・コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック
私は本をまとめて読む癖があるのだが音楽もまた同様である。昨年後半からKポップ~エンニオ・モリコーネ~ゴスペル~コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(コンテンポラリー・ワーシップ・ミュージック)に及ぶ。最後のはジーザス・ソング。ゴスペルよりも静かで落ち着く。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2019年1月7日
ゴスペルやブラックミュージックは10代から聴いている。私は中村とうようの影響でワールドミュージックに開眼し、その後、りんけんバンドを通して沖縄ポップスに目覚めた。4年前にDifang(ディファン/郭英男)を知り、ツイッターで映画『セデック・バレ』を奨(すす)められ、すっかり台湾原住民文化の虜(とりこ)となった。尚、台湾に関しては先住民が死滅した部族を表す言葉のため原住民という表現は差別に該当しない。
ゴスペル(黒人霊歌)の動画を見るたびに思うのは、「なぜ、自分たちを支配した白人の神をブラック・アフリカンが歌うのか?」という疑問だった。歴史を知れば知るほど私は悲しみを覚え、言いようのない怒りにまで駆られた。旧ソ連の国旗のようにトンカチと鎌(かま)で神をやっつけるべきだと思った。やはり文字を持たぬ民族――あるいは文明――の弱さなのだろう。
10年ほど前にジーザス・ソングを知り、インターネットラジオで聴いていたのだが、格段に音楽性が洗練されていて驚いた。ゴスペルよりも静かな落ち着きが内側から発する感動となって余韻を残す。以前はキリスト教に対する嫌悪感が強く、自分の否定的な感情を払拭することがかなわなかったが、竹山道雄を通して達観に至った経験も影響しているのだろう。
もちろん戦略として音楽を利用しているのだろう。コンサート会場のような巨大なホールも殆どが自前の建物のようだ。それでも創価学会の軍歌調の歌よりは私の心に染みる。ボーカルの微妙なバイブレーションがまた素晴らしい。