2019-03-24

武田邦彦が説くポスト・ヒューマン

 武田邦彦が説いたのはレイ・カーツワイルとは別の姿の「ポスト・ヒューマン」である。知的昂奮が止まらない。

@take23asn氏による震災時の注意事項・留意点・アドバイス・知恵

2019-03-22

442日系部隊

 聞くも涙、語るも涙とはこのことだ。アメリカの悪辣(あくらつ)なまでの人種差別と、それでも尚アメリカのために死んでいった多くの日系米兵の善良さを思う。動画は1週間限定公開。靖国参拝に反対する人々は刮目して見よ。


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2019-03-13

愛すべき親日国パラオ共和国


 舩坂弘〈ふなさか・ひろし〉は「リアルターミネーター」「サイボーグ」の異名で知られる人物。その勇猛果敢を米兵も絶賛した。

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2019-03-11

親子関係を通して形成される業

三島由紀夫と永山則夫

「家族そのものが業である」の続きを。私が親子関係の束縛を強く意識したのは最近のことである。2冊の本の影響が大きかった。紹介するのが面倒なので書評ページのリンクを貼っておこう。

血で綴られた一書/『生きる技法』安冨歩
子は親の「心の矛盾」もまるごとコピーする/『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉は東大教授で私と同い年である。彼が明かした実母との確執は「静かなる虐待」に基づいており、縁が切れるまでに至る。なかなか書ける事柄ではない。「書いた」あるいは「書けた」という事実が既に過去の感情から離れたことを示している。我々にとっては「話す」行為も同様に考えてよい。「話す」は「離す」に通じる。

 二度目の書評(「心理的虐待」)で私も「親から愛されていなかった」と書いた。これだってね、結構勇気を必要としたものさ。安冨の勇気が私に伝染したのだろう。

 そして高橋本の書評では「親に褒めてもらうことが殆どなかった」と書いた。

 様々な本を読んできてわかったことだが、良家の良家たる所以(ゆえん)は「子を叱らない」ところにある。たぶん家格や親の振る舞いを通した枠組みが上手く機能するのだろう。天才が育つ環境も同様で親が叱った形跡は全く見られない。

 小学3年の時、人生を変える出来事が二つあった。一つは学級代表の選挙で私に2票入ったことで、もう一つは前にも書いたがドッジボールでファインプレーをしたことだった。2年生になるまで私は転校を2回経験していた。声と体は大きかったが比較的おとなしいタイプの子供だった。2票にはつくづく驚かされた。「誰だろう?」と考えるだけで胸がドキドキした。自分をそんな風に見てくれる同級生が二人もいることに私は自信を見出した。ドッジボールのファインプレーは運動神経の開花ともいうべき瞬間で、初めて誘われた野球の試合でも私は同様のプレーをした。もちろん、やんややんやの大喝采だ。

 で、小学4年になって私は学級代表となった。もう驚きはなかった。たった1年で私は大きく変わった。卒業まで学級代表を続けたのは私一人である。成績もよくなり、おまけに字まで上手になった。

 私の自我は小学生時代に形成された。今日に至るまでほぼ変わっていない。それが証拠に小学生時代の友人からも「お前は全然変わっていない」と必ず言われる。どれくらい変わっていないかというと小学校時代のギャグや物真似を今でもやっているのだ。

 どんな親であろうと子供にとっては「大人のモデル」となる。たとえ反面教師にすることが成功したとしても飽くまでマイナスに作用しただけのことで、親という基軸を巡る反応であることに変わりはない。

 私は愛されてこなかった。だからこそ人の心を敏感に察知できるようになった。これは自慢でも何でもないが私は自分でもびっくりするほど親切だ。私の額には「ミスター親切」と刻印されている。

 ところがである。最近も親切三昧の生活をしており、フト気がついた。「ひょっとして親からしてもらいたかったことを俺は他人にしているだけではあるまいか」と。往々にして踏み込みすぎて相手との距離が異様に近くなるのもそのためだろう。

 一切のモデル(原型)を打破したのが「仏」という概念であったのだろう。旧約聖書が偶像崇拝を禁じたのは卓見であるが、連中は「神」というもっとでかい偶像を造ってしまった。

2019-03-10

鎌倉仏教とプラグマティズム

 鎌倉仏教なかんづく日蓮・法然・親鸞が行ったのはシナ仏教のプラグマティズム化であったのだろう。修行の目的を悟りから行為に置き換えるビジネスモデルの確立が広く大衆に受け容れらたのだ。信に重きを置いたのは深層心理のメカニズム(唯識)に基づく。後期仏教(大乗)がヒンドゥー教色を取り込む世俗化であったのに対し、鎌倉仏教はもっと実際主義的な趣がある。これを正統という物差しで判じることは簡単だが、そうではなく「社会構造・文明構造の変化=脳の変化」と捉えるべきだろう。とりわけ貨幣(マネー)と文字(テキスト)の影響が大きいと考える。

2019-03-08

公明党は全体主義政党

 三島さんは石原氏の多少の自嘲まじりの党批判を、なぜ咎め立てするのか。これがもし公明党のように一言でも党創立者に批判めいたことを言ったが最後、次の選挙に立候補させてもらえない全体主義政党なら、そのときにこそ政治的諫死をすべきではないか。石原氏の発言はたしかに痛烈ではあったが、いわば放談である。それを「士道にもとる」と叱るのは、スターリニズムというより時代錯誤のファナティシズムだ。

【『五衰の人 三島由紀夫私記』徳岡孝夫〈とくおか・たかお〉(文藝春秋、1996年文春文庫、1999年/文春学藝ライブラリー、2015年)】

 三島由紀夫がクーデターを決行したその日、二人の記者が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にいた。NHKの伊達宗克〈だて・むねかつ〉と『サンデー毎日』の徳岡孝夫である。彼らは三島から連絡を受けていた。そして到着するなり楯の会メンバーから三島が書いた手紙と檄文(げきぶん)を渡される。三島が選んだ生き証人であった。

 ここに書かれている三島の石原慎太郎批判はかなり有名な話だ。『諸君!』誌上で行われた石原と高坂正堯〈こうさか・まさたか〉の対談に向けたもので、石原の内部批判をする精神を厳しく衝いた(毎日新聞の夕刊に掲載)。

 批判を許さないこと自体が弱さの裏返しである。どのような神格化もたった一つの矛盾で綻(ほころ)ぶ。全体主義政党は党代表選挙すら許さない。その意味から申せば、公明党と日本共産党は誰かの独裁を認める政党である。

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2019-03-01

新しい歴史教科書をつくる会の内紛

 八木秀次が会長になった時、内紛があったようだ。初代会長を経て名誉会長を務めていた西尾幹二が「つくる会」から去ったのもこの時期である。西尾によれば、八木が反執行部に取り込まれたとのこと。この連中(新田均、勝岡寛次、内田智、宮崎正治)が実は生長の家右派系学生政治運動の出身者で気脈を通じていた。日本会議の事務総長・椛島有三〈かばしま・ゆうぞう〉や自民党の衛藤晟一〈えとう・せいいち〉も同運動に参加していたという。もともと保守というのは伝統を重んじる態度を示すものであって、さほどイデオロギー色はない。「つくる会」も当初は右翼の集まりと目されていたが、左に振れすぎた教科書内容を真ん中に戻す試みであった。ところがわずか3代目で党派性が持ち込まれたわけだ。西尾の落胆は大きかった。日本会議陰謀論は左翼の連中が描いたデタラメな構図だが、そういう誤解を招く妙な人脈があるのだろう。「つくる会」に混乱を招いた張本人の八木秀次は何と官房長官時代から安倍晋三の寵愛を受けているそうだ。

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三島由紀夫と永山則夫

永山則夫

 ・三島由紀夫と永山則夫

親子関係を通して形成される業

 その日、永山則夫〈ながやま・のりお〉は「日本人民を覚醒させる目的で以(もっ)て、天皇一家をテロルで抹殺しろ!」と東京地裁の法廷で叫んだ。永山は審理中に左翼理論を学び、徹底して無罪を訴える。4人もの人々を射殺した犯罪者が生き永らえて、天皇中心の日本を再建しようとした三島が死ぬ不思議に思いを致さざるを得ない。

日本近代史にピリオドを打った三島の自決/『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介

 自分で書いた文章を確認するために堀川惠子著『永山則夫 封印された鑑定記録』(岩波書店、2013年/講談社文庫、2017年)を読んだ。開くなり文章のよさに驚いた。「読む快感」といってよいほどの文章である。更に行間から抑制された感情がにじみ出てくる。それが私情に傾いていない。二度目の精神鑑定を行った石川義博がもう一人の主人公だ。278日を要して180ページを越す分量の鑑定書を作成した。異例中の異例といってよい。この鑑定書が採用されて二審では無期懲役の判決が下った。

 石川が実は永山との対話をずっと録音し続けていた。石川はもともと犯罪心理学のエースともいうべき存在であったが、永山の死刑が確定すると八王子で町医者に転じた。それ以降一切の精神鑑定を拒んだ。録音テープでは『無知の涙』には書かれていない幼少期からの悲惨な苦悩が赤裸々に語られていた。

増補新版 永山則夫 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

 永山といえばこの顔写真が思い浮かぶが実は精神鑑定を終えた直後に撮影された。石川医師が密かに撮ったものだ。

 思うことは多いが、私にとって意味が大きかったのは「家族そのものが業である」という事実であった。誰かが悪いわけではなかった。そして誰もが悪かった。運命の糸がマイナスに引っ張られた時、恐るべき惨劇が起こることを永山は証明した。彼の話に耳を傾ける「たった一人」の人が存在しなかった。

 三島由紀夫と永山則夫は正反対に位置しながらも、「犠牲」という生き方を選んだ点は共通している。

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