・「生涯に三度失脚し、三度復活した男」鄧小平
またしても鄧小平が復活しました。じつは1930年代にも、コミンテルンの指令に忠実な親ソ派が支配する党指導部が、ゲリラ戦を重視する毛沢東路線に従う鄧小平を失脚させたことがあります。このときも鄧小平は、周恩来のとりなしで幹部に復帰しています。つまり、「生涯に三度失脚し、三度復活した男」というわけです。
1978年、鄧小平は共産党の実権を事実上掌握し、改革開放路線への歴史的な転換を主導しました。以後、1997年に没するまで、20年にわたって鄧小平時代が続きます。
ちなみに鄧小平は客家(はっか)です。客家とは戦乱のたびに華北から南方に逃げてきた漢民族の一派で、独自の習俗と言語を持っています。南部に元々も住んでいた人たちとの軋轢を避けるために、主に山岳部に住むようになり、農業ができないので、商売や金貸しで生計を立ててきました。そうしたことから、客家は「中国のユダヤ人」ともいわれています。
客家同士のネットワークを活かして商売がうまく、東南アジアに出て行った華僑の多くは、客家でした。また中国、台湾、東南アジアの要人にも、客家出身者が多数います。たとえば、先述の宋家三姉妹もそうですし、人民解放軍初代総司令官の朱徳、第二次天安門事件のときの首相・李鵬(りほう)、台湾では元総統の李登輝や現総統の蔡英文、タイの元首相タクシン、シンガポールの初代首相リー・クアンユー、フィリピンの元大統領コラソン・アキノも客家です。
【『「米中激突」の地政学』茂木誠〈もぎ・まこと〉(ワック、2020年)】
「纏足をしなかった」(Wikipedia)ところに客家の開明さが窺える。鄧小平といえば池田と喫煙しながら談笑する写真が思い出される。周恩来や鄧小平は毛沢東の下で、ある面からいえば戦争以上に激しい権力闘争を生き抜いてきた人物である。40代の異国の宗教指導者を手玉に取ることなどたやすかったことだろう。創価学会にも勢いがあった時代で、池田の権力志向もあっさりと見抜いたことだろう。命のやり取りをするような修羅場をくぐり抜けてきた人には不思議な静けさが共通している。夕張炭労との攻防で池田がたやすく暴力に屈することがないのは証明されているが、周恩来や鄧小平からすれば小僧みたいなものだろう。
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