「福島や原島がいつからおかしくなったか」https://t.co/FKi3FulSfv
— 宿坊の掲示板ほぼbot (@Shukubo_hobo) 2016年9月2日
「昭和52年6月、銚子会館が落成した時、先生は福島と原島だけを随行に連れていった。先生はこの二人にだけ、『二年後の昭和54年、七つの鐘が鳴り終わる時、私は会長を勇退する』と言ったんだ(続く)
先生の会長勇退は4代会長の誕生を意味する。二人は“先生が自分たちだけに打ち明けたということはどちらかが会長になるに違いない”と舞い上がったんだ。そこから二人は、完全に信心がおかしくなって、最後は反逆し、学会から出て行かざるを得なくなったんだ」
— 宿坊の掲示板ほぼbot (@Shukubo_hobo) 2016年9月2日
←勇退の意志は早くも昭和52年から!
聞き捨てならないので書いておこう。まず創価学会から「反逆者」という烙印を押された方々のご遺族・ご親族は徹底的に名誉毀損罪・侮辱罪で刑事告訴・民事訴訟を起こすべきである。そうでもしなければ北朝鮮並みに情報統制され、マインドコントロール下にある創価学会員からの誹謗中傷は後を絶たない。上は池田および聖教新聞社から下はネット掲示板の書き込みに至るまで訴えるべきだ。裁判記録としてきちんと残し、創価学会が軽々しいデマを二度と言えない状況を作ることが望ましい。
事実だけを紹介する。原島嵩は一対一で数時間に渡って池田を諌(いさ)めた。福島源次郎は直接自分の口で意見をした。山崎正友は平然と居並ぶ幹部の前で池田の売り言葉に買い言葉で応じた。そもそも原島は池田が作った弟子分帳の筆頭に書かれた人物であるがゆえに後継者の資格は十分ある。山崎については池田も北條も「友さん」と呼び、重用(ちょうよう)していた。福島の大牟田発言は完全なでっち上げで、後に九州から多数の脱会者を出す要因となった。当時の最高幹部で愚直を絵に描いたような人物といえば北條と福島を措(お)いて他にいない。
池田先生スピーチノーカット版① https://t.co/7DOD5O6s7s
— 宿坊の掲示板ほぼbot (@Shukubo_hobo) 2016年8月25日
「北条、秋谷は私のことを週刊誌に売った。裏で全部流していた。幹部が売ったんです。女がいるとか、そういうことを勝手に作って売ったんです」
「会長勇退の時、私は絶頂期だった。しかし、全幹部が私を裏切り
そもそも当時の側近であった野崎・原田が会長辞任を促しているのだ。池田の具体的な発言としては「4人から言われた」とある。牧口門下生で池田を崇拝している者は一人もいない。原島や原田は池田が日蓮の生まれ変わりだと信じていた。その彼らが掌(てのひら)を返した相応の理由を探るべきだろう。細井vs.池田紛争にあって学会首脳がどのように僧侶を切り崩していったか。ほぼ新左翼の総括と同じ様相を呈していた。ま、一種の吊し上げだ。ちゃんと記録も残っている。
信仰に名を借りて個人崇拝をするのは一向に構わないのだが、創価学会が反逆者を必要とするのは、中国や韓国が反日教育をする姿と似ている。すなわち正統性がないために自己正当化の物語を創作せざるを得ないのだ。
創価学会員は独善的な正義感に衝き動かされているので、「話せばわかる」ということがない。やはり告訴が一番だ。