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2021-08-07

「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」

2020-05-29

末端の党員たち

2019-11-30

サンプル数1のザコは黙れ!

・科学者は、体験談を証拠とはみなさない

 ・サンプル数1のザコは黙れ!

2019-06-30

フィデル・カストロの言葉

・フィデル・カストロが逝去 11月25日

 ・フィデル・カストロの言葉

2017-07-25

大組織では


2017-01-29

世俗性と宗教性




 何気なくツイッターから拾ってきた言葉である。どれも決して悪い言葉ではない。むしろ創価学会員にとっては心地よく響くのではあるまいか。いずれも著名な人物であるが私は著作を読んでいない。これからも読むことはないだろう。牧口常三郎がカント哲学の「真理」を否定したことによって創価学会の言説が世俗性を志向するのは必然であった。日蓮の片言隻語を引用したところで宗教性を追求する次元に至らないことは明白である。

・創価学会の教学は断章取義

 言葉には思考を束縛する機能がある。感動した途端、人は洗脳される。これを信仰と名づける。人生という現実に役立つ言葉は無数にあるが、生そのものに迫る智慧は自らつかみ取る他ない。世俗的な言葉はそのヒントにすらならない。抽象度が低すぎるためだ。

2016-11-13

批判



孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

2016-02-24

衆愚

2015-12-10

悪と同質の善


重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)

2015-09-08

大衆とインテリの違い

2015-02-13

大衆部あらため後期仏教

 いわゆる大乗仏教を今までは大衆部(だいしゅぶ)と表記してきたが、今後は「後期仏教」に統一する。やはり「名を正す」(『論語』)ことが大切であると感じるゆえに。

2014-08-15

「諦める」の意味


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147329859
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210363677
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6

2014-08-05

言葉と教義

http://tinymsg.appspot.com/Vmi








2014-07-30

改宗によって失うもの




・アンベードカル

本物と偽物

2014-07-06

ガクブル

 私も初めて知った(笑)。ガクガク、ブルブルだったのね。

2014-07-05

B層とは

 2005年、広告会社スリードが郵政民営化の宣伝企画を受注した際、衆愚に分類するセグメント(対象)として【B層】を提唱。主に【IQの低い専業主婦、教育レベルの低い高齢者および若年者】を想定し、マスメディアを活用した扇動的な情報操作によって、構造改革へ向けた世論合意を目指した。スリード社は批判に対し、分析軸として使用した概念を一方的に解釈していると反論したが、企画書段階においてIQによる対象分類を行っていたことは否定しなかった。小泉改革以後も「【マスコミ報道に流されやすい低知能の大衆】」という概念として用いられるケースが多い。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)】

「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」(Wikipedia)がB層であるならば、「具体的なことはよくわからないが池田大作のキャラクターを支持する創価学会員」はB創と名づけてよさそうだ。彼女たちは日蓮やブッダにはさほど興味を抱いていないし、宗教全般に対しても無知を恥じることがない。その言動にはただ勢いがあるだけでマルチ商法の押し売りと酷似している。「祈れば幸せになる」と「服用すれば健康になる」はまったく同じ論理展開で、実際は論理ですらなくただの循環論法となっている。

 B層なる言葉を私は差別用語と誤解していたが、ターゲット・マーティングの対象であり、一言でいえば大衆消費社会におけるカモ(餌食)である。健全な批判や懐疑を欠いた精神は一本の電話詐欺にも騙されてしまう。

独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?

2014-07-04

漢字の誕生



2014-03-31

繰り返される虚構

2014-03-09

イビチャ・オシム「私は神を信じない」



 オシムの言葉は合理性がありながらも美しい響きを伴っている。稀有な人物といってよい。どこかブッダの言葉と通い合うものを感じる。サラエボ紛争の地獄を知る人物でもある。1964年の東京オリンピックにはユーゴスラビア代表として参加。12年間の現役時代で一度もイエローカードを提示されたことがなかった。


・オシムが背負う十字架/『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦