2022-02-16

創価学会のデタラメな歴史認識

韓国の立場 2001-08-19

 歴史に「if(もし)」はあり得ないが、韓国から日本が侵略されたとするとどうなるだろう?

 恫喝、奸計(かんけい)、暗殺、大量虐殺――その挙げ句、日本は韓国に“併合”され、日本という国家は無くなり、韓国人に“統治”される。

「私ドモハ、大韓帝国臣民デアリマス」と職場でも学校でも暗誦させられ、嫌がれば、容赦なく殴り飛ばされる。

「我々に服従するか、さもなければ死ね!」

 姓も強制的に“金(キム)”や“李(イー)”“朴(パク)”などに変えさせられてしまう。韓国人の“祖”を強制的に拝ませられる。

“国語”が日本語から韓国語になる。子供達も、学校で日本語を使うと、厳しく屈辱的な罰をくらう。

 先祖伝来の土地も詐欺まがいの手口で奪い取られて、小作人にされ、作った米は持ち去られる。「日本人は粟(あわ)でも食ってろ」と言われるが、その粟飯ですら三度三度は食べられない。ふるさとを捨てて“在韓日本人”になると、子供や孫まで徹底的に差別される。

 可愛い娘が、恋人が、突然、拉致(らち)され、騙され“従軍慰安婦”にされる。男は強制連行されて、鉱山などで奴隷のごとく酷使される。

 かような状況下でじっとおとなしくしていられる人間がいるであろうか?

 だが、抵抗しようものなら逮捕され、鉄棒で殴打され、爪を剥がされ、ありとあらゆる拷問が待っていた。

“憲兵”は、裁判もせず、勝手に刑罰を加えてよいことになっていた。

 これは日本が韓国に対して行った歴史的な事実の一部に過ぎない。

 その上、戦後になっても、深刻な反省もなく、心に届く謝罪もしなかった。それどころか「あんたの国に『よかれ』と思ってやったんだ」とか「我が国が植民地にしたおかげで、鉄道ができ、港ができ、『近代化』したんじゃないか」などと言う。

 言うまでもなく韓国に日本が造った施設は、全て“日本の企業を富ませるため”であった。

 韓国から人も資源も土地も富も搾り取ることによって、初めて近代日本は“発展”した。これが歴史の真相である。

「日本に誇りが持てなくなるから」などという理由によって、若い世代に歴史の真実を教えようとしない。だが、真実から目を背けないと保てない“誇り”とは何であろうか。それは“虚勢”や“独りよがり”に他ならない。

 これは池田大作のテキストをほぼそのままパクって書評ブログに掲載したものだ。あまりにも恥ずかしいので削除した。新しい歴史教科書をつくる会ができたのが1996年(平成8年)である。山野車輪作『マンガ嫌韓流』が2005年で、これ以降、戦後教育の自虐史観が知られるようになった。同時進行で、中国韓国の反日デモや反日教育が報じられた。実生活においても同様だが、自分を嫌う相手をわざわざ好きになることはない。日本人が抱いた小さな違和感はやがて嫌悪感に育ってゆく。

 池田テキストをパクったのは、もちろん感動したからである。私は鵜呑みにした。ところが今読むとまるでデタラメなのだ。はっきり言って「馬鹿丸出し」のレベルである。池田のゴーストライター部隊が左翼シンパであることがよく理解できる。

 日韓併合(1910年/明治43年)当時、朝鮮人の文盲率は90%を超えていた。1905年、朝鮮半島に小学校は40校しかなかった。日韓併合後、日本が真っ先に行ったのが小学校をつくることだった。国家予算を投入して1943年までに4271の小学校を開校し、一つの村に二つの学校を実現した。

「漢字こそが文字であり、民族固有の文字など有り得ない」(集賢殿〈チッピョンジョン/国家及び王室のための研究機関であり諮問機関〉の副提学だった崔萬里〈チェマンリ〉)。

 朝鮮は長らく清(しん)の属国であったために、特権階級は漢文を書き、公文書も漢文が使用されていた。ところが日常会話は朝鮮語だった。ここで頭を悩ました日本は便利な言葉を発見する。それがハングルだった。両班(ヤンバン)からは「劣等文字」「下賤の者が使う文字」として蔑まされていたが、日本政府は小学校で必修科目にする。

 朝鮮半島には印刷所も製本所もなかった。最初のハングルの教科書は東京で印刷・製本を行った。

 わずか30年足らずで文盲率は40%に下がった。

 日本が作ったのは小学校だけではありません。24の専門学校、75の中学校、75の高等女学校、133の実業高校、145の続く実業補修学校、一つの大学予科を作りました。36年間で建てたすべての公立学校の総数は5000校近くになります。1年半で約140校です。
 日本はさらに22の師範学校まで作りました。つまり教師も養成して、この教育制度を永続させようとしたのです(当時作られた師範学校の多くが後に韓国の国立大学になっています)。(中略)
 驚くことに、日本は朝鮮に帝国大学まで作っています。
 それまで日本には五つの帝国大学がありましたが、京城帝国大学は6番目に作られました。ちなみに7番目に作られたのは台湾の台北帝国大学です。大阪帝国大学と名古屋帝国大学はこの後に作られました(京城帝国大学は1924年、台北帝国大学は1928年、大阪帝国大学は1931年、名古屋帝国大学は1939年です)。
 つまり日本は小学校の義務教育だけでは飽き足らず、朝鮮人を大学まで教育しようとしたのです。大阪と名古屋を後回しにしてまでです。しかも京城帝国大学の図書館予算は東京帝国大学の10倍もありました。(中略)
 実は日本が教育を強制したのは子供たちだけではありません。総督府は村々に建てた公会堂で夜に字の読めない大人にハングルや日本語を教えたのです。

【『今こそ、韓国に謝ろう そして、「さらば」と言おう』百田尚樹〈ひゃくた・なおき〉(飛鳥新社、2017年/文庫版、2019年)】

創氏改名」についてはWikipediaを参照せよ。

 朝鮮のおぞましい風習であった「試し腹」をやめさせたのも日本である。

 学生運動が下火となった1970年代以降にあっても、「日本を貶(おとし)めること」が知性の証であった。アカデミズムの世界では今でもそれを踏襲している。そんなに日本が嫌なら出ていけばいいのだが、彼らはそれすらもできない。

 池田に限らず日蓮系では断章取義が横行している。切り文(もん)を王手と言わんばかりに振りかざすのが多い。

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