2020-10-20

聖教新聞戸別配達の変更について

聖教新聞の配達を読売新聞が担当することになったワケ

 ・聖教新聞戸別配達の変更について



2020-10-13

自民党大阪府連と党員、そして支持者が口が裂けても言わなかったこと

 長年にわたる赤字財政の上に踏ん反り返ってきた公明党の責任を問う声は学会内部から聞こえてこない。

2020-10-10

敗戦に打ちひしがれる日本国民をいち早く励ました石原莞爾

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 ・敗戦に打ちひしがれる日本国民をいち早く励ました石原莞爾

 8月31日の東亜連盟宇都宮支部の講演会が、石原の第一声だった。誰もが、これからの日本はどうなるのか、不安だった。関東の会員たちは、あちこちから宇都宮に集まり石原の講演を聞きにきていた。その数は5000人程で、会場に入れない者は外で聞いていた。
 この日の石原の第一声は、「皆さん、敗戦は神意なり!」だった。そして、
「負けてよかった! 勝った国は今後、益々軍備増強の躍進をするであろうが、日本は国防費が不用になるから、これを内政に振り向ける。戦争で蒙った国土の荒廃は、10年で回復しますよ!」
「どうです皆さん! 何も悲観することはありません。後のカラスが先になるんです。敗れた日本が世界史の先頭に立つ日がくるのですよ!」
「アメリカが、日本から賠償として取り立てたいなら、美術品でもなんでも持っていくがよい。どうせ世界は一つになるのだから、アメリカに日本の美術館が立ってもいいじゃないですか。丁寧に保存もしてくれるでしょうから。あとで我々が見に行けばいいじゃないですか。焦土の中で、世界に先駆けて文化的な密度の高い平和社会を創るのです。人間、裸ほど強いものはありませんよ!」
 この時、会場内では、すすり泣く声が聞こえた。床を足でならす者もいた。
 この日の第一声から、石原は東北地方の各支部を回って、演説して歩いた。その逆境に立ち向かう姿は、石原が信奉する日蓮のようだった。まるで日蓮が石原に乗り移ったみたいだった。太いダミ声で、吠えるが如く話す石原の声は、マイクなしで外まで聞こえた。

【『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之(双葉新書、2013/双葉文庫、2016年)】

 創価学会員は石原莞爾〈いしわら・かんじ〉と戸田城聖を比較してみるとよい。石原は戸田よりも一回りほど年長である。満州事変でその名を世界に轟かせ、二・二六事件では青年将校になびく軍首脳を尻目に、現場へ足を運んだ。小室直樹は「軍事的天才」と称賛を惜しまない。満州国の建国会議では日蓮宗の曼荼羅を掲げた。東京裁判の酒田出張法廷では一人気を吐いてみせた。昭和24年(1949年)死去。遺体を載せたリヤカーを引いたのは後に極真会館を立ち上げた大山倍達〈おおやま・ますたつ〉であった。

創価学会を脱会する意思を示す放送作家


保志 学 プロフィール|講演依頼・講師派遣のシステムブレーン