2021-08-30

「生涯に三度失脚し、三度復活した男」鄧小平

 ・日本を敵視するキッシンジャー
 ・「生涯に三度失脚し、三度復活した男」鄧小平

 またしても鄧小平が復活しました。じつは1930年代にも、コミンテルンの指令に忠実な親ソ派が支配する党指導部が、ゲリラ戦を重視する毛沢東路線に従う鄧小平を失脚させたことがあります。このときも鄧小平は、周恩来のとりなしで幹部に復帰しています。つまり、「生涯に三度失脚し、三度復活した男」というわけです。
 1978年、鄧小平は共産党の実権を事実上掌握し、改革開放路線への歴史的な転換を主導しました。以後、1997年に没するまで、20年にわたって鄧小平時代が続きます。
 ちなみに鄧小平は客家(はっか)です。客家とは戦乱のたびに華北から南方に逃げてきた漢民族の一派で、独自の習俗と言語を持っています。南部に元々も住んでいた人たちとの軋轢を避けるために、主に山岳部に住むようになり、農業ができないので、商売や金貸しで生計を立ててきました。そうしたことから、客家は「中国のユダヤ人」ともいわれています。
 客家同士のネットワークを活かして商売がうまく、東南アジアに出て行った華僑の多くは、客家でした。また中国、台湾、東南アジアの要人にも、客家出身者が多数います。たとえば、先述の宋家三姉妹もそうですし、人民解放軍初代総司令官の朱徳、第二次天安門事件のときの首相・李鵬(りほう)、台湾では元総統の李登輝や現総統の蔡英文、タイの元首相タクシン、シンガポールの初代首相リー・クアンユー、フィリピンの元大統領コラソン・アキノも客家です。

【『「米中激突」の地政学』茂木誠〈もぎ・まこと〉(ワック、2020年)】

「纏足をしなかった」(Wikipedia)ところに客家の開明さが窺える。鄧小平といえば池田と喫煙しながら談笑する写真が思い出される。周恩来や鄧小平は毛沢東の下で、ある面からいえば戦争以上に激しい権力闘争を生き抜いてきた人物である。40代の異国の宗教指導者を手玉に取ることなどたやすかったことだろう。創価学会にも勢いがあった時代で、池田の権力志向もあっさりと見抜いたことだろう。命のやり取りをするような修羅場をくぐり抜けてきた人には不思議な静けさが共通している。夕張炭労との攻防で池田がたやすく暴力に屈することがないのは証明されているが、周恩来や鄧小平からすれば小僧みたいなものだろう。

2021-08-24

「空」の思想

 このように、バラモン教では、自我を抹殺することによって死の恐怖から逃れようとした。そのために肉体を痛めつける苦行をおこなう。このような考え方に疑問をもったブッダによって、紀元前400年頃に唱えられたのが「空」の思想である。
 ブッダはブラフマンの存在をも否定して、いっさいのものを相互の関係としてとらえた。この世界は主客未分で実体がない。その唯一全一性をわれわれは実感として把握しなければならない。現象は、実体がないことにおいて、いいかえると、あらゆるものと関係し合うことによってはじめて現象として成立しているのである。
 したがって、現象を見すえることによって、いっさいが原因と条件とによって関係し合いながら動いている縁起の世界を体得することができるはずである。たとえば、この「私」という現象を動かないものとと仮定して、他との関連を見るとしよう。そのとき、「私」という現象が、つねに「私」でない他のものたちによって外から規定されつつ、現在の「私」とはちがった「私」、「私」でない「私」になりつつあるということが理解される。

【『われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学』柳澤桂子〈やなぎさわ・けいこ〉(草思社、1997年/ちくま文庫、2010年)】

 同時期に読んだ『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版』(シェリー・ケーガン:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳、文響社、2019年)よりも、こちらの方が上だと思う。柳澤の名前は『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』で知っていたが、さすがに多田富雄の相手をするだけのことはある。

 1990年代といえば池田がまだブラフマン思想から脱却できていない頃である(宇宙即我)。ストレートな仏教理解は科学者ならではの合理性から導かれたものだろう。

 創価学会員の中で縁起や諸法無我を理解している人が果たして何人いるか?

日本を敵視するキッシンジャー

 ・日本を敵視するキッシンジャー
 ・「生涯に三度失脚し、三度復活した男」鄧小平

 キッシンジャーはユダヤ系ドイツ人で、ナチの迫害を逃れてアメリカに移住し、大戦中に帰化しています。ドイツに残った親族は大勢ナチに殺されたといいます。だからキッシンジャーの思考の根底には、「ナチズムは敵であり、ナチと手を組んでいた軍国主義日本も敵だ」という信念があります。

【『「米中激突」の地政学』茂木誠〈もぎ・まこと〉(ワック、2020年)以下同】

 こうしたバックグラウンドがあったからこそ毛沢東や周恩来と渡り合うことができたのだろう。歴史の荒波を経験した政治家は強い。

 周恩来はキッシンジャーとの会談で、「日米安保は中国を敵視するものだ」と、懸念を表明します。それに対してキッシンジャーは、「日本の軍国主義化を抑えるために、米軍が駐留する必要がある」という論法で日米安保を正当化し、周恩来を説得しました。これが有名な「ビンのふた」論です。日本軍国主義というサイダーが吹き出さないように、在日米軍がふたの役割をしているのだ、という論法です。「ビンのふた」論は中国を説得するための方便ではなく、キッシンジャーの本心だったと私は思います。

 キッシンジャーの忍者外交(1971年)は功を奏したが、米中よりも先んじて日本が中国と国交を回復してしまった。これに激怒したキッシンジャーが田中角栄を失脚させたのがロッキード事件(1976年)である。キッシンジャーと池田の会談は1975年。もともとキッシンジャーはロックフェラー家の若頭的存在で、外交問題評議会(FCR)を通じて現在も尚、隠然たる影響力を行使している。先の大統領選挙では当初トランプを支持していたが、後に両建てでどちらが勝ってもいいように画策していた。両建てはユダヤ人の得意技である。

 アメリカにはイスラエルと同程度のユダヤ人が暮らしている(500万人強)。ニューヨークはジューヨークと呼ばれるほどユダヤ人が多い。金融・メディアはユダヤ系資本がほぼ独占している。そのユダヤシンジケートを牛耳っていたのがキッシンジャーであった。彼に渡りをつけておかなければアメリカに参入することはできないとまで言われていた。

 田中角栄が葬られたのに、なぜ池田大作は葬られなかったのか。キッシンジャーからすれば、まだまだ利用価値があったということなのだろう。そして周恩来もまた創価学会を利用するのである。

日中友好金の橋

 これが諸君の大好きな中国だ。

2021-08-07

「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」

2021-08-06

公明党議員秘書の貸金業法違反を須田慎一郎が解説

 個人的にはアメリカが糸を引いていると考える。親中政策を転換しない菅・二階をアメリカは失脚させようとしているが中々埃(ほこり)が出てこない。そこでやむを得ず与党にダメージを与える戦略を選択したのではあるまいか。



2021-08-04

公明党議員の事務所に家宅捜索


「消えない傷を心に残した」 ウイグル人女性、中国の強制収容所での体験を涙で語る

 ジヤウドゥンさんをはじめとするウイグル人女性たちは、看守から性的暴行も受けたという。

「ある時、私は20代の若い女性と一緒に連れ出されました。収容所の警官の隣に、スーツを着て口にマスクをした男がいました。夜の何時ごろだったのかも覚えていません。彼らは若い女性をレイプしました。私も3人の漢民族の警官によってレイプされました。彼らは、いつもこのように女性を独房から連れ出しており、まさにやりたい放題でした。時には、死にそうな状態でやっと戻された女性もいました。何人かの女性はそのまま姿を消しました」

「消えない傷を心に残した」 ウイグル人女性、中国の強制収容所での体験を涙で語る | 日本ウイグル協会

2021-08-01

高校3年男子が学校で屋上から飛び降り死亡、飛び降りを制止しようとした外壁工事をしていた50代男性も共に転落・・大阪 関西創価高校