2022-01-30

中国による対日工作、NPOや創価学会がパイプ役=米シンクタンク報告


2022-01-25

抑圧された怒りが体にダメージを与える

『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳

 ・抑圧された怒りが体にダメージを与える

 1952年に行なわれた乳がんの女性たちの精神分析でも、同じような結論が出ている。その女性たちは「怒り、攻撃性、敵意を放出したり、それらに適切に対処することができない(そうした感情は「感じのよさ」という仮面の下に隠されている)」ことがわかったのだ。研究者たちは、この患者たちの解消されていない葛藤は「否認と非現実的で自己犠牲的な行動」の形で現れると感じた。

【『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ:伊藤はるみ訳(日本教文社、2005年)】

 怒りは「毒」である。

「瞋恚(しんに)は善悪に通ずる」のか?

 怒りは稲妻のように現れる。最も瞑想から遠い生命状態である。それゆえに地獄の因となるのだろう。幼い頃から怒りを抑圧し、自己犠牲を厭(いと)わない女性は乳癌になりやすいと書かれている。擬似相関の可能性も高いが、心の許容量の臨界点に至ると「体が叫び声」をあげる、という理窟には説得力がある。

 男性よりも女性は同調性が高い。仲のよい女性が一緒に暮らしていると生理周期までもが同期する。公園デビューなんぞで迷うのも女性の特性だろう。コミュニケーション能力が優れているのも同調性の成せる業(わざ)である。進化論的には、周囲と同調することで我が子を育てやすい環境整備をしていると考えられる。男には文句を言えても、女性同士だと言えない人は想像以上に多い。女性の多い職場に派閥が形成される事実もそれを示唆している。

 初老に差し掛かった頃に精神疾患を発祥する婦人部幹部が珍しくない。それも第一線で活躍してきた幹部で、「エ、あの人が?」というタイプが多い。また母親が立派な幹部であればあるほど、子供が活動してないケースが目立つ。きっと子供が癌細胞の役割を果たしているのだろう。本当に「楽しい様子」や「充実した姿」を見ていれば、何も言わなくても子供は活動するはずだ。どこかに嘘がある。それを子供は見抜いているのだろう。

 ネットを見回すと、創価学会から離れたにも関わらず、いまだに心の傷が癒えない人々が多い。きっと我慢に我慢を重ねてきたのだろう。はっきりと「ノー」を言えずに何年も過ごしてきたのだろう。ま、組織を恨む前に自分の弱さを見つめろ、ってな話だわな(笑)。

 私は40年ほど創価学会で過ごしてきたが一片の悔いもない。だって面白かったからね。学会を離れて既に10年ほど経つが感謝の念しか湧いてこない。

2022-01-24

中国非難決議を骨抜きにした公明党

 良識ある国民が公明党を拒みつつある。ためにする批判ではない。ウイグル人が殺され、臓器を抜かれ、レイプされ続けている事実を不問に付す公明党にノーを突きつけているのだ。山口那津男は創価学会本部の傀儡(かいらい)に過ぎないが、彼が行った政治行動はWikipediaなどに記されることだろう。子孫が哀れである。



2022-01-19

偶像(アイドル)

 宗教にはまるヤツは、アホだ。自分の日常の欠けている部分を、他人に埋めてもらいたがっているのだ。現実に打ちのめされているから、現実じゃない力がこの世にあることを信じたいのだ。自分の頭で未来を考えるのが恐ろしくて、誰かに決定を委(ゆだ)ねたいのだ。教祖様だのに入れこんでしまうのは、信じている自分を信じたいからだ。関係ない人間を勧誘したがるのは、信じている自分を人に認めてもらいたいからだ。

【『砂の王国』荻原浩〈おぎわら・ひろし〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)】

 そんな風に考えていた若者が新宗教に取り込まれる。荻原浩といえば『明日の記憶』が広く知られているが、私は二度挫折している。一方、本書は今年に入ってから再読した。ホームレスを教祖に仕立てる物語である。「失われた20年」が社会を覆い尽くした不安な様相を巧みにすくい上げている。社会に認知される教団になるまでの展開もドラマチックでありながら説得力がある。マーケティングや心理学の手法もちりばめられている。

「教祖は作ることができる」――本書が示した結論は、実際に著者が文字を通して教祖を造形したことで証明されている。荻原が文字ではなく「言葉」でそれを表現すれば、彼は教祖となれるのだ。

「教祖」と聞けば人は胡散臭さを感じてしまうことだろう。では、ドラえもんでどうだ? あるいは半沢直樹でもいいぞ。私が言いたいのは「偶像」(アイドル)ということだ。神話や教義に描かれるのは偶像(モデル)である。神仏もまた偶像といってよい。語られた偶像は存在感をもって心に居据わる。それが幽霊や宇宙人であったりする場合もある。例えばこんな話がある。

「キーファー・サザーランドとの共演は最悪だった」──「24」俳優が告白 | GQ JAPAN

 ジャック・バウアーを演じたキーファー・サザーランドがアル中(差別用語)だったというのだ。その上大物ぶって共演者に迷惑をかけていたという。『24 TWENTY FOUR』はシーズン8+リブ・アナザー・デイまであるが私は二度視聴している。往々にして偶像は虚像であることが多い。

「砂の王国」は潰(つい)える。数千人規模にまで拡大したが、青写真を描いた主人公の精神が完全に行き詰まってしまう。

 青少年が大好きな女性アイドルのポスターを見つめる時、自分を客観視することは難しい。瞑想はファナティシズムの正反対に位置する。

 

2022-01-14

公明党議員たちは、集票力のある人物の不正は見て見ぬふりをせよ、と言った