2022-02-25

意識のハード・プロブレム

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登

 ・意識とは

『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 意識は人間にとって最も身近であると同時に、不可解なまでに捕らえどころのない存在でもある。意識について他人と語り合うことはできるが、意識はその根本において、あくまで主観的であり、本人だけが内側からしか経験できない。意識とは、経験していることを経験する行為、認識していることを認識する行為、感知していることを感知する行為だ。だが、経験を経験しているのは、いったい何なのか。経験することの経験を【外から】観察し、「意識は実際にはどれだけ観察しているのだろう」と問うたらどうなるのか。
 近年、意識という現象の科学的研究を通して明らかになってきたのだが、人間は意識的に知覚するよりもずっと多くを経験している。人は、意識が考えているよりもはるかに多くの影響を、周りの世界やお互いと及ぼし合っている。意識は自分が行動を制御していると感じているが、じつはそれは錯覚にすぎないのだ。西洋文化ではこれまで、人間生活の中で意識は多大な役割を担うと思われがちだったが、じつはその役割は、ずっと小さなものだった。(中略)
〈私〉の時代の幕切れは近い。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 冒頭の一文である。これを「意識のハード・プロブレム」という。1990年代からパーソナルコンピュータの実用化で科学は長足の進歩を遂げた。宗教はというといまだにテキストを入力しているだけだ。科学は観察し測定し、仮説を立て、モデルを構築し、法則を見出す。研究は公開され、多くの科学者が検証し、更に発展させる。量子力学の歴史を少し知れば、数多くの科学者が偉大なオーケストラのようにハーモニーを奏でていることがわかる。そこにあるのは紛(まが)うことなき人類の叡智である。一方の宗教はまず協力することがない。彼らの流儀は反目である。しかも一方的に「法則」を騙(かた)りながらその実、法律レベルの決め事を教条と仰ぐだけだ。宗教よ、汝の名はドグマなり。

「認識していることを認識する行為」をメタ認知という。「メタ」には、「高次の」「超」という意味があるが、例えば自分自身を天井から見下ろすような感覚である。高次とは抽象性である。視点をグーグルアースのようにどんどん高くしてゆくことを瞑想と名づける。

 十界とは瞬間瞬間の生命の実相を説いたものだが、仏教徒でこれをきちんと理解している者を見たことがない。創価学会だと戸田城聖だけだろう。水滸会の読書会で片鱗が窺える。

 例えば職場で上司から叱責を受けたとしよう。「なんて嫌な上司なのだろう」「早く終わってくれないかな」「どうせ、私は駄目な人間なんだ」「俺なりに頑張ったことは一切評価しないわけだな」「お前の秘密をバラしてやろうか?」「今度闇討ちしてやろうかな」などの反応が予想できる。実際は、上司もまた上の管理職から怒鳴られていた、上司は家庭内に様々な問題を抱えてストレスまみれになっていた、上司の脳には腫瘍ができていて感情をコントロールすることが困難になりつつあった、上司は起死回生を賭けた投資で損が膨らんでいた、などといったケースが想像し得る。

 一つの事実から様々な物語が生まれる。脳は時間の矢に基づいて因果を紡(つむ)ぐ。この妄想機能こそが人類の業と言ってよい。

「上司は今、修羅界である」「自分は三悪道をグルグル回っている」と見なすのが十界論である。映画や小説の登場人物を見つめるのと全く同じ視点である。おわかりだろうか? 妄想とは「自我を巡る物語」なのだ。

 では、エベレストの高さ(8848m)から自分を見下ろせばどうなるのか? ま、航空機の高度と変わらない(1万m)。「私」は点ほどの大きさにもならない。その高みからすれば人類すら点以下の存在である。すなわち「私」は消える。「私」が消えれば妄想が生まれる余地はない。

2022-02-23

四十不惑と四十不或

 ・四十不惑と四十不或

『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

『論語』の中で、孔子時代にはなかった漢字から当時の文字を想像するときには、さまざまな方法を使います。一番簡単なのは、部首を取ってみるという方法です。部首を取ってみて、しかも音(おん)に大きな変化がない場合、それでいけることが多い。
「惑」の漢字の部首、すなわち「心」を取ってみる。
「惑」から「心」を取ると「或」になります。古代の音韻がわかる辞書を引くと、古代音では「惑」と「或」は同音らしい。となると問題ありません。「或」ならば孔子の活躍する前の時代の西周(せいしゅう)期の青銅器の銘文にもありますから、孔子も使っていた可能性が高い。
 孔子は「或」のつもりで話していたのが、いつの間にか「惑」に変わっていったのだろう、と想像してみるのです。(中略)
「或」とはすなわち、境界によって、ある区間を区切ることを意味します。「或」は分けること、すなわち境界を引くこと、限定することです。藤堂明保(あきやす)氏は不惑の「惑」の漢字も、その原意は「心が狭いわくに囲まれること」であるといいます(『学研漢和大字典』学習研究社)。
 四十、五十くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。『自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、狭い枠で囲って限定しがちになります。
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは「【そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない】」という意味になります。そうなると「四十は惑わない年齢だ」というのは全然違う意味になるのです。

【『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登〈やすだ・のぼる〉(春秋社、2009年/新潮文庫、2018年)】

 整理すると孔子が生まれる500年前に「心」という文字はあったがまだまだ一般的ではなかった。そして『論語』が編まれたのは孔子没後500年後のことである。

」の訓読みにはないが、門構えを付けると「(くぎ)る」と読める。そうなると「不或」は「くぎらず」「かぎらず」と読んでよさそうだ(或 - ウィクショナリー日本語版)。

「心」の字が3000年前に生まれたとすれば、ジュリアン・ジェインズが主張する「意識の誕生」と同時期である。私の昂奮が一気に高まったところで、きちんと引用しているのはさすがである。安田登はここから「心」(しん)と「命」(めい)に切り込む。

 意識=心の誕生が3000年前だと仮定しよう。3000年より前は万人が統合失調症であり、左右の脳は分離していた。意識が脳を統合するようになり、左脳の論理で右脳の声(幻聴)は抑圧された。私の脳裏に浮かんだのは「ただ心こそ大切なれ」との言葉である。今少しばかり検索してみたのだが、やはり真蹟には存在しない。こんな通俗的な言葉を重んじる方がおかしい。教義とは無関係な道徳レベルである。

 意識の出現と同時に「歴史」が誕生する。そして枢軸時代が訪れるのだ。ジュリアン・ジェインズはかなり難解なので、トール・ノーレットランダーシュを読んでから進むのがいいだろう。



御書の系年研究 若江賢三

日蓮から離れてゆく創価学会


 まるで習近平礼賛と変わりがない。個人崇拝は必ず独裁に通じる。誤った志向というよりは、他に手がないのだろう。本来であれば日蓮からブッダに向かう道筋が正しいと思われるが、逆方向へ突き進むようだ。初代・二代会長の言動からこうした方向性を見出すことはできない。すなわち初代・二代会長のテキストをもって批判することが可能である。更に外部の人間を招いて「信仰を学問する」馬鹿馬鹿しさに気づかないのだろうか? 「創学」というネーミングも創価班の無線用語を思わせ、センスがない。

 現在の執行部が考えているのは、池田の印税を中心とした遺産相続と、池田没後の記念事業、池田大作選集などを刊行し持続的なスピーチ学習を行うことなどではあるまいか。公明党については中国共産党と自民党との間で揺れ続けることだろう。

 池田の現役時代ですら西口のような老練な実力者を排除することができなかった。本部の目が届きにくい地方で利殖に励む幹部が陸続と現れることだろう。

2022-02-16

創価学会のデタラメな歴史認識

韓国の立場 2001-08-19

 歴史に「if(もし)」はあり得ないが、韓国から日本が侵略されたとするとどうなるだろう?

 恫喝、奸計(かんけい)、暗殺、大量虐殺――その挙げ句、日本は韓国に“併合”され、日本という国家は無くなり、韓国人に“統治”される。

「私ドモハ、大韓帝国臣民デアリマス」と職場でも学校でも暗誦させられ、嫌がれば、容赦なく殴り飛ばされる。

「我々に服従するか、さもなければ死ね!」

 姓も強制的に“金(キム)”や“李(イー)”“朴(パク)”などに変えさせられてしまう。韓国人の“祖”を強制的に拝ませられる。

“国語”が日本語から韓国語になる。子供達も、学校で日本語を使うと、厳しく屈辱的な罰をくらう。

 先祖伝来の土地も詐欺まがいの手口で奪い取られて、小作人にされ、作った米は持ち去られる。「日本人は粟(あわ)でも食ってろ」と言われるが、その粟飯ですら三度三度は食べられない。ふるさとを捨てて“在韓日本人”になると、子供や孫まで徹底的に差別される。

 可愛い娘が、恋人が、突然、拉致(らち)され、騙され“従軍慰安婦”にされる。男は強制連行されて、鉱山などで奴隷のごとく酷使される。

 かような状況下でじっとおとなしくしていられる人間がいるであろうか?

 だが、抵抗しようものなら逮捕され、鉄棒で殴打され、爪を剥がされ、ありとあらゆる拷問が待っていた。

“憲兵”は、裁判もせず、勝手に刑罰を加えてよいことになっていた。

 これは日本が韓国に対して行った歴史的な事実の一部に過ぎない。

 その上、戦後になっても、深刻な反省もなく、心に届く謝罪もしなかった。それどころか「あんたの国に『よかれ』と思ってやったんだ」とか「我が国が植民地にしたおかげで、鉄道ができ、港ができ、『近代化』したんじゃないか」などと言う。

 言うまでもなく韓国に日本が造った施設は、全て“日本の企業を富ませるため”であった。

 韓国から人も資源も土地も富も搾り取ることによって、初めて近代日本は“発展”した。これが歴史の真相である。

「日本に誇りが持てなくなるから」などという理由によって、若い世代に歴史の真実を教えようとしない。だが、真実から目を背けないと保てない“誇り”とは何であろうか。それは“虚勢”や“独りよがり”に他ならない。

 これは池田大作のテキストをほぼそのままパクって書評ブログに掲載したものだ。あまりにも恥ずかしいので削除した。新しい歴史教科書をつくる会ができたのが1996年(平成8年)である。山野車輪作『マンガ嫌韓流』が2005年で、これ以降、戦後教育の自虐史観が知られるようになった。同時進行で、中国韓国の反日デモや反日教育が報じられた。実生活においても同様だが、自分を嫌う相手をわざわざ好きになることはない。日本人が抱いた小さな違和感はやがて嫌悪感に育ってゆく。

 池田テキストをパクったのは、もちろん感動したからである。私は鵜呑みにした。ところが今読むとまるでデタラメなのだ。はっきり言って「馬鹿丸出し」のレベルである。池田のゴーストライター部隊が左翼シンパであることがよく理解できる。

 日韓併合(1910年/明治43年)当時、朝鮮人の文盲率は90%を超えていた。1905年、朝鮮半島に小学校は40校しかなかった。日韓併合後、日本が真っ先に行ったのが小学校をつくることだった。国家予算を投入して1943年までに4271の小学校を開校し、一つの村に二つの学校を実現した。

「漢字こそが文字であり、民族固有の文字など有り得ない」(集賢殿〈チッピョンジョン/国家及び王室のための研究機関であり諮問機関〉の副提学だった崔萬里〈チェマンリ〉)。

 朝鮮は長らく清(しん)の属国であったために、特権階級は漢文を書き、公文書も漢文が使用されていた。ところが日常会話は朝鮮語だった。ここで頭を悩ました日本は便利な言葉を発見する。それがハングルだった。両班(ヤンバン)からは「劣等文字」「下賤の者が使う文字」として蔑まされていたが、日本政府は小学校で必修科目にする。

 朝鮮半島には印刷所も製本所もなかった。最初のハングルの教科書は東京で印刷・製本を行った。

 わずか30年足らずで文盲率は40%に下がった。

 日本が作ったのは小学校だけではありません。24の専門学校、75の中学校、75の高等女学校、133の実業高校、145の続く実業補修学校、一つの大学予科を作りました。36年間で建てたすべての公立学校の総数は5000校近くになります。1年半で約140校です。
 日本はさらに22の師範学校まで作りました。つまり教師も養成して、この教育制度を永続させようとしたのです(当時作られた師範学校の多くが後に韓国の国立大学になっています)。(中略)
 驚くことに、日本は朝鮮に帝国大学まで作っています。
 それまで日本には五つの帝国大学がありましたが、京城帝国大学は6番目に作られました。ちなみに7番目に作られたのは台湾の台北帝国大学です。大阪帝国大学と名古屋帝国大学はこの後に作られました(京城帝国大学は1924年、台北帝国大学は1928年、大阪帝国大学は1931年、名古屋帝国大学は1939年です)。
 つまり日本は小学校の義務教育だけでは飽き足らず、朝鮮人を大学まで教育しようとしたのです。大阪と名古屋を後回しにしてまでです。しかも京城帝国大学の図書館予算は東京帝国大学の10倍もありました。(中略)
 実は日本が教育を強制したのは子供たちだけではありません。総督府は村々に建てた公会堂で夜に字の読めない大人にハングルや日本語を教えたのです。

【『今こそ、韓国に謝ろう そして、「さらば」と言おう』百田尚樹〈ひゃくた・なおき〉(飛鳥新社、2017年/文庫版、2019年)】

創氏改名」についてはWikipediaを参照せよ。

 朝鮮のおぞましい風習であった「試し腹」をやめさせたのも日本である。

 学生運動が下火となった1970年代以降にあっても、「日本を貶(おとし)めること」が知性の証であった。アカデミズムの世界では今でもそれを踏襲している。そんなに日本が嫌なら出ていけばいいのだが、彼らはそれすらもできない。

 池田に限らず日蓮系では断章取義が横行している。切り文(もん)を王手と言わんばかりに振りかざすのが多い。

2022-02-11

教祖のトリック

 意外と簡単なトリックでも人は騙されることがよくわかる。脳には時系列で因果関係を辿る癖があり、これが認知バイアスの原因となる。カナダのドッキリ番組。

2022-02-09

「スコラ哲学と現代文明」の疑問

 このように、スコラ哲学は、単なる神学の婢(はしため)、中世暗黒時代の象徴などではなく、近世、近代の出発点としてとらえ直すことができるわけでありますが、更に深く考えると、それ自体においても、一つの文化の大きく輝いた栄光の時代であったと、みなければならない。

【「スコラ哲学と現代文明」創価大学第2回滝山祭記念講演 1973.7.13】

 この講演は若い時分に何度か読んでいるがチンプンカンプンであった。それ以降もスコラ哲学に関する知識は皆無のままである。ざっと通読したが牽強付会の謗りを免れないように思う。個人的には以下の短い記述の方が腑に落ちる。

 15世紀頃からはじまった西欧ルネサンスは、宗教の束縛からの人間精神の解放劇であった。その幕があけて、始(ママ)めて自然科学の発展も可能になる。それまではアリストテレスの流れをくむスコラ哲学によってすべての自然現象が解釈され、キリスト教会の権威づけの手段としてもちいられた。当時のキリスト教会は精神面だけではなく政治的にも有力な支配者であったからコペルニクス、ケプラー、ガリレオといった時代の先駆者たちは、精神と政治の両方の権威にたいする挑戦者でもあり、幾多の迫害を受けることになる。

【『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也〈まつだ・たくや〉、二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉(丸善フロンティア・サイエンス・シリーズ、1987年)】

 直前には「このアリストテレスの説が権威となって、それが後にキリスト教会の権威と結び付き、ヨーロッパの科学は16世紀まで続く暗黒時代に入っていくのである」とも。教会の権威に鉄槌を振り下ろし、近代の幕を開いたのは科学であった。知識が広まると教会の嘘は通用しなくなった。ヨーロッパ社会の近代化を実際に促進したのは金融である。「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)における株式会社の創設と、銀行システムの成立が経済革命となった。

 アリストテレスの学説はあまりにも偉大であったがために、長くヨーロッパ人の脳を束縛してしまったのだ。権威がまさに崩壊する前段階のヒステリーとして魔女狩りの嵐が吹き荒れる。同時に彼らは帝国主義の兵士として世界中で虐殺を開始する。これを防ぎ得たのは日本だけであった。鎖国を可能にしたのは世界最大の軍事力であった。

2022-02-06

法華経を朗読する

 われわれは形式上は釈尊がその晩年にインドの霊鷲山(りょうじゅせん)において『法華経』を説いたとしているが、実際には近代の文献学的研究や調査から、この経典が釈尊の死後約700年ごろ、おそらくは紀元2世紀の終わりごろに現在の形に編纂され、書きとめられ、流布したことがわかっている。

【『法華経の省察 行動の扉をひらく』ティク・ナット・ハン:藤田一照〈ふじた・いっしょう〉訳(春秋社、2011年)】

 少し前に知人の見舞いに行った。隣のベッドにいたオバアサンが経典を持っていた。すかさず声を掛けて見せてもらったところ平楽寺書店版の法華経であった。かなり高齢の方で文字を読むのも難儀していることが見てとれた。「私が読みましょうか?」と言うとニッコリ笑って会釈をされた。病室が閑散としていたこともあって、そこそこ本気で読んだ。

 私の読み方はかなり独特で気魄を前面に押し出す。和泉ミヨ(和泉覚夫人)さんの読み方に小節(こぶし)をきかせたような代物だ。前にも御書を読んだエピソードを紹介した(御書)。振り仮名が創価学会版と異なり少々苦労したが一気に読み上げた。

 オバアサンは涙を流して喜んでくれた。「胸の中に染み込んできた」「聞いていて手足が軽くなった」とまで語った。帰り際に握手をすると1分以上離さず喋り続けた。

 法華経はブッダが説いたものではない。私は過去に創価学会版を一度通読したのみであるが、今後読むことはないだろう。ブッダの教えから派生した物語や詩と捉えることも可能だろうが、悟性に乏しいと感じる。

 法華経の壮大なストーリーを称賛する人々は多いが、法華経からさかのぼってブッダの教えに迫った人を見た例(ためし)がない。ティク・ナット・ハンの試みは稀有と言っていいだろう。たぶん友岡さんも尊敬していた人物だ。「社会参画仏教」(Engaged Buddhism)の命名者である。