・「先輩からの手紙」に思うこと
・遠藤文書
・「遠藤文書」に関するメモ
・遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について
・「教学部レポート」を読む
・「遠藤文書」を読む その一
・「遠藤文書」を読む その二
・大御本尊決別「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
・長谷川重夫……池田の筆頭茶坊主、ゴマすり男の見本
・友岡雅弥氏の死を悼む
少しばかり検索してみたのだが、どうも「遠藤文書」から読み直す必要があることに気づいた。尚、遠藤文書や友岡雅弥の査問について本部職員や元男子部首脳に尋ねれば大方の事情はつかめると思うが敢えて確認しない。いずれにせよこれらの「事件」を静観あるいは見て見ぬ振りをする幹部しかいないことは明らかだろう。友岡について書いた後は波田地 ( はたち )動画を紹介する。
全体的な情報がきちんと編まれていないためわかりにくいのだが教学部レポート「総本部の御本尊と日蓮世界宗創価学会会憲の問題点」と、遠藤が査問を受けた後に提出した「質問書」があるようだ。
・「ドン不在」創価学会で某重大論争:FACTA ONLINE
やっと見つけた。
・教学部レポート「総本部の御本尊と日蓮世界宗創価学会会憲の問題点」
レポートで縷々(るる)述べられているのは全くの正論で反論できる者はあるまい。「学会常住御本尊」の意義付けに関する小委員会が発足したが、政府の諮問会議みたいな扱いで、学会首脳部は「本部マンダラを大御本尊と位置づける」ための理窟(りくつ)が欲しかったようだ。
本尊に関するテクニカルな問題だが、創価学会は既に教義変更を重ねてきており、全体的に「教義は絶対である」との認識すら薄い。むしろ法主を斥け、五座三座の勤行すら蔑ろにした学会の行状を振り返れば、池田絶対主義に大きく舵を切ったことが窺える。教義ではなくカリスマ依存の体質となったところに宗教性を見出すことは難しい。
秋谷議長「『戒壇の大御本尊は信受の対象ではない』と、とにかく、まず会長が大々的に発表してしまえばいいんだ。そのあとで上手く説明を作るのが教学部の役目じゃないか」
末端にとってはなぜ今頃かような教義変更を目論むのか理解に苦しむことだろう。簡単な話だ。池田亡き後、激減する財務・聖教新聞部数を見込んで、かつての登山会のような学会本部参詣を企てているのだ。御開扉料を徴収しなくても、何らかの広布基金システムを考えているはずだ。あるいは記念品販売など。
結局カネの話だ。金儲けのために教義を変えるのだ。連中は池田の死すら大いに利用することだろう。池田を偲(しの)ぶでかい記念講堂を建設するという名目で大々的な財務を行うに違いない。あるいは信濃町界隈に池田の墓を作り、記念室を作り、全国巡回の展示会を行い、これでもかと言わんばかりに会員の財布を叩くことだろう。
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