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2018-07-17

所願満足

・自解仏乗
・「開目抄」を貫く日蓮の自我意識
・所願満足

 本願を立つ。(中略)我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。

 一つ気づくと次々と見えてくるものがある。上記テキストの「む」は、「②〔意志〕…(し)よう。…(する)つもりだ」か。「主語が一人称の場合は②の意に、二人称の場合は④の意に、三人称の場合には①の意になることが多い」(学研全訳古語辞典)。


 日蓮の本願はこの時点でかなっていない。願(がん)が成就するまでに時間を要することを示している。つまり煩悩即菩提となっていない。大願であろうと小願であろうと願いはすべて煩悩による。願と望は横並びで同じ意味を表す。「望む、とは、ただ見ることとはちがう。呪(のろ)いをこめて見ることを望むという。望みとは、それゆえ、攻め取りたい欲望をいう」(『楽毅』宮城谷昌光)。

 ここでいう「呪い」とは思い・念慮のこと。日蓮が晩年に至ってこの本願をどう考えていたかを私は知らない。知る必要もないだろう。

「そもそも信心やマントラ口唱を重視したのは法然-親鸞であり」(業(カルマ)の本質)、即身成仏を説いたのも念仏宗であった。瞬間に無限を開いてゆくのが仏道の本義であると私は考える。未来志向や永遠という概念は仏法と相容れない。すなわち発迹顕本したはずの日蓮が「本願を立てて」いるのは明らかにおかしい。

 仏法は悟りの教えである。欲望実現とは無縁である。むしろ欲望を徹底して見つめ、見極め、解体し、離れることを教えているのだから。

2018-07-11

「開目抄」を貫く日蓮の自我意識

・自解仏乗
・「開目抄」を貫く日蓮の自我意識
・所願満足

 本願を立つ。日本国の位をゆずらむ、法華経をすてて観経等について後生をご(期)せよ。父母の頚を刎ん、念仏申さずわ。なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。(「開目抄」文永9年〈1272年〉佐渡国塚原、真蹟曽存)

・『開目抄』高橋俊隆
・『開目抄』には日蓮本仏義など無い

 龍ノ口法難で発迹顕本した日蓮は「法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ……さどの国より弟子どもに内々申す法門あり」(「三沢抄」日興写本あり)と宣言した。

「内々申す法門」とは何なのだろう? そういえば聞いたことがない。富士門流では「曼荼羅図顕」が語られているだけだ。「三大秘法の法門」とはいうものの化儀しか述べられていないような気がする。

 私の疑問をいくつか開陳しよう。10年ほど前に気づいたことだ。そもそも日蓮は受難によって自覚を変えたようだが悟りの跡が窺えない。すなわち外部要因である受難を内面の深化に結びつけるのは早計だと思う。曼荼羅を制作してから受持即観心(「観心本尊抄」)と言い出すわけだが受持することが勧心であるはずがない。受持即観心が事実であればそれは魔法だ。「どんな球でも打てるバット」みたいなものだろう。

「智者に我が義やぶられずば用いじとなり」は有名な一文であるが、日蓮は「我が義が破られる可能性」があることを示唆している。しかも重要なことは「我が義」であって「我が法」と書いていない点だ。

「風の前の塵」は『平家物語』からのパクりである。

 この短いテキストを読んでもわかるように日蓮の遺文は「我」だらけである。私がどうしても日蓮を好きになれない理由がここにある。

2018-04-03

元軍が対馬で行った蛮行

2016-11-20

「種種御振舞御書」の真偽について

 日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし……教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給ふべき事なり……かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし……此の国の亡びん事疑ひなかるべけれども、且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、はうに過ぐれば罰あたりぬるなり

【「種種御振舞御書」平成新編 1066頁】

 縦書きで読みやすいため平成新編(日蓮正宗)のリンクを貼っておく。遺文に関しては創価学会よりも意欲的な選別が行われており、好ましい態度であると思う。

・『平成新編日蓮大聖人御書』の編纂について:教学部長 大村寿顕

 本抄の真偽は未決である。勝呂信静〈すぐろ・しんじょう〉立正大学名誉教授が、「真撰であることは疑ないように思われる」としながらも、浅井要麟〈あさい・ようりん〉が説く偽作説を紹介している。

 本御書の叙述においては、聖人が法華経の行者として自己の抱負・威嚴・矜持を語られる態度が、聖人みずからの口吻でなくて、聖人を崇敬するものが若干の主観を交えて聖人に代って大言壮語するという態度が見える。また誇張せられた事蹟・奇蹟に関する記述が多く、そのうちあるものは、他の確実視される御書における記述と齟齬している。また所々に芝居がかった記述が見られるが、これも聖人の人格にふさわしくないように見受けられる。これらの事がらによっておそらく本御書は偽作であろうと推定されるのである。(以上取意。なお浅井教授は、日祐師の『本尊聖教録』以来もろもろの御書目録に本御書の名が記載されているが、御真蹟の存在については疑点があること、また御自分の経験からして、諸山において古来御真蹟と伝えられる御本尊・御筆蹟の中にはにわかに信じられないものが少からずあることなどを言われて、本御書の御真蹟が身延山に曽存したとしても、なお偽作の可能性のあることを示唆されている)。

【「御遺文の真偽問題 その問題点への私見」勝呂信靜】

 尚、「元々が四つの御書だったことは、寛文9年(1669年)に法華宗門書堂が出した、『刊本録内御書』によって確認できる」(『日蓮大聖人と最蓮房』北林芳典)との経緯についても以下の批判がある。

 種種御振舞御書は、その表現に奇跡性、潤色化などが随所に見られるところから、後の人の加筆もあるとされ、真蹟遺文と比べると、資料としての信憑性に欠けるうらみがあります。それでこの種種御振舞御書を日蓮の筆とせず、直弟子ないし孫弟子らによって欠かれた初期の伝記本と解釈する研究者(新倉善之氏)もいます。和島芳男氏(「叡尊・忍性」の作者)などは、「竜口法難そのものも史実として疑うべきところが少なくないようである」と述べておられます。今岡達音氏(「日蓮聖人伝批判」の作者)は、「忍性と日蓮の祈雨の勝負などはじめからなかった」という説を紹介しておられます。

【Yahoo!知恵袋 zoprlmgeさん】

 一方、創価学会の側では、

 大聖人の伝記・年表を正確にする等、文献学的見地においては、目的は達せられよう。だが、仏法者・信仰者の立場から、人生の糧として世に弘むべき日蓮仏法とするのならば、それだけで良いものか。
 すなわち、すべての御書が富木常忍のように、正しく後世に保管されてきたわけではない。他門では師匠が弟子に法門を伝持する際、御書の一部を切り取って渡し、証としたとの話も聞く。御書を粗雑に扱ってきた例である。
 ゆえに御真筆がなかろうとも、それだけで価値が無いと決めつけるわけにはいかない。御書全集の凡例の文を借りれば「現代教養に裨益なき」御書は除かれるべきであるが、「信行に資するものは之を取る」との態度でいなければならない。

【種種御振舞御書・第十七章 身延山での御生活】

 という相変わらずのスタンスで、信行に資すれば聖書さえも採用しかねない乱暴な態度となっている。大乗的なデタラメといってよい。

 昨今の創価学会の会則変更の源を探れば、この辺りの遺文に辿り着くように感じる。私が注目したのは「かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」との有名な一節である。はっきり言って「あんた何様?」という傲慢ぶりだ。まるで「俺様を見くびってんじゃねーぞ」と啖呵(たんか)を切るチンピラと変わらない。果たして尊敬を強要する仏がいるだろうか? あまりにも世俗的でみっともないと思う。

 あのドラマチックな展開を思えば「種種御振舞御書」は伝記小説と考えてよいのではないか。その昂奮は二十歳(はたち)の私に寸劇の台本を書かせたほどだ。日蓮自身のセリフが散りばめられているのも劇的効果と見なせる。

 文献学的なアプローチには限界があることだろう。やはり日蓮思想を体現した人物が登場しなければ真偽論争は線路のようにどこまでも続くことだろう。

 日蓮遺文に関しては「慶長本」の発見というニュースもあったので紹介しておく。

・日蓮聖人遺文刊行の歴史に新視点 正確に伝える「慶長本」

2016-06-14

自解仏乗

・自解仏乗
・「開目抄」を貫く日蓮の自我意識
・所願満足

 中村元〈なかむら・はじめ〉訳『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)の書評で「自解仏乗」(じげぶつじょう)という言葉を書いた。念のため調べたところ一般的な仏教用語ではないと判断し削除した。検索すると日蓮系のページしか見当たらない。ただしこのターム(用語)は独覚やアルハット(阿羅漢)を示唆するので正しいものであると思う。

 少年日蓮の虚空蔵菩薩への祈願について、弘安2年9月16日の「寂日房御書」(定P1669)には、

 日蓮となのる事自解仏乗(じげぶつじょう)とも云ひつべし。かやうに申せば利口げに聞こえたれども、道理のさすところさもやあらん。

 と記されているところから「日蓮が虚空蔵菩薩への祈願により悟達を得たのならば、日蓮は御本尊を顕わす必要はなく、虚空蔵菩薩への祈願を勧めればいいことになる。現実には、日蓮は御本尊を顕わし門下に授与しているのである。故に、日蓮は自解仏乗を虚空蔵菩薩に仮託されたにすぎない」との説があるが、どうであろうか。

【4 虚空蔵菩薩より大智慧を賜った日蓮 - 日蓮ノート】

 日蓮に関して調べると頻繁にヒットするサイトである。私も同じような疑問を抱いていた。虚空蔵菩薩と真言宗に関しても書きたいことがあるのだが稿を改める。日蓮の悟りに関する疑問は既に書いた。

・佐前佐後と日蓮の悟りに関する疑問

 佐後を本物とすれば佐前は爾前経となり、日蓮と名乗ることは自解仏乗でなくなり、虚空蔵菩薩よりたまわった大智慧も色褪(あ)せる。もう少し具体的にいえば本尊を重んじれば題目が軽くなり、他宗批判の根拠があやふやになってしまう。日蓮は三類の強敵を呼び寄せたことを自賛するが、その原因は自身の激越なテロリスト的言動によるものだ。権力者に他宗僧侶の殺害を命じる人物が仏であるとは思い難い。ひょっとすると勧持品二十行の偈に固執して、意図的に扇動パフォーマンスを行った可能性すらある。

 尚、「寂日房御書」については「真蹟なし・偽書の争論なし」(正宗系観察日記)とのことである。

 偽書説濃厚(『総勘文抄』に関する疑問)といわれる「三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄)」には「十法界の依報正報は法身の仏一体三身の徳なりと知つて一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す」(創価学会版、566ページ)とある。日寛が「当流行事抄」に引用している箇所だ。たぶん信を立てることで名字即でも成仏できるという論法だと思うが、そもそも名字即の説明として適切であるとは思えない(六即)。また創価学会員の体験談でこの自覚を述べた人を私は知らない。

 話を戻そう。16歳の日蓮は南無妙法蓮華経を発明していないし、日蓮を名乗った時点ではまだ本尊を顕していない。本尊を一大秘法と重んじて、それ以前の教えを爾前経とすれば、日蓮の論理でいけば成仏できた人は一人もいないはずである。それどころか日蓮自身の仏性(ほとけせい)すら疑われる。

 ついでに述べておくと、日蓮遺文の偽書の特徴として天台本覚論が指摘されるが、私は本覚論そのものが誤っているとは考えていない。悟るのは一瞬である。修行をすれば悟れるというのは錯覚だ。常にブッダの傍(そば)にいて多聞第一と謳(うた)われたアーナンダ(阿難)が悟りを開いたのはブッダ死後のことである。

 日蓮思想を検討するためには、阿含(テーラワーダ)批判、法相宗(唯識)批判、龍樹(中観)批判など、批判内容を吟味するのが手っ取り早いと思う。

 経典の古層に位置する『スッタニパータ』の中でも最古層とされる第4章では、繰り返し「論争するな」とブッダは教えている。日蓮が知ったら吃驚(びっくり)仰天したことだろう。

ブッダのことば―スッタニパータ (ワイド版 岩波文庫)ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

2015-06-16

「正しい怒り」など仏教では成り立たない

 ・「正しい怒り」など仏教では成り立たない

・一切皆苦
・『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ

 正義の味方までいかなくても、そういう「何かと戦おう」という感情が強い人は、すごくストレスが溜まっていて、いろいろな問題を起こします。(中略)
「悪に向かって闘おう」「正義の味方になろう」というのは仏教の考え方ではありません。「正しい怒り」など仏教では成り立ちません。どんな怒りでも、正当化することはできません。我々はよく「怒るのは当たり前だ」などと言いますが、まったく当たり前ではないのです。

【『怒らないこと 役立つ初期仏教法話 1』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2006年)】

 事実を指摘された時、素直に耳を傾けることができる人は少ない。もちろん私もそうだ。歴史認識のテーマが錯綜する最大の理由はイデオロギーの正当化にある。人類が都市化するに伴って宗教を巡る議論は教団の論理で語られるようになってしまった。つまり宗教はイデオロギーに堕したのだ。「怒り」は幸福な生命状態ではない。「怒り」が正しいと思うなら、朝から晩まで怒っていればよい。心ある人々は速やかに離れてゆくことだろう。スマナサーラが正しければ日蓮は誤っている。日蓮が正しければスマナサーラが誤っている。それを自分で判断すればよい。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)

2015-05-18

聖人理を観じて万物に名を付くる時

 至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す(「当体義抄」真蹟なし)

「聖人作(おこ)りて万物を覩(み)る」(易経)と「万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず」(道徳経)あたりからの剽窃(ひょうせつ)と考えられる。尚、易経の文に関しては「覩(あらは)る」とする読み方もあるようだ。

2015-05-05

龍ノ口法難~本間重連邸

 現在の道路であっても5時間弱の歩行距離となっている。本間邸については諸説あるが妙純寺と仮定した。(地図が見づらい場合はドラッグせよ。左上窓の「その他のオプション」をクリックすると拡大表示)


 今まで確認したこともなかったのだが、厚木市という地名を知ると少し実体を伴った風景が迫ってくる。

・上依知本間屋敷、本間氏下屋敷(※妙伝寺)
・中依知本間屋敷(※蓮生寺)
・本間屋敷(※妙純寺)

 検索したところ道順に関する記述を見つけた。

・日蓮の佐渡配流の神奈川県における道順

 質問者が書いてある通り、確かに「相模川の渡り方」が気になる。たぶん橋はなかったことだろう。「源頼朝が……浮橋(川に舟や筏を並べて浮かし、その上に板を敷いて人や馬等を渡らせた仮の橋)を架けた」(源頼朝と相模川)ようだが、場所は茅ヶ崎付近と推定されている。渡し船の出た場所が本間邸よりも北側であれば、座間の円教寺に立ち寄った可能性はあるだろう。「休息山」という山号が泣かせる。

・本間氏

 何と「武蔵七党横山氏流」とある。横山党は八王子だ。

 鎌倉中期の佐渡守護代であった本間六郎左衛門重連の邸は相模国依智にあって、年に一度佐渡に渡っていたようである。僧日蓮が佐渡へ配流された際、これを預ったのも重連であった。そのことは日蓮遺文によって明らかだが、重連については日蓮遺文以外には史料がなく、本間系図の記すところも一様ではない。(上記ページより)

・佐渡守護所跡と本間重連館跡

 本間の名は相模国愛甲郡依知(依智)郷本間の地に由来。この地に建久年間に本間五郎資俊、文永年間には本間六郎重連、正慶年間には本間資貞および資忠が住んでいたことが知られている。資貞および資忠は赤坂城の攻防戦で討死している。
 本間氏は能久入道の代に佐渡守護代を北條大仏氏のもとで務めたことで佐渡への足がかりを掴んでいる。
 ちなみに、日蓮上人を佐渡配流の際に預かったのは本間重連、直重兄弟である。現在の建徳寺、蓮生寺そして梅香寺の辺り一帯が本間重連の居館跡であると比定されている。重連の子孫は武蔵国葛飾郡彦成村に代々住んだというが、その間に重連の居館が3つあったとの伝承が伝えられているという。

【本間氏_武蔵七党_横山党_海老名氏流】

 東京から大石寺登山に向かうバスが途中で立ち寄るのが海老名インターチェンジであった。人の名前だったとはね。

2015-04-22

宗教的延期

 個人の再生は未来においてではなく、【いま】起こらなけれなりません。もし自分の再生を明日に延期すれば、皆さんは混乱を招き、暗黒の波に呑まれてしまうのです。再生は、明日ではなく【いま】なのです。なぜなら、理解はいまの瞬間にあるからです。皆さんがいま理解しないのは、自分の精神・心、全注意を、自分が理解したいと思っているものに向けないからです。もしみなさんが自分の精神・心を理解することに傾ければ、皆さんは理解力を持つことでしょう。もし自分の精神・心を傾けて暴力の原因を見い出すようにし、充分にそれに気づけば、皆さんはいま非暴力的になることでしょう。が、不幸にして、皆さんは自分の精神を宗教的延期や社会道徳によってあまりにも条件づけてきたので、皆さんはそれを直接見ることができなくなっているのです――そしてそれが私たちの困難なのです。

【『自由とは何か』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1994年)】

 一生成仏とは宗教的延期である。つまりキリスト教における「約束された天国」と変わりがない。1948年3月7日にボンベイで行われた講話である。「宗教的延期」という言葉は事前に考えたものではなく、ジャズのアドリブみたいなものだろう。聴衆との直接交流から期せずして生まれた言葉と察する。絶妙な表現だ。

・「一生成仏抄」を疑う

 日蓮遺文の真蹟に「一生成仏」との語はない。「一生」は35ヶ所ある。主立ったものを以下に列挙する。

「幸なるかな、一生之内に無始の謗法を消滅せんことよ。悦ばしいかな、未だ見聞せざる教主釈尊に侍へ奉らんことよ」

「乞ひ願はくは一切の学者等、人を捨て法に附け。一生を空しくすること勿れ」

「但大小の賢位のみに入って聖位にはのぼらずして、法華経に来て始めて仏種を心田に下して、一生に初地・初住等に登る者もあり、又涅槃の座へさがり乃至滅後未来までゆく人もあり」

「勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや」

「一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給ふべからず」

「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」

 クリシュナムルティが説く「いま」と響き合うのは最後の二つだけだ。

 宗教的延期とは何か? ま、一種の先物取引だ。将来の価格が上がることを信じて対価を支払うわけだ。宗教における対価とは奉仕や修行である。もちろん寄付も含まれる。「これ」をやれば、「あれ」がもらえる寸法だ。

 日蓮の言葉に閃きは感じられない。特に「いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給ふべからず」などはいかにも鎌倉時代といった雰囲気が漂う。法華経という経典が主で人間が従になっている。創価学会では法華経を本尊と解釈しているが五十歩百歩の違いである。

 宗教的延期を見抜け。そして自分自身に対して一切の先延ばしをするな。

2015-02-28

日蓮が説いた「信」

 日蓮が説いた「信」はバクティ(信愛)そのものであり、ヒンドゥー教回帰と考えてよい。

・二仏並座は『バガヴァッド・ギーター』のパクリ

2015-02-24

本尊は鏡か?

 譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。(一生成仏抄)

 御義口伝に云く法華経に鏡の譬を説く事此の明文なり、六根清浄の人は瑠璃明鏡の如く三千世界を見ると云う経文なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり、又は我が一心の明鏡なり(御義口伝)

 御義口伝に云く法界に立て礼拝するなり法界とは広きに非ず狭きに非ず惣じて法とは諸法なり界とは境界なり、地獄界乃至仏界各各界を法る間不軽菩薩は不軽菩薩の界に法り上慢の四衆は四衆の界に法るなり、仍て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云。(御義口伝)

 日蓮遺文は創価学会版より引用した。いずれも真蹟はない。流麗かつ巧妙な文章である。続いて真蹟より引用する。

 夫れ天地は国の明鏡也。今此の国に天災地夭あり。知るべし、国主に失ありと云う事を。鏡にいかべたれば之を諍うべからず。国主小禍のある時は天鏡に小災見ゆ。今の大災は当に知るべし、大禍ありと云う事を。

 疑て云く いかにとして汝が流罪死罪等、過去の宿習としらむ。
 答て云く 銅鏡は色形を顕す。秦王験偽の鏡は現在の罪を顕す。仏法の鏡は過去の業因を現ず。

 日月は四天の明鏡也。諸天定まりて日蓮を知り給ふか。日月は十方世界の明鏡なり。諸仏定めて日蓮を知り給ふか。一分も之を疑ふべからず。

 あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。

 問て曰く 出処既に之を聞く。観心之心、如何。
 答て曰く 観心とは我が己心を観じて十法界を見る。是れを観心と云う也。譬ば他人の六根を見ると雖も 未だ自面の六根を見ず自具の六根を知らず。明鏡に向う之時 始て自具の六根を見るが如し。設い諸経之中に所々に六道竝びに四聖を載すと雖も 法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也。

 我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず。

 今日蓮一代聖教の明鏡をもつて日本国を浮かべ見候に、此の鏡に浮んで候人々は国敵仏敵たる事疑ひなし。一代聖教の中に法華経は明鏡の中の神鏡なり。銅鏡等は人のかたちをばうかぶれども、いまだ心をばうかべず。法華経は人の形を浮かぶるのみならず、心をも浮かべ給へり。心を浮かぶるのみならず、先業をも未来をも鑑み給ふ事くもりなし。

 此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門下の明鏡也。謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。

 真蹟からは日蓮が法華経を明鏡に喩(たと)えていることがわかる。先に巧妙と書いたのは他でもない。法華経→本尊という変質があるためだ。プロパガンダの技術としては相当レベルが高い。高等戦術である。

 感覚器官(六根)を鏡に例えるのは認知科学的視座であり、仏教の先進性が窺える。

 単純に考えてみよう。思想は鏡だろうか? 違うね。ま、定規といったところだろう。ブッダは鏡だろうか? これも違うと思う。ブッダという存在は「窓」だ。これが本日の結論である。

 ブッダ自身は自分の教えを「筏」(いかだ)に譬(たと)えている。

2015-02-13

情報の限界性

「日蓮云く各各さわがせ給うなべちの事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か」(「種種御振舞御書」)。真蹟なし(「御遺文の真偽問題 その問題点への私見」勝呂信靜を参照せよ)。

 尚、本文は「manjusaka225の仏法資料庫」からコピーさせてもらった。何と音声ファイル付き。ちょっと幼さが残るが中々上手である。私は読み方についてはかなりうるさいのだ。

 日蓮のセリフはまだまだ続くが省略する。前にも紹介した通り(松葉ヶ谷草庵跡)、これが事実であったとすれば多分「下馬」の交差点での出来事と思われる。


 日蓮は「神の存在」を信じていたのだろうか? それとも周囲の人々に対するパフォーマンスだったのか? たぶん信じていたのだろう。他の遺文にもたくさん書いてあるからね。

 時代の制約とは具体的には「情報の限界性」を意味する。果たして日蓮の悟りはそこを超えたのだろうか? 私は超えていないと思う。超えることができていればテキスト主義には陥らなかったはずだ。テキストという伝統(=変質した中国仏教)を踏襲したところに日蓮の限界性を見る。

思いやりも本能

 現代の霊長類学では「思いやりも本能」と考えられている。日蓮は知らなかったことだろう。

 腱鞘炎がぶり返してきたため思うように更新できない。キーボードの叩き過ぎによるもの。ま、そんなわけでヒントだけ示しておく。指と肘の調子がよくなったら矢野本の連載を始める予定。

あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源

2015-02-09

日蓮と空海

2014-11-25

日蓮と比叡山ルール

 日蓮のテキスト第一主義(経文至上主義=教条主義)とマンダラ・フェティシズムとマントラ奨励は、明らかにブッダと正反対に位置する。仏教東漸という変質した論理から正しい結論を導き出すことは可能であろうか? 私は難しいと思う。日蓮が悟っていたとすれば、本来であればまず最初に比叡山ルールを否定すべきではなかったか。

2014-10-25

日蓮と荀子

・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光

 ・日蓮と荀子

・『香乱記』宮城谷昌光

 ここでいう孫子とは荀子のことである。日蓮は荀子の影響を受けていたのだろうか。

 笑われた呂不韋〈りょふい〉は目に慍色(うんしょく)をだした。
「怒ったか。では、問おう。孫子の教義とするものは何か。仁義などではなく、わかりやすい例を挙げてみよ」
「孫子曰(いわ)く」
「む……」
「学は已(や)むべからず」
「む……」
「青はこれを藍より取れども藍よりも青く、冰(こおり)は水これを為(な)せども水よりも寒(つめ)たし」
「ほう」
「また孫子曰く」
 男は黙ってしまった。
「高山に登らざれば天の高きを知らず、深谿(しんけい)に臨まざれば地の厚きを知らず、先王の遺言を聞かざれば学問の大なるを知らざるなり。さらに孫子曰く。神(しん)は道に化するより大なるは莫(な)く、福は禍の無きよりは莫し」

【『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1997年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】