こども代表の平和への誓い、素晴らしかったです。
— 林田 光弘 (@mitsuhiro411) August 5, 2021
「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」#広島原爆投下の日 #広島原爆忌#戦後76年 pic.twitter.com/YvJOLmpK3F
2021-08-07
「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」
2020-05-29
末端の党員たち
「末端の党員たちは、政治というものは末端であれこれいえるほど簡単ではないのだと教育されていた。だからいつも責任は他人にあると感じていて、進んで自分の責任とする態度がまったくなかった。ナチズムの構造が、良心の問題を棚上げするようにできていたのだ」───アルベルト・シュペーア
— リアリズムと防衛のBOT (@ria_bou_bot) May 29, 2020
2019-11-30
サンプル数1のザコは黙れ!
・サンプル数1のザコは黙れ!
今日の名言「サンプル数1のザコは黙れ!」
— 小野不一 (@fuitsuono) November 30, 2019
経験は当てにならない。
2019-06-30
フィデル・カストロの言葉
・フィデル・カストロの言葉
「なぜ、高級車を走らせている人たちのために、一部の人たちが裸足で歩かなければならないのでしょうか?」(フィデル・カストロ)。社会主義国家の元首でありながら、大きな銅像や肖像写真を作らせなかった。 pic.twitter.com/IE1DS7LFgZ
— 言動力bot (@gendoryoku) October 20, 2014
2017-07-25
大組織では
大組織では、独りで正しいことをするより、大多数に従って過ちを犯す方がはるかに安全だ。(ジョン・ケネス・ガルブレイス)
— 小野不一 (@fuitsuono) 2017年7月25日
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2017-01-29
世俗性と宗教性
まず自分がしあわせになる。世間の人は、他人がしあわせになるために自分を犠牲にしなさいっていう。そうじゃないの。自分がしあわせじゃないと、他人をしあわせにできません。だって、募金するのだってそうでしょ。お金を持っていなかったら、募金できない。
— 斎藤一人さんの言葉 (@hitori_words) 2016年12月24日
全ての達成の始まりは願望である。これを常に心に留めておきなさい。弱い願望は、弱い結果をもたらす。ちょうど、小さな炎が少しの熱しか出さないように。『思考は現実化する』 https://t.co/SJvhUiP85w
— ナポレオン・ヒル (@napoleonhillbot) 2016年12月19日
自分の苦しさに負けないこと、自分の苦しさに甘えないこと、自分の苦しさに酔わないことが、自己中心的でないということである。
— 加藤諦三bot @心理学 (@katotaizobot) 2016年12月22日
何気なくツイッターから拾ってきた言葉である。どれも決して悪い言葉ではない。むしろ創価学会員にとっては心地よく響くのではあるまいか。いずれも著名な人物であるが私は著作を読んでいない。これからも読むことはないだろう。牧口常三郎がカント哲学の「真理」を否定したことによって創価学会の言説が世俗性を志向するのは必然であった。日蓮の片言隻語を引用したところで宗教性を追求する次元に至らないことは明白である。
・創価学会の教学は断章取義
言葉には思考を束縛する機能がある。感動した途端、人は洗脳される。これを信仰と名づける。人生という現実に役立つ言葉は無数にあるが、生そのものに迫る智慧は自らつかみ取る他ない。世俗的な言葉はそのヒントにすらならない。抽象度が低すぎるためだ。
2016-11-13
批判
批判は異質の世界に起るものではない。共通する連帯の中にありながら、その立場を異にし、目的を異にするところに、その自己諒解の独自性の主張として生まれるのである。
— 白川静 (@sizukashirakawa) 2016年11月12日
2016-02-24
衆愚
ジョージ・カーリンの言葉は、政治家批判にもよく使われます。「大きなグループとなった馬鹿な人たちの力を過小評価してはいけない」 pic.twitter.com/JHpSmAdB0R
— T.Kamada (@Kamada3) 2016, 2月 24
2015-12-10
2015-09-08
大衆とインテリの違い
大衆に関する限りは、最近しばしば見られる世論の急激な転換も、スイッチのように点滅する感情も、新聞やラジオによる催眠作用の結果である。しかしインテリの場合は、それは金と身の安全が保障されているためだと言えよう。[スペイン戦争回顧]
— ジョージ・オーウェル箴言集 (@Orwell_JP) 2015, 9月 8
2015-02-13
2014-08-15
「諦める」の意味
「諦める」という言葉は明らかにする、つまびらかにするとの意。自分の念慮を見極め、そこから離れることを目指したものであろう。いつの間にかギブアップの意味で使われている。断念も同様。環境や情況によって念が断たれるのか、あるいは自ら念を断つのかで180度異なる。明らかに諦めることが大事
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
「あきらめる」という日本語のもとの意味は「明らめる」で「明瞭にする」→「正しく理解する、さとる」であり、「ギブアップ」することではありません。「諦」という漢字の字義は「要諦」の語からくみ取れます。「○... http://bit.ly/9Qdcby
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147329859
つまり「諦」の字義は“物事の本質を明らかにする” ≒ “さとる”、“さとり”です。 http://bit.ly/9bvIM1
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210363677
四諦とは「4つの聖なる真理」の意である。4つの真理とはそれぞれ、苦諦:苦という真理、集諦:苦の原因という真理、滅諦:苦の滅という真理、道諦:苦の滅を実現する道という真理 http://bit.ly/9aQtC9
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A62014-08-05
言葉と教義
しかしながら、悟りのプラグマティズム&ホリスティック(全体論的)な洞察の追求がスピリチュアリズムの温床でもあるわけです。 RT @ujikenorio: もどりますが、そうした意味で、ユニテリアンを中心としたトランセン... http://bit.ly/c67Y7j
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
http://tinymsg.appspot.com/Vmi
日蓮系も同様。悪の本質がデヴァイド(割り)なら、それを実行可能にしているのは正義かも。 RT @ujikenorio: (全てが全てそうではありませんが)プロテスタントの歴史というのは、分派の歴史と言い換えても過言ではありませんから…
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
伝えられた瞬間、死んだ言葉は「情報」に変質する。 RT @ujikenorio: 簡略化してしまうと、今の体系・システムというものが、ダイレクトに誕生時の姿そのままではないという事実です(逆説的に言えば、だからカトリックは、「伝承」を大切にします)。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
とすれば、社会が複雑化するたびに教義を更新・拡張する必要が生じる。つまり教義は「後付け」となる。 RT @ujikenorio: キリスト教を例に取ってみると、イエスそのものの発想=現在の公定教義かと問うた場合、イエスとは十全に答えられないという問題です。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
教義は社会に「合わせて」広がり、やがて魂を失い儀礼と化す。人間と言葉の形骸化。 RT @ujikenorio: 仏教でいえば、原始仏教で肉声がかすかに残る釈尊が、葬送儀礼を大切にしようとはいっていなけれども、現在の公定教義と実践では「大切に」ということになっているような問題です。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
言葉の限界。 RT @ujikenorio: ぢゃあ、どれが原点か?などと七面倒になってしまうと、デリダが批判するような音声中心主義、プラトニズム的イデア論に、つまり、最初の声=イデア、後から整理された教義=イデアの劣化したコピー、という認識になるので、その遡上というのは難しい
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
悟りが論へと堕落。左翼的理論武装。 RT @ujikenorio: まあ、(創唱宗教においては)誕生時の教説=現在の教説と同じというものではないのが事実というところです。創作とはいいませんが、大乗仏教を加上説@富永仲基と批判した問題はあらゆる宗教において避けがたいというものです。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
思想より帰属・所属が優先される現実。やはり集団の問題に。 RT @ujikenorio: しかし、「善きサマリア人の喩え」が聖書に記されているにもかかわらず…本年の9.11の米国の過激な一派がコーランを焼き払おうとしたようなことを眺めるとorzとなってしまいます。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
本来の「教え」は単純であったはず。理論化・複雑化するほど排除性が高まる。経典は言葉でありながら言葉に非ず。言語道断・心行所滅。 RT @ujikenorio: 原点に返るとか、原点を復活させるというのは現実には困難です。その... http://bit.ly/aXwDaU
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
ナイス! RT @ujikenorio: だから、使い古されたフレーズ、言い回し、説教、指導etc--というものが、根拠があるのかどうか、それは常に省察されてしかるべきかと思います…中には広告代理店が製作したようなスローガンでおわってしまっているものもあるかもしれません。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
2014-07-30
改宗によって失うもの
「改宗によって失うものは鎖だけである」
— アンベードカルbot(非公式) (@Ambedkarbot) 2014, 7月 28
アンベードカルはヒンドゥー教を棄て、仏教に帰依した。カーストに苦しめられた人々が彼に続いた。一日で何と30万人が改宗した。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 7月 28
7年で75万世帯を相対化しました。
— タカシ (@taka0316y7) 2014, 7月 29
・アンベードカル
本物と偽物
本物は自分が本物だと気がついていないので淡々としているが、偽物は自分が偽物だと気づいているから、必要以上に本物ぶる。|橘川幸夫|note https://t.co/CZB7BABWkx
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 7月 29
2014-07-06
ガクブル
ツイートを見た某ベテラン記者から「ガクブルとは何か」との問い合わせがあった。赤旗紙面に出たこの顔文字がそうですと説明(J) http://t.co/jgMQndUZ3N pic.twitter.com/6XU2eblGoY
— 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 7月 5
2014-07-05
B層とは
2005年、広告会社スリードが郵政民営化の宣伝企画を受注した際、衆愚に分類するセグメント(対象)として【B層】を提唱。主に【IQの低い専業主婦、教育レベルの低い高齢者および若年者】を想定し、マスメディアを活用した扇動的な情報操作によって、構造改革へ向けた世論合意を目指した。スリード社は批判に対し、分析軸として使用した概念を一方的に解釈していると反論したが、企画書段階においてIQによる対象分類を行っていたことは否定しなかった。小泉改革以後も「【マスコミ報道に流されやすい低知能の大衆】」という概念として用いられるケースが多い。
【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)】
「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」(Wikipedia)がB層であるならば、「具体的なことはよくわからないが池田大作のキャラクターを支持する創価学会員」はB創と名づけてよさそうだ。彼女たちは日蓮やブッダにはさほど興味を抱いていないし、宗教全般に対しても無知を恥じることがない。その言動にはただ勢いがあるだけでマルチ商法の押し売りと酷似している。「祈れば幸せになる」と「服用すれば健康になる」はまったく同じ論理展開で、実際は論理ですらなくただの循環論法となっている。
B層なる言葉を私は差別用語と誤解していたが、ターゲット・マーティングの対象であり、一言でいえば大衆消費社会におけるカモ(餌食)である。健全な批判や懐疑を欠いた精神は一本の電話詐欺にも騙されてしまう。
2014-07-04
漢字の誕生
漢字の起源 http://t.co/4ZOLZcf9FG
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 7月 4
漢字の誕生 http://t.co/bV8A2wT8Vm
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 7月 4
禁RT。/NHKスペシャル 中国文明の謎 2「漢字誕生 王朝交代の秘密」—在线播放—优酷网,视频高清在线观看 http://t.co/6szLkfEEbp
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 7月 3
2014-03-31
2014-03-09
イビチャ・オシム「私は神を信じない」
「私は神を信じない。世の中の悲惨な出来事は神を信じる人がやっているではないか。神がいればそんなことは起こらない。私は人を信じ、人生から学ぶ。」
— Ivica Osim Goroku (@Osim_goroku) 2014, 3月 4
イビチャ・オシムこそ、正真正銘の哲学者だと思う。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 9
オシムの言葉は合理性がありながらも美しい響きを伴っている。稀有な人物といってよい。どこかブッダの言葉と通い合うものを感じる。サラエボ紛争の地獄を知る人物でもある。1964年の東京オリンピックにはユーゴスラビア代表として参加。12年間の現役時代で一度もイエローカードを提示されたことがなかった。
・オシムが背負う十字架/『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦
