitter.com/C5YGQSa60s
— れーむ (@8235F) 2014, 11月 27
2014-11-30
創価学会員の選挙違反
2014-11-25
第35回本部総会(1972年11月2日)
日蓮と比叡山ルール
2014-11-23
2014-11-22
2014-11-21
【読書感想】創価学会と平和主義
なかなか面白い。/【読書感想】創価学会と平和主義 (1/2) http://t.co/EJXLcQ4ZrK
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 21
2014-11-20
2014-11-17
2014-11-16
本尊模刻事件から考える会則変更
・「地涌」第699号 1993年10月1日
・日顕宗の“御本尊謹刻”への中傷はデタラメ(「聖教新聞」平成5年9月30日付より抜粋)
まず、これらの証言が記録に基づくものかどうかが不明である。記憶だけで何月までは普通憶えていないことだろう。
赤沢証言によれば、
・昭和48年(1973年)暮れに学会本部から彫刻依頼の打診。
・昭和49年(1974年)1月に池田より直接依頼。この時、細井日達は了承済みと伝えられる。
・昭和49年(1974年)秋に細井日達より本尊模刻の件を尋ねられる。
藤本メモについては日蓮正宗も否定はしていない。というよりも、この時点で初めて創価学会から板本尊の要請があったとしている。「7. 本部三階の御本尊の件 ―板御本尊にしたい」――これを受けて細井日達は創価学会からの御本尊下附願いを待った。ところが創価学会は細井から許可が下りたものとして、昭和50年(1975年)1月1日に創価学会本部に安置してしまった。
・聖教新聞画像/「よくわかる本尊模刻問題」より
その後「賞本門事戒壇正本堂建立 昭和四十九年一月二日」の模刻本尊が昭和49年4月に制作されていたことが判明する。
「実は『本門事の戒壇は正本堂』という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で文化会館の七階の座敷に安置してある」(昭和四十八年十二月二十九日の第二回御義口伝受講者大会)
昭和53年9月2日の連絡会議の記録の中に、学会が模刻した数体の板本尊の処置について御指南を求めたのに対し、日達上人は池田会長に、「そんなものは人目にさらすな。金庫の中にでもしまっとけ」と叱責された(本尊模刻事件の真相)
双方の言い分が完全に異なる。日蓮正宗側の主張は以下を参照せよ。
・本尊模刻に関するQ&A
・〝日達上人違背の大罪人 本尊模刻事件を闇に葬ったのは阿部師〟の誑言を断破す
・本尊模刻(『慧妙』H14.3.1ほか編集)
私が知っている事実を一つだけ挙げよう。紙幅の創価学会常住本尊は「それほど傷(いた)んではいない」。間近で見たことがあるから間違いない。黄色いシミが出ている程度である。
結局は「板マンダラを制作したが、大石寺に収めた」という事実だけが残る。
今回の会則変更に照らせば、板マンダラ制作は創価学会独立の布石であったとしか考えようがない。つまり信濃町を聖地化し、ゆくゆくは御開扉に伴う参拝料を徴収するシステムを構築するのではあるまいか。JR信濃町駅から学会本部まで両側に売店が立ち並び、味噌玉でも売るようになったら濡れ手で粟(あわ)という寸法だ。
2014-11-15
死ぬって何?
死ぬって何? (31:06) http://t.co/Ir2r1Jr6Dv #sm18126907
南直哉すげー!
— tama (@wps_happytama) 2014, 11月 13
2014-11-14
橋下氏「公明にやられたままで終われぬ」出馬可能性否定せず 市長職投げ出しも「致し方ない」
盛り上がってきたな。/【衆院解散論】橋下氏「公明にやられたままで終われぬ」出馬可能性否定せず 市長職投げ出しも「致し方ない」(1/2ページ) - 産経WEST http://t.co/bdS1ZZlcMF
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 14
公明、政活費681万円返還…東大阪市議会
議員団団長で議長の平田正造市議(64)は同日、この問題の責任を取り、議長の辞職願を副議長に提出した。前議長が政活費の不適切支出を巡って議長を辞職したため、先月10日に議長に就いたばかりだった。
議員団によると、12年8月、平田市議ら市議6人が東京都に出張した際、議会事務局から新幹線の乗車券など現金約30万円を受け取ったにもかかわらず、政活費として24万円を計上し、旅費を二重に受領するなどしていた。家族名義のクレジットカードで支払ったガソリン代を政活費に計上した議員もいたという。
市議会では10月以降、政活費の不適切支出が相次いで発覚し、7会派19人が2235万円を返還したが、公明党議員団は「不適切支出はない」としていた。
幹事長の川光英士市議(61)は「領収書まではチェックしておらず、支出の一覧を見て適切だと判断した」と釈明した。
【YOMIURI ONLINE 2014年11月11日】
2014-11-13
吉松育美ストーカー事件
→「この女癖の悪い創価大学卒、元TBS社員の石井〔薬物事件で首)がいう通りしないと恫喝、ストーカー行為を続けた」は、「石井」ではなく「谷口元一」の間違いだろう。
・ロンブー淳も吉松育美と同じく谷口元一に芸能界から消されそうになっていた!?マットテイラー、K-1石井館長との関係とは!?
・創価「隠れ広告塔」にご用心!K1「石井受刑者収監」一考!
・井川遥も被害者だった!谷口元一氏の過去の女性遍歴と嫌がらせが酷い。
教義変更の失敗
ここには本尊開眼と同じ問題がある。「開眼前と開眼後に何が変わったのか?」と同じく「謗法でない時と謗法になった時と何が変わったのか?」というテーマだ。しかも謗法と言いながら、法基準ではなく組織権力が謗法の認定基準となっている。
かつて創価学会はブッダをも否定していた。釈迦仏法を「古いカレンダー」と称し、現代に効力はないと言っていたのだ。白法隠没に対する誤解であったわけだが、学会員はものを考える力を奪われているため誰一人疑問に抱くことはなかった。
また創価学会は五座三座の勤行を方便品・自我偈に省略した。これまた教義変更といってよい。多くの学会員は心ひそかに「ラッキー♪」と思った(笑)。私もその一人だ。柏原ヤスは言った。「池田先生は間違っている。戸田先生は五座三座は絶対だとおっしゃっていた。勤行を省略するなんてとんでもない」と。
今回の教義変更は戸田門下生が絶滅したことを見計らった上での措置だろう。ま、あと30~40年もすれば池田門下生もいなくなる。その時どのような教義変更をするのかね?
「もうそろそろ、マスゲームの一員であることに喜びを覚えるのは卒業して、自分で何か表現したらどうだ?」と私は言いたい。
その唐揚げは、唐揚げの形をした別の何かかもしれない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 12
その仕事は、労働の形をした搾取なのかもしれない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 12
その宗教は、信仰の形をした詐欺なのかもしれない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 12
認知の歪みを自覚しない人は何らかの形で既に騙されていると言ってよい。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 12
2014-11-11
教義変更
2014-11-10
地衣類の一生に意味はあるか?
過酷な環境に強いものの例にもれず、地衣類は生長が遅い。シャツのボタンほどの面積を埋め尽くすのに半世紀以上かかることもある。そのため、デイヴィッド・アッテンボローは、地衣類がディナー用の大皿くらいの面積まで広がるには「数千年とまではいかなくても数百年はかかるだろう」と記している。これ以上に不活発な存在は想像しがたい。アッテンボローは、「地衣類はただ単にそこにある。そして、この上なく単純なレベルの生命体でさえ、明らかに自己のためだけに発生するという感動的な事実を証明している」と付け加える。
【『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(NHK出版、2006年/新潮文庫、2014年)】
朗報である。絶版になっていたが新潮文庫から復刊された。地衣類は菌類と藻類の共生体だ。産業革命以降、人類はスピードを奨励してきたわけだが、これほど生長に時間のかかる地衣類に存在意義はあるのだろうか? そう考えてしまうのは我々が人の一生というタイムスパンでしかものを考えることができないためだ。我が子を喪(うしな)って悲嘆に暮れているうちに、やがて自分も死んでしまう。一生にはその程度の時間しかない。地衣類の存在意義を弱めているのは世界に対する貢献度の低さに由来しているのだろう。「じゃあ、お前はどの程度貢献しているんだ?」と言われれば心許ない限りである。つまり地衣類の存在に意味がないなら、我々の人生にも意味がないことになる。そして地衣類は意味を考えないが、我々は意味の虜(とりこ)になる。これが決定的な違いだ。人は意味を求めて自分探しをする。ま、日本人がそんな真似をするようになったのも最近のことだろう。少なくとも明治以前にそんな風潮はなかったはずだ。個人という言葉は「individual」の翻訳語である。柳父章〈やなぶ・あきら〉が社会を構成しているのは個人であり、それ以前の日本には身分としての存在はあっても個人という概念はなかったと指摘している(『翻訳語成立事情』)。個人とは「神に対してひとりでいる人間」を意味する。ってことはだよ、脳内で一神教の神が生まれたと同時に個人が誕生したわけだ。結局、神とは個人のことだったのだろう。一神教の場合、双方向性を欠いているためその自覚に至ることは難しい。仏教的に考えると生きることに意味はない。ただ生を味わいながら生きることが正しい。
2014-11-09
2014-11-08
結党50年の公明党
実によくまとまっている。記事としてはつまらんが資料的価値あり。/妥協重ねつつ自民と連立政権運営—結党50年の公明党 | http://t.co/JDh9c08vQq http://t.co/lyyRvTq9ti
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 7
2014-11-07
組織は社会の機関
外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。
組織は、存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。その点が動物とは違う。組織は社会の機関である。外の環境に対する貢献が目的である。しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中のことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく。
【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】
29歳で著した処女作『「経済人」の終わり』(原書は1939年刊)でも同様のことを書いている。ドラッカーはマネジメントの父と称されるが、その出発点はファシズム(全体主義)から自由を守ることにあった。イギリスの高級紙「タイムズ」の書評で激賞したのは、それから1年後に首相となるウィンストン・チャーチルであった。
言葉を引っくり返してみよう。「人は多いほど、組織は大きいほど、組織の中の活動は多いほど、組織はより完全から遠ざかる」。フム、なるほど。肥大した組織は煩(わずら)わしい内部作業に翻弄される。そして組織は「社会の機関」であることをやめ、自らを社会化し複雑なサブカルチャー(下位文化)を形成してゆく。
組織を結社という。現在では結社の自由や秘密結社くらいでしか使われることのない言葉だ。社は訓読みで「やしろ」。「神を祭る建物、神の降臨する場所」という意味がある。思い切り単純に考えると祭りのために集う人々が結社となる。組織の目的を祭りに置き換えればさほど見当外れでもあるまい。
それぞれの祭りを目指して組織が結成されたのであれば、祭りが終われば組織は解散してもいいはずだ。あるいは祭りのたびに組織が再結成されるべきだろう。ドラッカーはNPO社会に期待をかけていた。企業や教団にもNPO的な緩やかさがあってよいと思う。人体は4ヶ月程度で骨に至るまで新陳代謝をしている(※真皮・皮下組織などは数年単位。一部の細胞は代謝することがない)。澱(よど)んだ組織は腐る。そして腐った組織には腐った人間しか残っていない。
・P・F・ドラッカー
スピリチュアリズムとは密教的飛躍
では爆弾発言を(笑)。西洋でいうところのスピリチュアリズムというのは密教的飛躍(超脱)のことです。 RT @ujikenorio: 例えばアメリカなんかをみるといわゆるカリスマ的なテレビ伝導者なんかの... http://bit.ly/aDjL2O
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 28
・http://tinymsg.appspot.com/rnO
肩凝りの原因がまぶたに
何とまぶたに原因があった⇒ RT @hatebu: 5年以上続いた偏頭痛、肩こりが解消した (74 users) http://bit.ly/cFF22y
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 24
・http://anond.hatelabo.jp/20101022221427
2014-11-05
2014-11-03
2014-11-02
「ノルマ押し付けに反旗」
今日入っていた創価新報?です。
「ノルマ押し付けに反旗」って・・・
アンタらが言うなよ、って思いました pic.twitter.com/YRuMuU7FUf
— 学会3世から見た創価学会の真実 (@soukashinji2) 2014, 10月 8
2014-11-01
幸福の科学大学「不認可」へ
問題はこれ→宗教法人の創立者の思想をベースにした必修科目を設ける/「幸福の科学大」不認可の答申 - NHK 首都圏 NEWS WEB http://t.co/lTiCJetbcC
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 10月 31
読売◆「幸福の科学大学」認めない…文科省審議会答申 http://t.co/cWByhnpday 「審議会委員に大川氏の著作物が送付されるなど、「認可の強要を意図すると思われるような不適切な行為が行われたことは、極めて遺憾」と下村文科相に報告」
— deepthroat (@gloomynews) 2014, 10月 29
やや日刊カルト新聞: 幸福の科学大学「不認可」へ=最長5年間は認可不能か http://t.co/OsYzIDmS0x
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 10月 31
で、早速『文部科学大臣・下村博文守護霊インタビュー(2) 大学設置・学校法人審議会の是非を問う』が刊行された模様。転んでもただでは起きぬ。逞しき商魂に脱帽。