2021-10-18

伊藤園からキックバックを受けていた浅見、細谷、谷川、佐藤

 波田地氏が話した内容は方面長クラスでも知らないことである。私は送別会に参加した某副会長から話を聞いたことがある。「東北左遷の真相は不明だ」と語っていた。当時の連絡局首脳も「わからない」と言っていた。


 ところが驚くべき情報が宿坊掲示板に掲載された。

新・天鼓 常態化していた創価幹部のリベート収受 投稿者:お~いドクま 投稿日:2021年10月16日(土)19時25分59秒

 マジっすか? 細谷副会長(東京長兼任)は「呑み屋のママと出来ていた」という話しか知らない。私が青年部の頃、既に処分を受けていたが、金城会がずっとマークしていた。

 この手のカネを銀行振込にするとは脇が甘い。警察や税務署が動けば一発でバレてしまう。汚れたカネは現金で渡すのがセオリーだ。

 それにしても、なぜ学会はそれほど野中を恐れたのか。
「まあ、理由はいろいろありますが……」
 と言いよどんだ後で、岡本が例を挙げたのは学会発行の『聖教グラフ』に関することだった。聖教グラフには、池田と外国要人などとの会見場面を撮った写真がたびたび掲載された。
「写真のバックには学会施設にあるルノワールとかマチスとかいった有名画家の高価な絵が写っているんですが、野中さんがそれを創刊号から全部調べ上げて、学会が届け出ている資産リストと突き合わせた。その結果、届出のない絵がいろいろあることが分かったというのです。もちろん野中さんは直接そんなことを学会に言ってくるわけではない。何となく耳に入るので、秋谷会長は『野中は怖い、怖い』としきりに漏らすようになったんです」
 後に野中が自公連立政権作りを成し遂げた後、有力支持者の一人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。
 すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」

【『野中広務 差別と権力』魚住昭〈うおずみ・あきら〉(講談社、2004年/講談社文庫、2006年)】

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