・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
このころ、桑の木は神木で、「桑からなにが生れるか」と問われた者の十人中十人が、「日」(じつ)すなわち「太陽」とこたえたであろう。つまり太陽の数とは無限ではなく、十個あると考えられ、その一個ずつが、毎朝桑木から生れて、天に昇ると信じられていた。したがって、桑木とは太陽を生む木であり、そこから生れた児とは太陽でなくてなんであろう。
【『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光(海越出版社、1990年/文春文庫、1993年)】
かつて絹織物で栄えた八王子は養蚕(ようさん)も盛んであった。「私が子供の時分は家の2階で蚕(かいこ)を飼っていて、夜になるとワサワサと音がしたもんだよ」という話を聞いたことがある。「そのワサワサってえのあ何の音なの?」と尋ねると、蚕が桑の葉を食べる音だという。八王子には桑都(そうと)という別名がある。「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」(西行)。長らく「桑じゃ冴えないな」と思っていた。よもや神木だったとは。大洪水に呑まれる寸前に母親は赤ん坊の伊尹〈いいん〉を桑の木のうろ(空洞部分)に隠した。伊尹は紀元前1600年頃の人物。