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2021-11-03

衆院選で公明躍進(2021年)



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 佐藤がいなくても勝てた、ということで学会首脳は胸を撫で下ろしたことだろう。SNSでも多くの人が指摘しているが、「自民党は公明党を切って、維新・国民と連携する」のが望ましいと思う。公明党は改憲勢力ではない。そもそもは左翼の反戦・平和主義を取り込んだところに間違いがあった。ここから舵を切るのは難しい。少しばかり政治意識が高い創価学会員はれいわ新選組や立憲民主党に共感を抱いている。一度戦争になれば彼らの目も覚めることと思うが、そのために惨事を招くのは馬鹿げている。ウイグル人に対して行われている中国共産党の蛮行を紹介しても気づかないとすれば世も末だ。

2021-06-19

創価学会員の意志が問われる今年の選挙

 日本ウイグル協会は声明文のなかで、非難決議を推進してきた国会議員や、党内手続きを通して賛成の意思を示した与野党に対する感謝の意を表した。いっぽう、3月末から議論を先延ばししてきた公明党の対応は「絶望的」であると非難した。また、ジェノサイドに「証拠がない」「事実認定」がなされていないという議論は「やる気のない政治家の言い訳」だと一蹴した。

【日本ウイグル協会、声明文で与野党の努力に感謝示す 公明党にも言及:大紀元 2021年6月17日】

 我が子と離れ離れにさせられること。娘や妻が強姦されること。息子や夫が臓器を抜かれた遺体で帰ってくること。再教育収容所で日常と化した暴力と虐殺。こうした事実に創価学会員は想像力を巡らせることができるだろうか? あるいは遠い国の出来事として無視するのか。

 公明党は創価学会の下部組織である。政治家として独自の見解を持った竹入義勝や矢野絢也は葬られた。この二人は共産主義の危険性を知悉していた。創共協定に反対した瞬間から切り捨てられる運命にあったのだろう。たぶん池田としては言論出版妨害事件(1960年代末)の巻き返しを図りたかったのだろう。その焦りが後に盗聴事件にまで発展するのである。

 自分たちがおかした犯罪を「法難」と引っくり返してみせるのが創価学会のやり口である。二次に渡る宗門との紛争も創価学会から仕掛けた側面がある。結局のところ「集めた供養を宗門に渡したくなかった」というレベルの動きであった。

 公明党の中国擁護は創価学会が滅びるきっかけとなることだろう。与同罪を免れることはない。10年以上に及ぶ池田不在の混乱と見る向きもあるようだがそれは違う。周恩来が蒔いた種がしっかりと根を下ろしたと見るべきだろう。もちろん「ビンの蓋」論を展開したキッシンジャーも絡んでいるはずだ。

 来る東京都議会選挙と今年中に行われる衆議院選挙で創価学会員の意志が問われる。各々が自らの胸中に問いかけて判断すればよい。ただ、後悔しないために「スラップ訴訟に手を染めた創価学会」で紹介した2冊を読んでもらいたい。

2021-05-09

スラップ訴訟に手を染めた創価学会

 恫喝を目的とした訴訟をスラップ訴訟と称する。

・スラップ訴訟をどう抑止していくか 「反社会的な行為」という認識を広めることが重要 | 東洋経済オンライン

 谷川・佐藤が波田地氏を訴えたのが始まりか。今度は安保法改正に反対した天野氏を訴えた模様。それも著作権侵害で100万8000円を請求したというのだから開いた口が塞がらない。私は詳細を知らないのだが、こうなると三代会長のテキストは新たな商売道具として扱われる可能性が高い。ってことで尻尾を丸めて旧ブログを非公開にした(笑)。

 天野氏のツイッターを見る限りでは完全に左翼と同じトーンに堕していて目も当てられない。安保法案に反対するなら、せめて石油を使わない生活を実践するのが筋だろう。この法案はホルムズ海峡を渡る日本の石油タンカーを守る目的で改正されたが、結局骨抜きにされてしまった経緯がある。

・創価学会が元学会員に「嫌がらせ訴訟」の理由、コロナで意外なもろさ露呈【危機(6)学会員の離反】 | 有料記事限定公開 | ダイヤモンド・オンライン
・原田学会による「スラップ訴訟」 - kaku-haizetsu ページ!
・天野達志 | IWJ Independent Web Journal
・黄昏の流離人さん / Twitter

 この辺りをざっと眺めただけで個人的に首を突っ込む気はない。2004年頃も自衛隊のイラク派兵に異を唱える創価学会員が署名を集め公明党本部に提出した。しかしながら創価学会から訴訟を起こされた学会員はいないはずだ。池田不在の学会本部は取るに足らない地域の末端幹部の動きすら厳しく取り締まるようだ。そこに彼らの臆病が透けて見える。

 私は去る4月6日に創価学会をやめた。手続きや統監なんぞはどうでもいい。自分で「やめた」と決めればそれまでだ。友岡さんの死が導火線になっているのは確かだが、清水ともみの『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』(季節社、2020年)と『命がけの証言』(ワック、2021年)を読んだことが決定的となった。これほどの大虐殺に目をつぶり、今も尚公明党に親中政策を命じる創価学会に身を置くことはできない。

 それにしても不思議なのは安保法改正に反対した創価学会員があれほどいたのに、中国共産党によるウイグル人虐殺を批難する創価学会員がいないのはどうしたことか。せめて学生部あたりから動きが出てもおかしくないと思うのだが。

 大体だな、信濃町界隈でサイレントデモなんかやってる時点で手法を間違えている。デモがデモンストレーションの略語であることも弁えていないのだろう。示威行動の裏側には暴力的な覚悟が秘められている。元々民主政というのは、ボス猿(アルファ雄〈おす〉)に対して集団の暴力が勝(まさ)ったところから始まったのだ。言いたいことがあるなら街宣活動をするのがセオリーだろう。

 尚、老婆心から申し上げておくが、いかなる運動であっても「反」(アンチ)が目的であれば成功することはない。反公明・反学会ではダメなのだ。戦略を欠いた彼らが満足するような結果を得ることは絶対にないだろう。

 最後に一言。「先生、ありがとうございました。現在の私があるのは先生のおかげです。ご恩は生涯忘れません」。これが本音である。

2021-03-30

友岡雅弥の証言

・宮田論文に関する覚え書き
・「先輩からの手紙」に思うこと
・遠藤文書

 ・友岡雅弥氏の死を悼む
 ・友岡雅弥の証言
 ・友岡雅弥の査問

・友岡雅弥

 友岡の証言については以下のページを参照した。

・創価学会執行部から査問を受ければ・・・・ | Michaelshacksonのブログ
・友岡雅弥 | 師弟不二ARCHIVEはSOKANET・創価学会・教学・54年問題の総括をする宿坊の掲示板の理解促進するためのアーカイブ - Part 2
・友岡雅弥 | 師弟不二ARCHIVEはSOKANET・創価学会・教学・54年問題の総括をする宿坊の掲示板の理解促進するためのアーカイブ

 ご存じの方も多いだろうが友岡は長らくホームレス支援を行ってきた。云わば「社会の悲惨や辛酸」を最もよく知る人物といってよい。その友岡が七度の査問で精神に失調をきたしたという話が私には解せなかった。査問が直接的な原因ではあるまい。何か自分の中の理想が崩壊するような言葉や手口に遭遇したのだろう。また査問後に退会しなかった理由も不明である。

 もしも私が同じ目に遭ったらと想像せざるを得ない。私なら黙って素早く行動を起こす。まず査問担当者を締め上げて「誰の指示」によるものかを確認する。該当者が判明した後は「悪と戦う」心意気を満天下に示す。言葉でワーワーやるつもりは更々ない。最初から実力行使だ。経緯を動画で拡散すればそれで一件落着だ。賛同も望まないし批判も恐れない。やるべきことを淡々とやるだけのことだ。

 今再び全部の記事に目を通したが、心の中を無念の風が吹き抜けるだけで何かを書く気になれない。友岡もまた池田崇拝を脱却できておらず、周囲の悪を許してきた池田の責任を問うまでに至っていない。また、社会主義的傾向が強かったこともあって、学会活動をボランティアと捉えているがそれは違う。生活支援は飽くまでも従であって、信心指導が根幹をなす。でも、それができるところが友岡さんの凄いところだよね。

 記者子の主観を交えた余計な文章がせっかくの言葉を台無しにしている。彼らにかかれば遺言のような言葉であっても組織内の政治闘争の道具にされてしまう。

 友岡さんには知己も多かったが、周囲の人々はどう判断しているのだろう? 否、判断はこの際どうでもよい。何か行動を起こしているのだろうか?

 創価学会はもう完全に中国共産党と化してしまったのだろう。私からは早目の避難を勧めておく。

 20年ほど前に立川平和会館で女子部の副本部長が不倫相手の元男子部副書記長を刺した事件があった。別れ話のもつれでさえ、ここまで思い切った行動ができるのである。女子部幹部はその後海外で元気にしていると聞いた。

長谷川重夫……池田の筆頭茶坊主、ゴマすり男の見本

・宮田論文に関する覚え書き
・「先輩からの手紙」に思うこと

 ・遠藤文書
 ・「遠藤文書」に関するメモ
 ・遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について
 ・「教学部レポート」を読む
 ・「遠藤文書」を読む その一
 ・「遠藤文書」を読む その二
 ・大御本尊決別「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
 ・長谷川重夫……池田の筆頭茶坊主、ゴマすり男の見本

・友岡雅弥氏の死を悼む

 とは内藤国夫の評である(創価・公明のスキャンダル-8 - 創価学会・公明党が日本を亡ぼす)。私は青年部時代から好きではなかった。この人ね、口伝が多すぎるのよ。特に1994年(平成6年)前後から「会長勇退秘史」を秋山栄子と二人で喧伝していた。検証しようのない情報を東京区男会などでペラペラと語っていたことが思い出される。長谷川に関しては以下のような情報もある。

・遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について

 官僚の不作為と同じ手口だ。その長谷川を長らく重用してきたのは誰か? 池田大作その人である。

2021-03-11

大御本尊決別「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」

・宮田論文に関する覚え書き
・「先輩からの手紙」に思うこと

 ・遠藤文書
 ・「遠藤文書」に関するメモ
 ・遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について
 ・「教学部レポート」を読む
 ・「遠藤文書」を読む その一
 ・「遠藤文書」を読む その二
 ・大御本尊決別「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
 ・長谷川重夫……池田の筆頭茶坊主、ゴマすり男の見本

・友岡雅弥氏の死を悼む

大御本尊決別 2014.11.8(聖教新聞)

「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」

【原田会長による創価革命 | よくわかる創価学会】

 これは凄い。私は全く知らなかった。猊下を畜生呼ばわりした時とは次元が異なる。しかもそれを宣言しているのが選挙に負けてばかりで土下座させられた人物なのだ。法は真理である。数十年ごとにコロコロ変わるものを法とは呼ばない。それは政策だ。

 以前、ツイッターで無水鍋を勧めたことがある。用意周到に調べ上げ、自分で購入した直後のことだ。何人かのフォロワーが買ったことを知らせてくれた。その翌月になんと無水鍋の値段が1.5倍ほどに値上がりした。たぶん原材料費が高騰したのだろう。タイミングがよかった。私の来し方を振り返るとしばしばこういうことが起こる。創価学会から離れたタイミングも絶妙であったと今になって思う。

 もしもあなたが日蓮仏法を信じているのであれば日蓮に従うのが正しい。ただし日本仏教が祖師信仰に陥っている事実を自覚する必要がある。

――日本の仏教とテーラーワーダがもっとも違うのは、どこでしょうか。

スマナサーラ●違いはたくさんありますが、いちばんはやはり日本の仏教がいわゆる祖師信仰だという点でしょうね。祖師信仰では、その宗派を開いた祖師さんの言うことは何でも、自分ではちょっとどうかなと思っても、信仰しなさいと強要します。つまり、祖師の色に染まるんですね。

【『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司〈ようろう・たけし〉(宝島社、2004年/宝島SUGOI文庫、2014年)】

2021-03-09

「遠藤文書」を読む その二

・宮田論文に関する覚え書き
・「先輩からの手紙」に思うこと

 ・遠藤文書
 ・「遠藤文書」に関するメモ
 ・遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について
 ・「教学部レポート」を読む
 ・「遠藤文書」を読む その一
 ・「遠藤文書」を読む その二
 ・大御本尊決別「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
 ・長谷川重夫……池田の筆頭茶坊主、ゴマすり男の見本

・友岡雅弥氏の死を悼む

2013年9月

「学会常住御本尊」の意義付けについて小委員会発足。
 出席者 谷川事務総長、金沢組織総局長、秋谷議長、八尋弁護士、森田康夫氏。教学部から遠藤総合教学部長、森中教学部長、宮地 。

 八尋弁護士 「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」
 秋谷議長 「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御本尊であるが、唯一絶対の御本 尊と大聖人が定められた証拠はない。」
 谷川総長 「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」
※発言時期は不明

【大御本尊決別問題の経緯 | よくわかる創価学会】

 思わず笑ってしまった。かつて阿部日顕を「教義破壊」と罵ったのはどこのどいつだっけ? 八尋某の発言に至っては現場を舐めているとしか言いようがない。この連中を糾弾する青年部がいないなら、創価学会は池田の死去をもって終止符を打つものと考えてよかろう。かくも教義に無頓着な教団はもはや宗教団体ではあるまい。仏教を騙(かた)った政治団体と見なすべきだろう。

2014年11月8日

 原田会長 聖教新聞で「大御本尊を受持しない」を発表。

 創価学会は大謗法の団体と化した。三代会長の教えにも背くものである。よって日蓮仏法確かならば恐るべき現証が出るに違いない。

 それにしても創価学会内部が静かなのは不思議である。遠藤が起こした行為に対して執行部は査問で応じた。ここで遠藤は事件を起こすべきだった。体を張るとはそういうことだ。どんな形でもいいから世間の耳目を集めるような事件を起こすべきだったのだ。私の考える方法でなかったとしても、例えば「査問同時中継」などはやろうと思えばできたはずだ。

 五・一五事件や二・二六事件には日蓮思想の影響を受けた人物が多かった。「青年よ、国士たれ!」と叫んだ戸田の思いにも何らかの影響を及ぼしたことだろう。五・一五事件に国民は喝采を送った。二・二六事件に至るのは当然の流れであった。

2021-03-03

「遠藤文書」を読む その一

・宮田論文に関する覚え書き
・「先輩からの手紙」に思うこと

 ・遠藤文書
 ・「遠藤文書」に関するメモ
 ・遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について
 ・「教学部レポート」を読む
 ・「遠藤文書」を読む その一
 ・「遠藤文書」を読む その二
 ・大御本尊決別「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
 ・長谷川重夫……池田の筆頭茶坊主、ゴマすり男の見本

・友岡雅弥氏の死を悼む

「遠藤文書」に関しては以下のページを参照した。

・総合教学部長・SGI 教学部長の遠藤孝紀副会長が副理事長宛てに提出した質問文書

 硬い文章からも何となく伝わってくるが遠藤は小物である。副会長という肩書を見て私がびっくりしたほどである。「河合一〈かわい・はじめ〉師範が副区長なのに」と言いたくなる。教学を除けば遠藤や須田あたりは本部長のレベルだ。たぶん両者とも区長(=圏長)を経験していないだろう。その遠藤が執行部に物申したのだから大したものだ。心から立派だと思う。できそうでできないことである。

 私は今となっては創価学会の教義に何の興味もないし、変えたいのであれば勝手に変えればいいという立場である。内紛も好きなだけやってもらいたい。何もないよりは断然面白い。権力闘争、大いに結構だ。死人が5~6人出るくらい頑張って欲しいと思っている。

 先月、長谷川本部長、谷川総長は、戒壇の大御本尊に関する教義変更について「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」と明言されました。

 しかし池田先生は昨年、会則における大御本尊の記述変更の報告書に対して「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」と明快に御指導されています。

 この点について谷川総長は先月、大御本尊との決別は池田先生の御意志であったが、先生が途中で判断を変えられた等の説明をしていました。しかし、この御指導には、そうした曖昧な説明を許す余地は全くありません。

 遠藤の目的は大御本尊踏襲路線にあるので、その論理構成は理解できるが重大な見落としがある。それは「教義に違背すれば三代会長であっても謗法になる」との一点である。創価学会の内部的な議論はともすると法ではなく池田を巡る議論に傾く。正当ではなく正統を重んじるのは密教に由来する性質だ。

 上記テキストであれば「流れの様子を見る」などという池田の政治的なスタンスにこそ遠藤事件の本質があるのだ。そこを不問に付して「曖昧な説明を許す余地は全くありません」などと言ってしまうところに弱さがある。曖昧そのものだろう。

 大体、坊さんの書写したマンダラを拝んでいるのだから、今更理窟をこねたところでしようがあるまい。

 ま、執行部からすれば「遠藤如きが何を言い出すのだ?」という程度の反応だろう。手に取るようにわかるよ(笑)。

2021-02-25

「教学部レポート」を読む

・宮田論文に関する覚え書き
・「先輩からの手紙」に思うこと

 ・遠藤文書
 ・「遠藤文書」に関するメモ
 ・遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について
 ・「教学部レポート」を読む
 ・「遠藤文書」を読む その一
 ・「遠藤文書」を読む その二
 ・大御本尊決別「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
 ・長谷川重夫……池田の筆頭茶坊主、ゴマすり男の見本

・友岡雅弥氏の死を悼む

 少しばかり検索してみたのだが、どうも「遠藤文書」から読み直す必要があることに気づいた。尚、遠藤文書や友岡雅弥の査問について本部職員や元男子部首脳に尋ねれば大方の事情はつかめると思うが敢えて確認しない。いずれにせよこれらの「事件」を静観あるいは見て見ぬ振りをする幹部しかいないことは明らかだろう。友岡について書いた後は波田地 ( はたち )動画を紹介する。

 全体的な情報がきちんと編まれていないためわかりにくいのだが教学部レポート「総本部の御本尊と日蓮世界宗創価学会会憲の問題点」と、遠藤が査問を受けた後に提出した「質問書」があるようだ。

・「ドン不在」創価学会で某重大論争:FACTA ONLINE

 やっと見つけた。

・教学部レポート「総本部の御本尊と日蓮世界宗創価学会会憲の問題点」

 レポートで縷々(るる)述べられているのは全くの正論で反論できる者はあるまい。「学会常住御本尊」の意義付けに関する小委員会が発足したが、政府の諮問会議みたいな扱いで、学会首脳部は「本部マンダラを大御本尊と位置づける」ための理窟(りくつ)が欲しかったようだ。

 本尊に関するテクニカルな問題だが、創価学会は既に教義変更を重ねてきており、全体的に「教義は絶対である」との認識すら薄い。むしろ法主を斥け、五座三座の勤行すら蔑ろにした学会の行状を振り返れば、池田絶対主義に大きく舵を切ったことが窺える。教義ではなくカリスマ依存の体質となったところに宗教性を見出すことは難しい。

秋谷議長「『戒壇の大御本尊は信受の対象ではない』と、とにかく、まず会長が大々的に発表してしまえばいいんだ。そのあとで上手く説明を作るのが教学部の役目じゃないか」

 末端にとってはなぜ今頃かような教義変更を目論むのか理解に苦しむことだろう。簡単な話だ。池田亡き後、激減する財務・聖教新聞部数を見込んで、かつての登山会のような学会本部参詣を企てているのだ。御開扉料を徴収しなくても、何らかの広布基金システムを考えているはずだ。あるいは記念品販売など。

 結局カネの話だ。金儲けのために教義を変えるのだ。連中は池田の死すら大いに利用することだろう。池田を偲(しの)ぶでかい記念講堂を建設するという名目で大々的な財務を行うに違いない。あるいは信濃町界隈に池田の墓を作り、記念室を作り、全国巡回の展示会を行い、これでもかと言わんばかりに会員の財布を叩くことだろう。

2021-02-22

友岡雅弥氏の死を悼む

・宮田論文に関する覚え書き
・「先輩からの手紙」に思うこと
・「教学部レポート」を読む
・「遠藤文書」を読む その一

 ・友岡雅弥氏の死を悼む
 ・友岡雅弥の証言
 ・友岡雅弥の査問

・友岡雅弥

 友岡さんが亡くなったことを私は知らなかった。偶然「宿坊の掲示板ほぼbot」のツイートで知った次第である。直ぐ検索したところ、学会本部で七度に渡る査問を受け、それが原因でPTSDを発症し、長らく支援していた東北の地で斃(たお)れたという。役職も解任された上、退職金の返還も命じられたとのことで、創価学会の共産党的体質が急速に強化されていることが窺える。

・著者友岡雅弥 逝去についてお知らせいたします | すたぽ-Starting Point-
・キャンペーン · れいわ新選組: 友岡雅弥さんを死に追いやった人達への適正な刑事訴追を求めます。 · Change.org

 下のリンク先は要注意である。「宛先:れいわ新選組」となっており、何らかの政治的意図が見え見えだ。入院中の写真があることから友岡さんと親しい人物であるような印象を受けるが、この人物が撮影したかどうかを確認しようがない。果たして生前の本人が了承したのだろうか?

 一人は自ら実名を出していますが、友岡雅弥という、金銭不祥事を起こして2017年に学会本部を辞めた人物です。

【社団法人の母体は波田地グループ肝いりの会員制有料ブログ - 創価学会員として生きていく】

 事情通が書いているようだが体制側の安全な位置でぬくぬくとする気楽な調子が行間から滲(にじ)んでいる。もしも組織からの指示でやっているなら絶対にやめた方がいい。個人を特定する手段は結構あるし、創価学会は暴力に長(た)けた人間が多いので事件に発展する可能性がある。「殺される覚悟」があるのなら見上げたものだが。

 宿坊板のまとめも読んだ。日を改めて所感を記す。

 客観性を重んじるため普段は敬称を省(はぶ)いているが、一度面識があることと、著作から受けた恩恵が大きいため例外とした。

 今日は古谷さんの命日。

2020-06-17

警告

 既に創価学会から離れている私から言うのも何だが老婆心から警告しておく。

・創価学会員として生きていく

 たまたまツイッターで知ったブログだがこれはやめた方がいいよ。匿名で行う中傷行為は隠れた場所から石を投げつけるような行為だ。で、名誉毀損罪や侮辱罪で済めばまだいいが、予期せぬ事態に発展することも十分あり得る。

 インターネットの匿名性を過信してはいけない。例えば相手方グループの中に株式会社はてなの社員がいるかもしれないし、あるいは同調する振りをしてブログの主に接近することも可能だし、更には正面から法的措置に及ぶことで登録情報は知られてしまう。

 問題はここからだ。創価学会には恐ろしく暴力行為に長(た)けた連中が少なからず存在する。前にも書いたが東京の下町で一時期妙観講を排除したのは、各所でボコボコにしたからだ。

 話は変わるが学会本部内でも酷い仕打ちを受けている若者がいる。私ですら「本当にそんなことがあるのか?」と言いたくなるような犯罪紛いの行為がまかり通っている。犠牲になるのは大人しい人物だ。「よくもまあ黙っているもんだな」というのが率直な感想だ。もしも私だったら残忍な行為に及んでいることだろう。

 中にはセミプロやプロとつながっている連中もいる。プロとはカネで動く人々のことだ。匿名で行う中傷は暴力だから必ず暴力的な報復を招来する。それでもやりたいのであれば殺される覚悟でやることだ。

 で、成り行き上、はたちチャンネルも見たが唖然とした。同じレベルで殴り合いをしていたことがよくわかった。完全にプロデュースの仕方を誤っている。公私の節度がない。人前で言っていいことと悪いことがある。いくつかの動画を視聴したが明るい気持ちになるものが一つもない。

 かつて「創価学会に入ることは“争いに巻き込まれる”ことを意味する」と書いた(争いの絶えない狂った世界)。学会員のメンタリティは中国共産党と酷似している。他者を批判することでしか自分たちを正当できないのだ。日蓮系教団は当初から分裂を繰り返してきた歴史があるわけだから、どんどん分裂するのが正しいあり方だろう。

2020-02-26

AERA連載「池田大作研究」に抱いた、拭い切れぬ違和感

 この連載を現在出たものを通して見る限り、「方法論」に大きな問題を抱えているように思えてならない。それは『池田大作全集』を中心とした教団の公式刊行物をソースとし、それによって創価学会の「内在的論理」をつかむことができるという前提に立っている点だ。

【藤倉善郎:ハーバー・ビジネス・オンライン】

 正論だ。茂木健一郎と時を同じくして佐藤優は各界のそこそこ著名な人物と精力的に対談を行った。ちょうど茂木・池田の往復書簡が発表された頃だ。佐藤が近づいたのは一定のコアなファンを持つ人々で、巧妙な間接的アプローチともいうべき策謀であった。彼は現在、チュチェ思想(北朝鮮の金一族を崇拝する思想)を信奉する日本人グループのリーダーともつながっている。

 元々ロシアの大学教員を務めたほどの人物だから、「現代の尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉」という私の見立てもそれほど的外れではあるまい。しかも創価学会は創価学会でその運動論はほぼ共産主義のパクリで、日本共産党が浸透している可能性も否定できない。更に阿部vs.池田紛争以降はチュチェ思想的な色彩を強めている。イデオロギーは異なるのだが不思議なほど親和性がある。

 2年ほど前に安倍首相が改憲について具体的な意見を表明してからというもの、左翼の焦燥はメディアをも巻き込んで倒閣運動に舵を切った。佐藤優といえば沖縄と北海道(鈴木宗男のコネクション)で影響力が強い。沖縄と北海道は中国資本が席巻している共通点もあるが、それ以上にチュチェ思想が浸透していて琉球独立派とアイヌ人権派は完全に結託している。

 佐藤がどのような「南進」を叫ぶのかはわからぬが、ゆくゆく明らかになることだろう。もちろん騙される自由はあるし、騙されるのも勝手だ。ただ一応私の老婆心を示しておくよ。

2020-02-22

命日

 今日は古谷さんの命日。私は彼と共に在(あ)った。否、私は彼と共に在る。それでいい。

2019-11-20

正しい正座


 投稿タイトルが重言(二重表現)でないことを祈りつつ。確か高校の柔道の授業で教わったと記憶しているのだが「足を重ねる正座は誤りである」と知った。それから重ねた足を並べるのに3ヶ月ほど要した。完全に慣れるまでは半年から1年ほどかかった。踵(かかと)をピッタリとつける正座を初めて知った。直ぐにやってみたができなかった。こむら返りを起こしそうになる。3日間ほど続けると少しできるようになった。これは効く。

 ヨガは坐法を極めたものだ。昔、掲示板で鎌倉時代の座り方は正座ではないと教えられ吃驚仰天した覚えがある。胡坐(こざ、あぐら)か結跏趺坐あるいは片膝を立てる座り方であったようだ。武士の場合、胡座(あぐら)の姿勢で足の裏を付けていたらしい(ヨガのバッダ・コーナアーサナ〈合蹠のポーズ〉)。畳が庶民にまで普及したのは江戸期以降のこと。とはいえ正座という表現からも明らかなように我々の思考回路だと胡座は行儀が悪く感じてしまう。かつて健康に悪いとされた正座であるが、現在ではO脚矯正の効果あるとして持てはやされている。

「行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし」(古写本・日興筆 神奈川由井氏)を正座と思い込むところに思考の陥穽(かんせい)がある。まして「助縁には南無釈迦牟尼仏」と唱えていない不思議を思うこともない。

2019-11-08

ハロー効果


 それは、ないと思う。そもそも高度経済成長期(1954-73年)にあって実際的な労使間のトラブルはさほどなかった。問題があるとすれば長時間労働くらいだろう。戦後の復興を経て「働けば豊かになれる」との実感は日本のGNPを世界第2位(1968年)にまで高めた。

 私がかつてこのテキストを読んだ時は「ケッ」という程度の感想しか持てなかった。当時は団塊の世代を中心とする終戦前後に生まれた連中の鬱屈した心理が暴力のハケ口を求めてやりたい放題をしでかしていた時代である。労働運動という潮流に目ざとく反応しただけのことだろう。

 尚、労働組合の実態については西岡研介の著書が詳しい。

マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実
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トラジャ JR「革マル」30年の呪縛、労組の終焉
西岡 研介
東洋経済新報社
売り上げランキング: 1,053


 池田はここでポンド切り下げを持ち出しているが実は何も語っていない。大英帝国の凋落は1870年代から始まり、スターリング・ポンドは第一次世界大戦後、基軸通貨の地位から転落する。日本の戦後復興は朝鮮特需(1950〈昭和25〉-55〈同30〉年)が火を点けたのだから外貨準備は新たな基軸通貨のドルであったことは言うまでもない。ポンド切り下げ(対米4.03ドルから2.80ドル)が及ぼす日本への影響はイギリスとの貿易実態を見なければ判断しようがない。また、もしも池田が本気でポンド切り下げと労組結成を考えていたのであれば、ニクソン・ショックでそれを実行しなかったのはどう考えてもおかしい。

 もう一つはイギリス病を指摘しておきながら小さな政府に言及していないのもトンチンカンだ。

 昔の月刊誌『潮』に登場する書き手は進歩的文化人が占めていた。もともと大衆運動という点で左翼と創価学会には親和性があるのだ。しかも運動性という点において創価学会が左翼を上回っていたことは石牟礼道子の証言からも明らかだ(『石牟礼道子対談集 魂の言葉を紡ぐ』)。彼女は左翼シンパである。デビュー作『苦海浄土』(1969年)は名著であるがフィクションが盛り込まれている。

 更に古くは鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし著『折伏 創価学会の思想と行動』(1963年)で左翼諸氏が創価学会に秋波を送っている。

 私からすれば池田の発言は世情に阿(おもね)る姿勢を披瀝したもので新たな時代を開く宗教指導者の矜持(きょうじ)は感じられない。

 あらゆる教団が教祖に対するハロー効果で発展してゆくが、教祖亡き後に滅ぶのもまたハロー効果のためであろう。

2019-10-09

中野論文の手引

・「宗教の起源・再考 近年の進化生物学と脳科学の成果から」中野毅〈なかの・つよし〉、2014年

 なんだかんだ言っても創価学会の知性は侮れない。かつて私は『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』(2014年)という本を愚弄する際にこの論文を紹介した(宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道)。

 更にタイミングよく2年後には『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ)が刊行された。

 中野論文の参考文献の殆どは私も読んでいるが、宗教と科学の間は科学からの進攻によって溶け合い、グラデーションを描く地続きの世界となって現れた。『サピエンス全史』を読めば明らかだがイスラエル人歴史学者が仏教学者以上に仏教を正確につかんでいる。

 意外と見落とされがちな書籍を紹介しておく。リンクを貼るのが面倒なんで「必読書リスト その五」を参照してもらいたい。

『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ→『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ→『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン→『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 この流れを押さえておかないと情報理論に跳ぶことが難しい。また、『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラーを読んでいても、『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェルに辿り着いている人は少ない。そこまで行くと『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャースまで見通せる。

「人類は鉄の発明によって定住と余暇を得た(鉄器が農耕の生産性を上げた)。そこでものを考える人々が登場した。イエスもお釈迦様も孔子も暇な人たちだった」とかつて武田邦彦が虎ノ門ニュースで語っていた。つまり時間的な余裕が「生と死を見つめる眼差し」を生んだのだ。人生の苦しみは病に象徴された。病めば死ぬという時代が長く続いた。そこで頼りになるのは自分と家族、そして宗教だけであった。第二次世界大戦後、工業国では陸続と病院が建設された(『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ、2016年)。僧侶や聖職者の代わりを医師が務めるようになった。患者は医師の言葉を信じて疑うことを知らない。ところがDNAの二重螺旋構造が発見され、21世紀前後から分子生物学が台頭する。それまでの医学が症状という仮諦から原因を探るのに対して、分子生物学は遺伝子という空諦(性分)から発症しやすい病気まで突き止めた。実際のところ人類の寿命が伸びた理由は医学の進歩よりも衛生概念の向上が大きく、幼児の死亡率が低下したことに起因する。

 私が「物語」と呼び、バイロン・ケイティが「ストーリー」と表現したものを、ユヴァル・ノア・ハラリは「フィクション」と指摘した。そして「虚構を信じる力で人類は発展を遂げた」と断じる。

 フィクションの最たるものは国家とマネー、そして宗教であろう。鎌倉時代が日本仏教の黄金期となったのも貨幣経済の発達(『詳説日本史研究』2008年)とは無縁でない。現代人は既に神仏よりもマネーの力を信じている。

 ジュリアン・ジェインズは人類に意識が芽生えたのは3000年前と仮定している。それ以前は右脳が発する声を抑えることができなかった(統合失調症と同じ状態)。脳の左右が分離していたのだろう。ところが言葉(論理、物語)を通して脳は統一された。

『サピエンス全史』の直後に『台湾高砂族の音楽』(黒沢隆朝、1973年)を読んで驚愕した。「高砂族にはフィクションという概念がなかった」というのだ。本は読めば読むほどつながるものである。つまりコミュニティが部族から国家へと向かう中でフィクションは共有されるのだ。完全な封建制は世界でもイギリスと日本にしか存在しなかった(倉前盛通、1980年)。

 卑近な例を示そう。ママゴトに興じている少女は多分フィクションを自覚していない。彼女は本気で「母親」になっている。演劇とは似て非なるものだろう。人類が言葉で歴史を綴った時、ほぼ同時に演劇も誕生したに違いない。日本では歌舞を神に奉納した(神楽→猿楽→能)。

 ブッダやクリシュナムルティはこうした言葉の虚構性を打ち破ったわけだが、話が長くなってしまうので今日はこの辺で。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
ジュリアン ジェインズ
紀伊國屋書店
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ユーザーイリュージョン―意識という幻想
トール ノーレットランダーシュ
紀伊國屋書店
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動物感覚 アニマル・マインドを読み解く
テンプル グランディン キャサリン ジョンソン
NHK出版
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ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき
レイ・カーツワイル 井上 健 小野木 明恵 野中香方子 福田 実
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2019-03-11

親子関係を通して形成される業

・三島由紀夫と永山則夫

「家族そのものが業である」の続きを。私が親子関係の束縛を強く意識したのは最近のことである。2冊の本の影響が大きかった。紹介するのが面倒なので書評ページのリンクを貼っておこう。

・血で綴られた一書/『生きる技法』安冨歩
・子は親の「心の矛盾」もまるごとコピーする/『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉は東大教授で私と同い年である。彼が明かした実母との確執は「静かなる虐待」に基づいており、縁が切れるまでに至る。なかなか書ける事柄ではない。「書いた」あるいは「書けた」という事実が既に過去の感情から離れたことを示している。我々にとっては「話す」行為も同様に考えてよい。「話す」は「離す」に通じる。

 二度目の書評(「心理的虐待」)で私も「親から愛されていなかった」と書いた。これだってね、結構勇気を必要としたものさ。安冨の勇気が私に伝染したのだろう。

 そして高橋本の書評では「親に褒めてもらうことが殆どなかった」と書いた。

 様々な本を読んできてわかったことだが、良家の良家たる所以(ゆえん)は「子を叱らない」ところにある。たぶん家格や親の振る舞いを通した枠組みが上手く機能するのだろう。天才が育つ環境も同様で親が叱った形跡は全く見られない。

 小学3年の時、人生を変える出来事が二つあった。一つは学級代表の選挙で私に2票入ったことで、もう一つは前にも書いたがドッジボールでファインプレーをしたことだった。2年生になるまで私は転校を2回経験していた。声と体は大きかったが比較的おとなしいタイプの子供だった。2票にはつくづく驚かされた。「誰だろう?」と考えるだけで胸がドキドキした。自分をそんな風に見てくれる同級生が二人もいることに私は自信を見出した。ドッジボールのファインプレーは運動神経の開花ともいうべき瞬間で、初めて誘われた野球の試合でも私は同様のプレーをした。もちろん、やんややんやの大喝采だ。

 で、小学4年になって私は学級代表となった。もう驚きはなかった。たった1年で私は大きく変わった。卒業まで学級代表を続けたのは私一人である。成績もよくなり、おまけに字まで上手になった。

 私の自我は小学生時代に形成された。今日に至るまでほぼ変わっていない。それが証拠に小学生時代の友人からも「お前は全然変わっていない」と必ず言われる。どれくらい変わっていないかというと小学校時代のギャグや物真似を今でもやっているのだ。

 どんな親であろうと子供にとっては「大人のモデル」となる。たとえ反面教師にすることが成功したとしても飽くまでマイナスに作用しただけのことで、親という基軸を巡る反応であることに変わりはない。

 私は愛されてこなかった。だからこそ人の心を敏感に察知できるようになった。これは自慢でも何でもないが私は自分でもびっくりするほど親切だ。私の額には「ミスター親切」と刻印されている。

 ところがである。最近も親切三昧の生活をしており、フト気がついた。「ひょっとして親からしてもらいたかったことを俺は他人にしているだけではあるまいか」と。往々にして踏み込みすぎて相手との距離が異様に近くなるのもそのためだろう。

 一切のモデル(原型)を打破したのが「仏」という概念であったのだろう。旧約聖書が偶像崇拝を禁じたのは卓見であるが、連中は「神」というもっとでかい偶像を造ってしまった。

2019-03-10

鎌倉仏教とプラグマティズム

 鎌倉仏教なかんづく日蓮・法然・親鸞が行ったのはシナ仏教のプラグマティズム化であったのだろう。修行の目的を悟りから行為に置き換えるビジネスモデルの確立が広く大衆に受け容れらたのだ。信に重きを置いたのは深層心理のメカニズム(唯識)に基づく。後期仏教(大乗)がヒンドゥー教色を取り込む世俗化であったのに対し、鎌倉仏教はもっと実際主義的な趣がある。これを正統という物差しで判じることは簡単だが、そうではなく「社会構造・文明構造の変化=脳の変化」と捉えるべきだろう。とりわけ貨幣(マネー)と文字(テキスト)の影響が大きいと考える。

2019-02-18

コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック

・テキストの怪~新しい宗教

 ・コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック


 ゴスペルやブラックミュージックは10代から聴いている。私は中村とうようの影響でワールドミュージックに開眼し、その後、りんけんバンドを通して沖縄ポップスに目覚めた。4年前にDifang(ディファン/郭英男)を知り、ツイッターで映画『セデック・バレ』を奨(すす)められ、すっかり台湾原住民文化の虜(とりこ)となった。尚、台湾に関しては先住民が死滅した部族を表す言葉のため原住民という表現は差別に該当しない。

 ゴスペル(黒人霊歌)の動画を見るたびに思うのは、「なぜ、自分たちを支配した白人の神をブラック・アフリカンが歌うのか?」という疑問だった。歴史を知れば知るほど私は悲しみを覚え、言いようのない怒りにまで駆られた。旧ソ連の国旗のようにトンカチと鎌(かま)で神をやっつけるべきだと思った。やはり文字を持たぬ民族――あるいは文明――の弱さなのだろう。

 10年ほど前にジーザス・ソングを知り、インターネットラジオで聴いていたのだが、格段に音楽性が洗練されていて驚いた。ゴスペルよりも静かな落ち着きが内側から発する感動となって余韻を残す。以前はキリスト教に対する嫌悪感が強く、自分の否定的な感情を払拭することがかなわなかったが、竹山道雄を通して達観に至った経験も影響しているのだろう。

 もちろん戦略として音楽を利用しているのだろう。コンサート会場のような巨大なホールも殆どが自前の建物のようだ。それでも創価学会の軍歌調の歌よりは私の心に染みる。ボーカルの微妙なバイブレーションがまた素晴らしい。





2019-02-15

テキストの怪~新しい宗教

 ・テキストの怪~新しい宗教

・コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック



 で、私が考える新しい宗教の形を体現する人物がいた。いかなる宗教指導者もかなわないことだろう。とくとご覧あれ。歌詞の内容は「人間革命+一生成仏抄」ってところだ。


 マイケル・ジャクソンは最後にコルコバードのキリスト像さながらのポーズをとる。あるいは磔(はりつけ)にされたのかもしれない。

 1993年の性的虐待疑惑も既に真相が明らかになっている。

 父親がロスマン弁護士と画策して「卑劣な手を使ってマイケルを陥れ大金を手に入れる」とエヴァン・チャンドラー自身がデイヴィッド・シュワルツ(少年の継父)に電話している内容が、デイヴィッドによって極秘録音されており、世界中に流されている。このような明白な証拠があるものの、検察側は彼らの恐喝容疑については、しかるべき捜査を全く行わず、たった一人の少年が言った言葉に基づき、マイケル・ジャクソンの起訴に向けて、躍起となったのである。

【Wikipedia】

 そのマイケル・ジャクソンを笑いのネタにするクズ芸人がいる。知り合いがいたら注意をしておいてくれ給え。


 2009年のノーベル平和賞授賞式でも歌われた。