・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『論語』の中で、孔子時代にはなかった漢字から当時の文字を想像するときには、さまざまな方法を使います。一番簡単なのは、部首を取ってみるという方法です。部首を取ってみて、しかも音(おん)に大きな変化がない場合、それでいけることが多い。
「惑」の漢字の部首、すなわち「心」を取ってみる。
「惑」から「心」を取ると「或」になります。古代の音韻がわかる辞書を引くと、古代音では「惑」と「或」は同音らしい。となると問題ありません。「或」ならば孔子の活躍する前の時代の西周(せいしゅう)期の青銅器の銘文にもありますから、孔子も使っていた可能性が高い。
孔子は「或」のつもりで話していたのが、いつの間にか「惑」に変わっていったのだろう、と想像してみるのです。(中略)
「或」とはすなわち、境界によって、ある区間を区切ることを意味します。「或」は分けること、すなわち境界を引くこと、限定することです。藤堂明保(あきやす)氏は不惑の「惑」の漢字も、その原意は「心が狭いわくに囲まれること」であるといいます(『学研漢和大字典』学習研究社)。
四十、五十くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。『自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、狭い枠で囲って限定しがちになります。
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは「【そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない】」という意味になります。そうなると「四十は惑わない年齢だ」というのは全然違う意味になるのです。
【『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登〈やすだ・のぼる〉(春秋社、2009年/新潮文庫、2018年)】
整理すると孔子が生まれる500年前に「心」という文字はあったがまだまだ一般的ではなかった。そして『論語』が編まれたのは孔子没後500年後のことである。
「或」の訓読みにはないが、門構えを付けると「閾(くぎ)る」と読める。そうなると「不或」は「くぎらず」「かぎらず」と読んでよさそうだ(或 - ウィクショナリー日本語版)。
「心」の字が3000年前に生まれたとすれば、ジュリアン・ジェインズが主張する「意識の誕生」と同時期である。私の昂奮が一気に高まったところで、きちんと引用しているのはさすがである。安田登はここから「心」(しん)と「命」(めい)に切り込む。
意識=心の誕生が3000年前だと仮定しよう。3000年より前は万人が統合失調症であり、左右の脳は分離していた。意識が脳を統合するようになり、左脳の論理で右脳の声(幻聴)は抑圧された。私の脳裏に浮かんだのは「ただ心こそ大切なれ」との言葉である。今少しばかり検索してみたのだが、やはり真蹟には存在しない。こんな通俗的な言葉を重んじる方がおかしい。教義とは無関係な道徳レベルである。
意識の出現と同時に「歴史」が誕生する。そして枢軸時代が訪れるのだ。ジュリアン・ジェインズはかなり難解なので、トール・ノーレットランダーシュを読んでから進むのがいいだろう。
・御書の系年研究 若江賢三
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