・『七帝柔道記』増田俊也
・牛島辰熊の信心
・『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
・『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
牛島は日蓮宗の信者だったので、宗教を通じても多くの人間と交わった。ある時期、日本山妙法寺の藤井日達導師の尼弟子が月に一度ずつ托鉢に来るようになった。その尼僧が太鼓を叩くことの重要性を言い、持参してきた太鼓をひとつ置いていった。次の月に来ると、牛島は太鼓は叩いていないという。尼僧が「なぜ叩かないのですか?」と問うと、牛島の答えていわく。
「あなたが妙法蓮華経と唱え太鼓を打つ精神は、私が道場で南無妙法蓮華経を心に唱えながら命がけの稽古をしてるのと同じ状態だと信じているのです。稽古に邪念が入れば私は必ず怪我をするのです。私は革を張ったこの太鼓こそ打ちませんが心の太鼓は緩みなく打っているのです」
尼僧は感心して帰っていったという。
【『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也〈ますだ・としなり〉(新潮社、2011年/新潮文庫、2014年)】
月刊誌『ゴング格闘技』で連載中から読書界を騒然とさせたことをよく覚えている。牛島辰熊〈うしじま・たつくま〉は史上最強の柔道家・木村政彦の師匠である。「鬼の牛熊」と恐れられた。藤井日達は日本山妙法寺を開いた僧侶でガンディーとも親交があった。「日蓮宗の信者」とあるが藤井門下であったかどうかはわからない。たぶん熊本つながりなのだろう。
本書で最も衝撃を受けたのは、大東亜戦争末期に牛熊が東條英機首相の暗殺計画「津野田事件」に加担し、山形に引っ込んでいた石原莞爾〈いしわら・かんじ〉がゴーサインを出したという件(くだり)である。しかもテロが失敗した場合には最終兵器として木村政彦を刺客として差し向ける手筈であったという。Wikipediaで牛熊の相貌を見ると「いかにも」という印象を受ける。彼らは東條首相のままであれば日本が焦土になることは避けられないと考えた。
石原莞爾は国柱会の信者だが藤井ともつながりがある。昭和維新は日蓮主義者で染め上げられているが、やはり国難と日蓮に親和性があるためか。
著者の増田は高専柔道の有段者であり、涙に掻き暮れながら本書を綴ったという。木村の柔道はグレイシー柔術に受け継がれている。表紙になっているのは17歳の木村である。
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