・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・政情不安
・諫言の人・晏嬰〈あんえい〉
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
が、斉の不幸は、桓公の死後、後継者争いが激化し、国内の政情がさだまらないあいだに、晋が図南(となん)の翼(つばさ)を張り、大いに武を飛翔させた結果、天下の輿望(よぼう)が斉から晋へうつってしまったことである。
【『晏子』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)】
再読。斉(せい)の始祖は太公望(呂尚)である。晏子と呼ばれたのは晏弱〈あんじゃく〉・晏嬰〈あんえい〉父子で太公望から4~5世紀後の名宰相。混乱に乗じて権謀術数が盛んになるのが歴史の常である。強い権力・巨大組織が盟主を喪い、分裂に至ることは避けようがないのだろう。晋は春秋五覇の代表格である文公(重耳〈ちょうじ〉)を輩出した。人が歴史を変え、歴史が人に彩りを与える。国家も宗教も求心力をなくした現代において時代の寵児はどこから生まれてくるのか?