tag:blogger.com,1999:blog-74860699753895586902024-03-16T10:12:45.819+09:00斧節【onobushi】混ぜるな危険小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.comBlogger2950125tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-91492635746561413572022-04-05T14:41:00.003+09:002022-04-05T14:42:41.040+09:00はてなに引っ越し はてなに引っ越した。先立つ不幸をお許し下さい。
・斧節 https://onobushi.hatenablog.jp/小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-72702281187481127572022-03-18T10:02:00.001+09:002022-03-18T13:53:47.796+09:00信仰とは観念操作 しかし人間は誰でも、自分の注意や願望に反して、何故こんな不幸不運が起るのか、と思い疑う。
それについて、転んだのはただの過失であり、不運は不運でしかない。その内に運も向くだろう、と言うのでは答にならぬし、人々も満足はしまい。
そうした原因については、訳がある。その訳を極め、それを正せば、それから抜け出すことが出来る、と言うことで初めて、人間の求めている救いがある。
宗教は、その訳を、即ち、眼に見えぬものの力、即ち、神、心霊の力に依るものであるとし、ジェイムズの言うが如くに、その力の秩序に順応することで、安心立命があり、救済がある、とする。
その秩序への順応、即ち信仰と言っても、それにはいろいろな段階があろうが、その初めは矢張り、一つの体験によって、その力の秩序の存在を感じ、知ると言うことに他ならない。
信仰と言うのは、或る意味であくまでも一つの観念操作だが、しかし、その基点と小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-50416550454236907312022-03-16T22:21:00.006+09:002022-03-16T22:25:10.363+09:00正真正銘の数学の天才・ラマヌジャン・『妻として母としての幸せ』藤原てい
・『流れる星は生きている』藤原てい
・『若き数学者のアメリカ』藤原正彦
・『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』藤原正彦
・正真正銘の数学の天才・ラマヌジャン
・『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル
・『祖国とは国語』藤原正彦
・『国家の品格』藤原正彦
ラマヌジャンは「我々の100倍も頭がよい」という天才ではない。「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくとも、2年以内に誰かが発見したであろうと言われる。数学や自然科学における発見のほとんどすべてには、ある種の論理的必然、歴史的必然がある。だから「10年か20年もすれば誰かが発見する」のである。
【『数学者列伝 天才の栄光と挫折』藤原正彦〈ふじわら・まさひこ〉(新潮選書、小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-80469497729938606262022-03-14T15:36:00.002+09:002022-03-14T15:37:48.780+09:00自由と不自由 私たちのほとんどは、安心したいのではないですか。なんてすばらしい人たちだ、なんて美しく見えるんだ、なんととてつもない智慧があるんだろう、と言われたいのではないですか。そうでなければ、名前の後に肩書きをつけたりしないでしょう。そのようなものはすべて、私たちに自信や自尊心を与えてくれます。私たちはみんな有名人になりたいのです。そして、何かに【なりたく】なったとたんに、もはや自由ではないのです。
ここを見てください。それが自由の問題を理解する本当の手掛かりだからです。政治家、権力、地位、権威というこの世界でも、徳高く、高尚に、聖人らしくなろうと切望するいわゆる精神世界でも、えらい人になりたくなったとたんに、もはや自由ではないのです。しかし、これらすべてのことの愚かしさを見て、そのために心が無垢であり、えらい人になりたいという欲望によって動かない人――そのような人は自由です。この単純さが理解小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-65447029859845352302022-03-13T16:06:00.003+09:002022-03-13T16:06:38.839+09:00『ウクライナ・オン・ファイヤー』日本語字幕(字幕改正版) オリバー・ストーンは左翼として知られる映画監督だ。慎重に見る必要がある。
小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-79745976459298801822022-03-10T01:45:00.006+09:002023-02-11T00:55:09.656+09:00虚実・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・虚実
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
田文(でんぶん)は夏候章(かこうしょう)に会い、
「なにが人を狂わせるのだろう」
と、謎をかけるようなことをいった。
夏候章という読書ずきの少年は、すかさず、
「虚(きょ)です」
と、こたえた。謎にたいして謎でこたえたようなものである。
田文は夏候章をみつめた。説明を待つ表情である。
「虚に実(じつ)はないのに、実をそこにみようとするから、狂うのです」
【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)】
孟嘗君〈もうしょうくん〉=田文は戦国四君の一人。宮城谷作品の中で最も血湧小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-53919511022254028632022-03-09T20:12:00.004+09:002022-03-10T18:53:25.762+09:00日本仏教に与えた道家の影響 今の官制の中に、典薬寮の職員として呪禁師(じゅごんし)、呪禁博士などがあったが、僧や民間人の中でも、書符や薬を調合して病人に接する者、山林に隠れ住み、道術、呪術、幻術に熱心だった者も多かったことを窺わせる。
しかも仏法と偽ってまでそれを行う。この辺にすでに後世の山伏、行者の淵底、密教的萌芽や占術、山人の日本的民間信仰の台頭があったのではなかったか。抑圧されながらも仏教や神道と結びつき、巧みに融和しながら生きつづけ、独自な形態をも発展させていったのではなかろうか。
それほどに、こうした道術符呪の類は、一般民衆にとっても時の政権担当者にとっても魅惑的、吸引性を持つ存在だったと思われる。
「沙門にして擅に本寺を去り、山林に陰住し」て、人の依頼を受け、邪法を行う者が往々にしてある。これは絶対に許せない。「よろしく諸国の司部内を巡検し、あるところの山林の精舎、ならびに居住する」尼僧、僧侶を見小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-62621204764965144962022-03-09T08:48:00.008+09:002023-02-11T01:00:41.201+09:00諫言の人・晏嬰〈あんえい〉・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・政情不安
・諫言の人・晏嬰〈あんえい〉
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
蔡朝〈さいちょう〉は慎重な言葉づかいで「このたび、御尊父は将軍になられた。そこで、ご嫡男であるあなたは、留守中はどんなことに心がけなさるのか」と問うた。この時、晏嬰〈あんえい〉は10歳である。
「君公のご安寧を念じております」
晏嬰〈あんえい〉の声の大きさに、蔡朝〈さいちょう〉はおどろいた。蔡朝ばかりではない、南郭偃〈なんかくえん〉も目をみはった。
「君公の……、ふむ、それから」
父が戦場にいるときでも、まず君主のぶじを祈るという晏嬰〈あんえい〉の心の姿勢に感心した。蔡朝は、かれにしては小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-34576613472109091462022-03-08T15:32:00.006+09:002023-02-11T01:00:50.166+09:00陰徳・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・陰徳
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
「籍沙〈せきさ〉さん、人にわかる悪や善については、わたしにもわかるような気がしますが、人にわからない悪や善については、どうですか」
「ふむ、さすがに介推は深みのある質問をするな。人にわからぬ悪を陰悪(いんあく)といい、人にわからぬ善を陰徳という」
【『介子推』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)】
文公は介推〈かいすい〉の陰徳を見逃し、悔いを千載に残す。静かに去っていった介推を、後世の人々は文公以上に称賛した。
陽報を目指すのは陰徳ではあるまい。陰悪に染まった人は幸福の感度が狂って小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-64545581998922238212022-03-08T03:22:00.007+09:002023-02-11T01:00:57.268+09:00稽首妙法蓮華経・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・稽首妙法蓮華経
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
稽首(けいしゅ)も稽顙(けいそう)もひたいを地につける礼である。
【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)】
稽首の意味を初めて知った。
天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云
【「当体義抄」】
同抄を偽作とする向きも多い。「そもそも最蓮房なんて人物は本当にいたのか?」という指摘まである。
・PDF:偽撰遺文の類型的分類の試み(二) 『立証観抄』を中心とする最蓮房宛偽撰遺文群
・PDF:最蓮房あて御書の一考察:中條暁小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-51494166975048195262022-03-08T01:08:00.007+09:002022-03-10T02:28:36.262+09:00誰とでも仲良くしてはいけない・活字文化の担い手「新聞配達員」を救え!
・『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
・誰とでも仲良くしてはいけない
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
友だちを作るうえで、何よりも大切な原則があります。それは、
【命題2】☆誰とでも仲良くしてはいけない
ということです。これが友だちづくりの大原則です。誰とでも仲良くしようとすれば、友だちを作るのはほぼ絶望的です。なぜかというと、世の中には、押し付けをしてくる人がたくさんいるからです。誰とでも仲良くするということは、こういった押し付けをしてくる人とも、ちゃんと付き合うことを意味します。
自分を人間として尊重してくれる人と、自分に押し付けをしてくる人とを、分け小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-43349745512503511562022-03-07T14:27:00.003+09:002022-03-07T14:27:57.066+09:00創価学会破門通告 それにしても近頃は色んな動画があるもんだね。創価学会の文化祭映像はどこか北朝鮮を思わせるし、寺院での罵り合いは紅衛兵を想起させる。
小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-36596856776155936772022-03-07T09:31:00.005+09:002022-03-08T15:35:45.616+09:00東大話法規則一覧・活字文化の担い手「新聞配達員」を救え!
・魂の脱植民地化
・東大話法規則一覧
・『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
東大話法規則一覧
1.自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
2.自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
3.都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
4.都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
5.どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
6.自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
7.その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
8.自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-84239894452509393562022-03-05T23:35:00.004+09:002022-03-08T01:15:27.027+09:00魂の脱植民地化・活字文化の担い手「新聞配達員」を救え!
・魂の脱植民地化
・東大話法規則一覧
・『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
こうして私は「魂の脱植民地化」という問題を考えるようになりました。魂が植民地化されていると人は、自分自身の地平ではなく、他人の地平を生きるようになります。自分自身の感じる幸福ではなく、他人が「幸福」だと考えることを追求するようになるのです。このような生き方に追い込まれた人間は、水分子とさしたる違いはなくなり、条件さえ揃えば簡単に暴走します。その状態からの離脱が「魂の脱植民地化」です。
【『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(明石書店、2012年)】
「小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-47982030229731285072022-03-03T16:07:00.005+09:002022-03-16T21:23:39.894+09:00武士の情け・『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
・『大空のサムライ 死闘の果てに悔いなし』坂井三郎
・武士の情け
・『今日われ生きてあり』神坂次郎
・『月光の夏』毛利恒之
・『神風』ベルナール・ミロー
正式に紹介がある前の(ティベッツ)大佐はひどく緊張したご様子でした。父に何か別の意図があるのではないかと危惧されていたのかもしれません。
挨拶の後、父は言いました。
「あなたがどういうミッションを実行したかは、知っています。私もたくさんのアメリカ機を落としました。私は軍人ですから、軍人としてのあなたを批判するつもりは全くありませんし、できません」
父はさらに続けました。
戦争の一つ一つの戦局で、どこにどういう攻撃をしかけるかは、前線で実際の戦闘に臨む軍人が決めることではありません。原爆投下もあなたが決定したものでなく、あなたは上部からの小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-35071103560236381542022-03-02T23:38:00.009+09:002022-03-02T23:41:56.012+09:00自由意思と予定説・『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・自由意思と予定説
私たちの行動は、随伴的な現象にすぎない。シャドワース・ホジソンが言うように、意識が持つ感情は、色そのものによってではなく、色のついた無数の石によってまとまりを保っている、モザイクの表面の色にすぎない。あるいは、トマス・ヘンリー・ハクスリーがある有名な論文で主張したように、「我々は意識を持つ自動人形である」。汽笛が列車の機械装置や行く先を変えられないのと同じように、意識も体の動きの仕組みや行動を変えられない。どうわめいたところで、列車の行き先はとうの昔に線路によって決められているのだ。意識とは、ハープから流れてくる弦をつまびくことのできぬメロディ、川面から勢いよく飛び散るものの、流れを変えられぬ泡、歩行者の歩みに忠実小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-19878407559136007492022-03-02T23:13:00.005+09:002022-03-07T13:44:27.127+09:00戸田先生の清らかなお題目 初めて聞いた時は吃驚した。同時中継(電話回線)だったか衛星中継だったかは記憶が定かではない。私は勤行・唱題の姿勢と発声に関してかなりうるさい。全く遠慮も躊躇もなく後輩に指摘しまくった。声が「その人のその場の生命の反響です」との指導を肝に銘じていた。戸田の声は晴朗で作為がない。それに対して池田の発音は不明瞭で白馬の脚がもつれているような歯切れの悪さだ。結婚したばかりの香峯子夫人が勤行をしない池田の姿に驚いたというのは有名なエピソードだ。
小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-78299408351920981812022-02-25T19:26:00.007+09:002022-03-02T23:40:20.973+09:00意識のハード・プロブレム・『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
・意識とは
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
意識は人間にとって最も身近であると同時に、不可解なまでに捕らえどころのない存在でもある。意識について他人と語り合うことはできるが、意識はその根本において、あくまで主観的であり、本人だけが内側からしか経験できない。意識とは、経験していることを経験する行為、認識していることを認識する行為、感知していることを感知する行為だ。だが、経験を経験しているのは、いったい何なのか。経験することの経験を【外から】観察し、「意識は実際にはどれだけ観察しているのだろう」と問うたらどうなるのか。
近年、意識という現象の科学的研究を通して明らかになってきたのだが、人間は意識的に知覚するよりもずっと多くを経験している。人は、意識が考えているよりもはるかに多くの影響小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-78934122086662217582022-02-23T16:26:00.006+09:002022-03-02T23:40:09.427+09:00四十不惑と四十不或 ・四十不惑と四十不或
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『論語』の中で、孔子時代にはなかった漢字から当時の文字を想像するときには、さまざまな方法を使います。一番簡単なのは、部首を取ってみるという方法です。部首を取ってみて、しかも音(おん)に大きな変化がない場合、それでいけることが多い。
「惑」の漢字の部首、すなわち「心」を取ってみる。
「惑」から「心」を取ると「或」になります。古代の音韻がわかる辞書を引くと、古代音では「惑」と「或」は同音らしい。となると問題ありません。「或」ならば孔子の活躍する前の時代の西周(せいしゅう)期の青銅器の銘文にもありますから、孔子も使っていた可能性が高い。
孔子は「或」のつもりで話していたのが、いつの間にか「惑」に変わっていったのだろう、と想像し小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-38859272104431337002022-02-23T09:55:00.008+09:002022-02-23T09:55:59.099+09:00日蓮から離れてゆく創価学会信仰を学問化するのは、三代会長を教祖化するための愚行。/創学研究Ⅰ-信仰学とは何か 創学研究所編:中外日報 https://t.co/i6zx8UyoOP— 小野不一 (@fuitsuono) February 22, 2022
まるで習近平礼賛と変わりがない。個人崇拝は必ず独裁に通じる。誤った志向というよりは、他に手がないのだろう。本来であれば日蓮からブッダに向かう道筋が正しいと思われるが、逆方向へ突き進むようだ。初代・二代会長の言動からこうした方向性を見出すことはできない。すなわち初代・二代会長のテキストをもって批判することが可能である。更に外部の人間を招いて「信仰を学問する」馬鹿馬鹿しさに気づかないのだろうか? 「創学」というネーミングも創価班の無線用語を思わせ、センスがない。
現在の執行部が考えているのは、池田の印税を中心とした遺産相続と、池田没後の記念事業小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-13719408583904222652022-02-16T15:29:00.003+09:002022-02-22T20:32:01.229+09:00創価学会のデタラメな歴史認識韓国の立場 2001-08-19
歴史に「if(もし)」はあり得ないが、韓国から日本が侵略されたとするとどうなるだろう?
恫喝、奸計(かんけい)、暗殺、大量虐殺――その挙げ句、日本は韓国に“併合”され、日本という国家は無くなり、韓国人に“統治”される。
「私ドモハ、大韓帝国臣民デアリマス」と職場でも学校でも暗誦させられ、嫌がれば、容赦なく殴り飛ばされる。
「我々に服従するか、さもなければ死ね!」
姓も強制的に“金(キム)”や“李(イー)”“朴(パク)”などに変えさせられてしまう。韓国人の“祖”を強制的に拝ませられる。
“国語”が日本語から韓国語になる。子供達も、学校で日本語を使うと、厳しく屈辱的な罰をくらう。
先祖伝来の土地も詐欺まがいの手口で奪い取られて、小作人にされ、作った米は持ち去られる。「日本人は粟(あわ)でも食ってろ」と言われるが、その粟飯ですら三度三度は小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-37088031671378122522022-02-11T22:52:00.003+09:002022-02-11T22:53:26.124+09:00教祖のトリック 意外と簡単なトリックでも人は騙されることがよくわかる。脳には時系列で因果関係を辿る癖があり、これが認知バイアスの原因となる。カナダのドッキリ番組。
小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-86726980407861681032022-02-09T20:16:00.005+09:002022-02-09T20:18:21.338+09:00「スコラ哲学と現代文明」の疑問 このように、スコラ哲学は、単なる神学の婢(はしため)、中世暗黒時代の象徴などではなく、近世、近代の出発点としてとらえ直すことができるわけでありますが、更に深く考えると、それ自体においても、一つの文化の大きく輝いた栄光の時代であったと、みなければならない。
【「スコラ哲学と現代文明」創価大学第2回滝山祭記念講演 1973.7.13】
この講演は若い時分に何度か読んでいるがチンプンカンプンであった。それ以降もスコラ哲学に関する知識は皆無のままである。ざっと通読したが牽強付会の謗りを免れないように思う。個人的には以下の短い記述の方が腑に落ちる。
15世紀頃からはじまった西欧ルネサンスは、宗教の束縛からの人間精神の解放劇であった。その幕があけて、始(ママ)めて自然科学の発展も可能になる。それまではアリストテレスの流れをくむスコラ哲学によってすべての自然現象が解釈され、キリスト教会の小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-64379471029105823772022-02-06T21:50:00.000+09:002022-02-06T21:50:08.907+09:00法華経を朗読する われわれは形式上は釈尊がその晩年にインドの霊鷲山(りょうじゅせん)において『法華経』を説いたとしているが、実際には近代の文献学的研究や調査から、この経典が釈尊の死後約700年ごろ、おそらくは紀元2世紀の終わりごろに現在の形に編纂され、書きとめられ、流布したことがわかっている。
【『法華経の省察 行動の扉をひらく』ティク・ナット・ハン:藤田一照〈ふじた・いっしょう〉訳(春秋社、2011年)】
少し前に知人の見舞いに行った。隣のベッドにいたオバアサンが経典を持っていた。すかさず声を掛けて見せてもらったところ平楽寺書店版の法華経であった。かなり高齢の方で文字を読むのも難儀していることが見てとれた。「私が読みましょうか?」と言うとニッコリ笑って会釈をされた。病室が閑散としていたこともあって、そこそこ本気で読んだ。
私の読み方はかなり独特で気魄を前面に押し出す。和泉ミヨ(和泉覚夫人)小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7486069975389558690.post-1067732239716961432022-01-30T20:29:00.004+09:002022-01-30T20:29:59.530+09:00中国による対日工作、NPOや創価学会がパイプ役=米シンクタンク報告中国による日本侵略の足掛かりに公明党が一役買っているようですね私たち有権者がもっとしっかりしないといけません。#中国 #侵略 #公明党 #創価学会中国による対日工作、NPOや創価学会がパイプ役=米シンクタンク報告https://t.co/xo7yj2rFkr— 蹇蹇録(けんけんろく) (@kenkenrokujapan) January 25, 2022
#今こそ切るべき公明党 #DOJ 本間代表「北海道の国会議員はひとりとして、公明党というか創価学会の力を借りなければ勝つ事が出来ません!公明党の関係で言いますと、ニトリさん学会です!ハッキリ言いますと!ニトリさんが不動産企業を使って、土地をドンドン買い占めて中国に提供している!」 pic.twitter.com/sD8IDvzIrd— FUKUDA MAKOTO 【DOJ🛡No.0001】 (@小野不一http://www.blogger.com/profile/15196155257269648561noreply@blogger.com0