2015-06-26

田中角栄


 今の若い人たちはもう田中角栄を知らないことだろう。私が当時を憶えている最後の世代に当たる。森田実のコメントが一々的を射ており小気味いい。言論出版妨害事件(1969年/昭和44年)の際、公明党首脳が自民党の幹事長だった田中に藤原弘達の説得を依頼。田中はこれに応じたが工作は失敗し、怒り心頭に発した藤原は舞台裏を暴露するに至った。尚、創価学会では「言論問題」と呼称し、法難と位置づけているが、実際は【創価学会が起こした事件】である。「過去にも出版に対する妨害は他でもあったが、流通過程にまで介入したのは出版史上初めての事であった」(Wikipedia)。

創価学会・公明党の言論出版妨害事件とは?
特集/「言論出版妨害事件」を再検証する
創価学会基礎知識・その19 「言論出版妨害事件」

 佐藤栄作首相の退陣記者会見は歴史的な映像で、メディアの力が新聞からテレビに変わった瞬間とされる。

 佐藤の跡目争い、資金力に物を言わせる手法、派閥分裂、そして病に倒れるまでの流れが池田と実によく似ている。

 竹下登は矢野絢也の依頼で、創価学会本部の税務調査を手加減するよう口利きをした人物である。その後、創価学会と公明党に裏切られた(『乱脈経理 創価学会 vs. 国税庁の暗闘ドキュメント』)。

 テレビ番組を鵜呑みにする危険性を防ぐために付言しておくと、田中角栄を葬ったのはCIAであり、ヘンリー・キッシンジャーであった。立花隆や堀田力はCIAからの資料提供を受けたに過ぎない。前にも書いた通り、キッシンジャーの逆鱗(げきりん)に触れたのは日中国交回復であり、もっと具体的にいうと日本が台湾を切り捨てたことにあった。周恩来は「日本にできて、どうしてアメリカにできないのだ?」とキッシンジャーに突きつけ、米中国交正常化は難航を余儀なくされた(1979年に実現)。

 検察は一国の宰相を外為法違反で逮捕した。そしてアメリカ側の証人は司法取引で罪は免れている。何をどう話そうが罪は問われないのだ。現在ではロッキード事件を冤罪と指摘する声も多い。

 角福戦争は田中が勝利を収めた。しかし後年、福田の秘書であった小泉純一郎が首相となり、郵政民営化という旗を振って旧田中派を完全に壊滅させた。小沢一郎の西松建設事件陸山会事件もこうした文脈で捉える必要がある。

 ロッキード事件で日本の政治家は震え上がった。アメリカに逆らうとどうなるかを見せつけられたからだ。