「妙の三義」の結論は、闇を破る旭日のように、妙法を唱え抜く人生には、絶対に行き詰まらないということです。日蓮仏法の根本は唱題です。朗々と題目を唱える時、我が胸中に太陽が赫々と昇る。力があふれる。慈愛がわく。歓喜が燃える。智慧が輝く。諸天-緒仏が一斉に動き始める。人生が楽しくなる。
— まさ (@eomasa) 2014年7月13日
・御書と師弟 第29回 妙の三義
・日蓮正宗慈本寺 御住職の法話
創価学会版だと「法華経題目抄」、日蓮宗現代宗教研究所の真蹟遺文では「法華題目抄」との題号で、「御真蹟については、断片的に散在している状況ですが、第三祖日目上人によって本抄の全体が筆写されて」いる(大白法・平成12年8月1日刊 第554号)。
ある分野における支配的な規範をパラダイムという。ものの見方はパラダイムに基づくため我々は「自由な視点」を持つことができない。それでも尚、科学は地動説-ニュートン力学-相対性理論-量子力学とパラダイムの転換を成し遂げてきた。一方、宗教はといえば教条主義に束縛されて、古いパラダイムにしがみつくのが流儀となっている。妙の三義の解説を見ても、健康食品の謳(うた)い文句と変わりがない。ひたすら感情を煽り立てる言葉を羅列しているだけだ。
脳は脂肪60%とタンパク質40%で出来ており、主要な構成としては神経細胞(ニューロン)の集合体である。一つの神経が約1万ものつなぎ目で別の神経と接しており、これをシナプスという。脳=ニューロンの集まりというのは誤解でニューロンは10%程度である。かつて「人間は脳の1割しか使っていない」と信じられていたのはニューロンを指しており、90%を占めるグリア細胞の役割も少しずつではあるがわかってきている。
実に不思議なことだがニューロンの殆どは小脳に存在する。脳全体の10%の大きさにもかかわらず1000億ものニューロンがあるのだ。小脳は運動機能や平衡感覚を司る。たぶん生きるためには考えることよりも動くことの方が重要なのだろう。
心身問題は心脳問題となり意識に焦点が当てられた。ニューロンは電気刺激と化学変化で情報をやり取りしているが、なぜ意識が生まれるのかが現代の科学ではわかっていない。「意識のハード・プロブレム」と呼ばれる難問だ。
アメリカの神経科学者ジュリオ・トノーニ(イタリア出身)が意識の統合情報理論を説いている。データ量だけではなく、ネットワークの統合が意識を生むという考え方だ。小脳の情報は統合されておらず、小脳が損傷しても運動機能に支障はきたすが意識がなくなることはない。
ここではたと気づくわけだが、妙の三義こそは意識を解明する示唆に満ちている。具足・円満を統合とすれば、開くは開放系で、蘇生はシステム更新の可能性を示す。現代科学にとって意識ほど「妙」なものはない。
その意識から自我が生まれる。デカルトが「我思う故に我あり」と自我を発掘したのは1637年のこと(『方法序説』)。「神中心から人間中心の世界観へと転換し……根本原理を神から人間の世界へと引き下ろした」(『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』末木文美士〈すえき・ふみひこ〉、新潮社、1992年/新潮文庫、1996年)功績は大きい。
しかしながらその自我を不幸の原因として打ち破る方途を説いたのがブッダであった。デカルトに先立つこと2000年である。