2016-11-28

アパートオーナーがレオパレス21を相手取り集団訴訟

 学生諸君は気をつけ給え。誰かの損失は必ずエンドユーザーに付け替えられることが多い。

2016-11-27

ヒラリーがトランプを全米得票数で上回った本当の理由

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ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編

2016-11-26

フィデル・カストロが逝去 11月25日

 ・フィデル・カストロが逝去 11月25日

フィデル・カストロの言葉

2016-11-20

任用試験 日顕宗を破す


 だったら、てめえが対論してみせろや。口舌の徒が支配する創価学会となってしまった。以前、某副会長から「法華講の樋田が来て困っている」と相談されたことがある。上の連中は誰一人として手本を示さない。所詮、口先だけの正義である。

「種種御振舞御書」の真偽について

 日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし……教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給ふべき事なり……かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし……此の国の亡びん事疑ひなかるべけれども、且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、はうに過ぐれば罰あたりぬるなり

【「種種御振舞御書」平成新編 1066頁

 縦書きで読みやすいため平成新編(日蓮正宗)のリンクを貼っておく。遺文に関しては創価学会よりも意欲的な選別が行われており、好ましい態度であると思う。

『平成新編日蓮大聖人御書』の編纂について:教学部長 大村寿顕

 本抄の真偽は未決である。勝呂信静〈すぐろ・しんじょう〉立正大学名誉教授が、「真撰であることは疑ないように思われる」としながらも、浅井要麟〈あさい・ようりん〉が説く偽作説を紹介している。

 本御書の叙述においては、聖人が法華経の行者として自己の抱負・威嚴・矜持を語られる態度が、聖人みずからの口吻でなくて、聖人を崇敬するものが若干の主観を交えて聖人に代って大言壮語するという態度が見える。また誇張せられた事蹟・奇蹟に関する記述が多く、そのうちあるものは、他の確実視される御書における記述と齟齬している。また所々に芝居がかった記述が見られるが、これも聖人の人格にふさわしくないように見受けられる。これらの事がらによっておそらく本御書は偽作であろうと推定されるのである。(以上取意。なお浅井教授は、日祐師の『本尊聖教録』以来もろもろの御書目録に本御書の名が記載されているが、御真蹟の存在については疑点があること、また御自分の経験からして、諸山において古来御真蹟と伝えられる御本尊・御筆蹟の中にはにわかに信じられないものが少からずあることなどを言われて、本御書の御真蹟が身延山に曽存したとしても、なお偽作の可能性のあることを示唆されている)。

「御遺文の真偽問題 その問題点への私見」勝呂信靜

 尚、「元々が四つの御書だったことは、寛文9年(1669年)に法華宗門書堂が出した、『刊本録内御書』によって確認できる」(『日蓮大聖人と最蓮房』北林芳典)との経緯についても以下の批判がある。

 種種御振舞御書は、その表現に奇跡性、潤色化などが随所に見られるところから、後の人の加筆もあるとされ、真蹟遺文と比べると、資料としての信憑性に欠けるうらみがあります。それでこの種種御振舞御書を日蓮の筆とせず、直弟子ないし孫弟子らによって欠かれた初期の伝記本と解釈する研究者(新倉善之氏)もいます。和島芳男氏(「叡尊・忍性」の作者)などは、「竜口法難そのものも史実として疑うべきところが少なくないようである」と述べておられます。今岡達音氏(「日蓮聖人伝批判」の作者)は、「忍性と日蓮の祈雨の勝負などはじめからなかった」という説を紹介しておられます。

Yahoo!知恵袋 zoprlmgeさん

 一方、創価学会の側では、

 大聖人の伝記・年表を正確にする等、文献学的見地においては、目的は達せられよう。だが、仏法者・信仰者の立場から、人生の糧として世に弘むべき日蓮仏法とするのならば、それだけで良いものか。
 すなわち、すべての御書が富木常忍のように、正しく後世に保管されてきたわけではない。他門では師匠が弟子に法門を伝持する際、御書の一部を切り取って渡し、証としたとの話も聞く。御書を粗雑に扱ってきた例である。
 ゆえに御真筆がなかろうとも、それだけで価値が無いと決めつけるわけにはいかない。御書全集の凡例の文を借りれば「現代教養に裨益なき」御書は除かれるべきであるが、「信行に資するものは之を取る」との態度でいなければならない。

種種御振舞御書・第十七章 身延山での御生活

 という相変わらずのスタンスで、信行に資すれば聖書さえも採用しかねない乱暴な態度となっている。大乗的なデタラメといってよい。

 昨今の創価学会の会則変更の源を探れば、この辺りの遺文に辿り着くように感じる。私が注目したのは「かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」との有名な一節である。はっきり言って「あんた何様?」という傲慢ぶりだ。まるで「俺様を見くびってんじゃねーぞ」と啖呵(たんか)を切るチンピラと変わらない。果たして尊敬を強要する仏がいるだろうか? あまりにも世俗的でみっともないと思う。

 あのドラマチックな展開を思えば「種種御振舞御書」は伝記小説と考えてよいのではないか。その昂奮は二十歳(はたち)の私に寸劇の台本を書かせたほどだ。日蓮自身のセリフが散りばめられているのも劇的効果と見なせる。

 文献学的なアプローチには限界があることだろう。やはり日蓮思想を体現した人物が登場しなければ真偽論争は線路のようにどこまでも続くことだろう。

 日蓮遺文に関しては「慶長本」の発見というニュースもあったので紹介しておく。

日蓮聖人遺文刊行の歴史に新視点 正確に伝える「慶長本」

2016-11-19

「三代会長」の敬称は、「先生」とする…今年も会則を変更 創価学会に何が

産経ニュース 2016-11-19

 つまり、それ以外を「先生と呼ぶな」という意味だよ(笑)。今回の会則変更は「先生と呼べ」との命令である。かつて日蓮正宗を批判したように学会本部も批判される時が訪れることだろう。真実を隠そうとすればするほど組織は強権的になる。そして人々は知性を眠らせる。

虚偽と真実

 虚偽を虚偽として見、虚偽の中に真実を見、そして真実を真実として見ること――精神を解放させるのはこれなのである。

【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)】

 このわずかな一言が全4巻のエッセンスである。虚偽を虚偽と見破れば真実が浮かんでくる。そして虚偽の中に社会(組織)や人間の実相が見えてくる。経験も知識も要らない。ただ、ありのままに虚偽を虚偽と見抜くことが自由へ直結する。自分をコントロールしようとする一切を拒絶し、時間やカネを奪おうとする目論見に騙(だま)されてはならない。対価を求めるのは商売だ。

生と覚醒のコメンタリー〈3〉クリシュナムルティの手帖より

創価学会が急変革 来夏の都議選で結束力を示せるか

「創価学会の宗教法人としての草創期、監督する所管庁は東京都だった。そのため、所轄庁に一定の影響力を保持したい創価学会は伝統的に都議選を重要視してきました。その力の入れようは、国政選挙と同等かそれ以上とも言われており、公明党にとって負けることのできない選挙といえる」(島田裕巳

 これはどうか? 私としては既に指摘してきた通り、警視庁を押さえるところに目的があったと見る。藤井富雄(元都議会議員)の暗躍がそれを物語る。公明党が政権与党であり続けるのは国税庁対策のためだ。しかも前回の創価学会本部に対する税務調査において、便宜を図ってくれた竹下登首相をあっさりと裏切った経緯があり、国税庁は遺恨を抱えている。「憲法改正、自公に溝」と報じられているが、公明党は本来なら護憲政党で、共産党と手を組むのが当然なのだ。つまり公明党にとっての党利党略とは「創価学会の利益」であることがわかる。それが「お目こぼし」であるところに創価学会の弱味が隠されている。

池田大作名誉会長を「先生」に 創価学会「急変革」の謎

「先ほども言ったように、創価学会はもとは日蓮正宗の信徒組織として発足した教団です。池田氏にしても、やってきたことは日蓮正宗のお経や日蓮の言葉などの“解釈”を会員たちに示すことであり、実は教義の中に“池田大作氏の教え”といったものは存在しないんです。
 ですが、前述の通り、創価学会は池田氏を“崇拝の対象”とする方針を強めています。そのため『仏法を学ぶ者は皆平等だ』と教えられてきた学会員の中には、一連の決定に、『本来の教えから外れているのではないか』と疑問を抱く人がいるようなのです」(島田裕巳

 かつては仏と崇(あが)めていた法主を極悪呼ばわりして踏みつけた事実を思えば、会則の有効性は推して知るべしだろう。やはり池石戦争が露見してしまうことへの恐れがあるのだろう。かのスターリンも死後はフルシチョフによって否定された(スターリン批判、1956年)。宗教的次元では絵像・木像を禁じておきながら、肖像写真をベタベタと掲げるところも社会主義国とそっくりだ。クルクルと会則を変更するところに創価学会が抱える不安が透けて見える。

2016-11-15

テレビの誤訳

 これは誤訳というよりも、ヒラリー支持を鮮明にした米メディアに洗脳された所業であろう。大統領選最終盤でウォール街はトランプ支持に寝返った。勝ち馬に乗った格好だ。

2016-11-14

小樽問答

 創価学会は「勝った」と言い張るが、きちんと検証した形跡がない。本当に創価学会が正しいのであれば強圧的な司会や野次の類いは不要だろう。貴重な音源ではあるが、やはりテキストに落として検証する必要がある。

幸福の科学、女性6人組アイドルを結成

 侮れない発想だ(笑)。

『Siri』に「死にたい」と相談すると……

僕はムスリムだ

2016-11-13

戸田先生講義 三大秘法稟承事

 1時間7分あたりから質問会となる。

供養の精神

 上記ページで紹介した指導が1時間17分45秒から。

ブッダの生涯

日蓮大聖人生地の現在

批判



孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

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ポジティブ・チェンジ〜主体性と組織力を高めるAI〜思考実験: 世界と哲学をつなぐ75問 (ちくま新書)脳はなにを見ているのか (角川ソフィア文庫)皇統は万世一系である戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)人物で読み解く「日本陸海軍」失敗の本質 (PHP文庫)戦争を作り報道を歪める者たちの正体 事件のシナリオを見抜かねば日本は再び戦場となる!韓国呪術と反日 (SEIRINDO BOOKS)自滅するアメリカ帝国―日本よ、独立せよ (文春新書)余命三年時事日記罪人を召し出せ

インターナショナルとは

 結局こういうことなんだよね。

2016-11-11

公明、カジノ法案審議入り容認を自民に伝達


該当記事

2016-11-08

宗門の弘教史 明治大正期

宗門の弘教史 明治大正期

 初めて知る興味深い記述がいくつもある。

昭和8年

堀米尊師の御講に牧口、戸田らが参加
他の講員とも相容れなくなり、中野・歓喜寮(後の昭倫寺)に所属替え。 当時の歓喜寮御住職、堀米泰栄尊師=後の65世日淳上人に指南を仰ぐが、在家団体・創価学会の設立を願い出、許されず、12年に教育研究の名目で設立。

昭和17年

牧口会長自ら、宗門と絶縁と近い状態となる
会員にも寺に行くことを止めさせる。 「牧口氏は、所属寺院の歓喜寮主管・堀米泰栄師と論議し、『もう貴僧の指導は受けない』と、席を蹴って退去」『畑毛日記』

直達講の副講頭であった竹尾清澄氏は、当時の牧口氏の信仰を次のように記している。「牧口氏は(中略)利善美の理論などを説き、畑毛を中心に左右の山地を取り入れた一大仏都建設の構想などを述べていたそうであるが、是は全く日蓮正宗を無視する異流と云わざるを得ない。牧口氏はあれだけの学識がありながら、仏法上の総別ということになると、どうも認識が浅いような所が見られた。」

牧口ら靖国神社に参拝
「我々が靖国神社へ参詣するのは『よくぞ国家のために働いてくださった。有難うございます』といふお札、感謝の心を現す」(学会機関誌「大善生活実証録」)と牧口会長が語る。つまり牧口等が靖国神社参拝を行っていたことを意味する。

 牧口と戸田が大日本皇道立教会に参加していたことを思えば、靖国神社の参拝は当然という気もする。

2016-11-07

2016-11-05

意識の統合情報理論と妙の三義


御書と師弟 第29回 妙の三義
日蓮正宗慈本寺 御住職の法話

 創価学会版だと「法華経題目抄」、日蓮宗現代宗教研究所の真蹟遺文では「法華題目抄」との題号で、「御真蹟については、断片的に散在している状況ですが、第三祖日目上人によって本抄の全体が筆写されて」いる(大白法・平成12年8月1日刊 第554号)。

 ある分野における支配的な規範をパラダイムという。ものの見方はパラダイムに基づくため我々は「自由な視点」を持つことができない。それでも尚、科学は地動説-ニュートン力学-相対性理論-量子力学とパラダイムの転換を成し遂げてきた。一方、宗教はといえば教条主義に束縛されて、古いパラダイムにしがみつくのが流儀となっている。妙の三義の解説を見ても、健康食品の謳(うた)い文句と変わりがない。ひたすら感情を煽り立てる言葉を羅列しているだけだ。

 脳は脂肪60%とタンパク質40%で出来ており、主要な構成としては神経細胞(ニューロン)の集合体である。一つの神経が約1万ものつなぎ目で別の神経と接しており、これをシナプスという。脳=ニューロンの集まりというのは誤解でニューロンは10%程度である。かつて「人間は脳の1割しか使っていない」と信じられていたのはニューロンを指しており、90%を占めるグリア細胞の役割も少しずつではあるがわかってきている。

 実に不思議なことだがニューロンの殆どは小脳に存在する。脳全体の10%の大きさにもかかわらず1000億ものニューロンがあるのだ。小脳は運動機能や平衡感覚を司る。たぶん生きるためには考えることよりも動くことの方が重要なのだろう。

 心身問題は心脳問題となり意識に焦点が当てられた。ニューロンは電気刺激と化学変化で情報をやり取りしているが、なぜ意識が生まれるのかが現代の科学ではわかっていない。「意識のハード・プロブレム」と呼ばれる難問だ。

 アメリカの神経科学者ジュリオ・トノーニ(イタリア出身)が意識の統合情報理論を説いている。データ量だけではなく、ネットワークの統合が意識を生むという考え方だ。小脳の情報は統合されておらず、小脳が損傷しても運動機能に支障はきたすが意識がなくなることはない。

 ここではたと気づくわけだが、妙の三義こそは意識を解明する示唆に満ちている。具足・円満を統合とすれば、開くは開放系で、蘇生はシステム更新の可能性を示す。現代科学にとって意識ほど「妙」なものはない。

 その意識から自我が生まれる。デカルトが「我思う故に我あり」と自我を発掘したのは1637年のこと(『方法序説』)。「神中心から人間中心の世界観へと転換し……根本原理を神から人間の世界へと引き下ろした」(『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』末木文美士〈すえき・ふみひこ〉、新潮社、1992年/新潮文庫、1996年)功績は大きい。

 しかしながらその自我を不幸の原因として打ち破る方途を説いたのがブッダであった。デカルトに先立つこと2000年である。

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

2016-11-04

立場を越えて響き合うもの