2021-02-18

「ありのままでいい」という生き方

『愛に癒されて人は生きる 精神科医が見つめた人間の心の復元力』村田忠良

 ・「ありのままでいい」という生き方

・『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄

 しかし精神障害者はいまだに共同住居や作業所で「主役」になっていないことが多いのではないだろうか。自立や社会復帰は、ほとんどがいわゆる健常者が唱え、計画し、勧めてきたことではなかったろうか。その健常者は親であり医者でありソーシャルワーカーであり、役人や地域の人びとであったかもしれない。けれど彼らの唱える社会復帰や自立は、つねに健常者を基準にしている。少しでも健常者に近づくこと、病気を治すこと、幻覚や妄想を取り去ること、立派な人間になって一人前に働くこと、そのようなことがイメージされている。そうしたことのすべては、「病気であってはいけない」「いまのままのお前ではいけない」というメッセージをあくことなく発信しつづけているのではないか。ところが、治せ、なくせといわれているその病気はほかならぬ精神病なのだ。風邪や胃炎とちがってかんたんに治せるような病気ではない。多くの一が一生をこの病気とともに過ごさなければならないのだとすれば、病気を治せ、健常者になれといわれつづけることは、すなわちその人が一生「いまのあなたであってはいけない」といわれつづけることになる。そうではなく、病気があろうがなかろうが「そのままでいい」という生き方があるのではないか。
 べてるの人びとがはじめからそのようなことを考えていたわけではないだろうが、その生き方、暮らし方からは「そのままでいい」というメッセージがつねに発信されている。それは理屈で考えた結果ではなく、みんながともに暮らし、悩み、苦労しながら試行錯誤を重ねるなかで積みあげた結果だった。

【『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄(みすず書房、2002年)】

 人から薦められた本は取り敢えず読むようにしているが大抵がハズレである。「俺の時間を返せ」と言いたくなることが多い。ま、読んでる量が多いとどうしても評価が辛くなる。べてる本は婦人部の方から薦められた。「べてるの家」という名前は知っていた。「どうせキリスト教だろ?」くらいにしか思っていなかった。直ちに食指が動くことはなかった。何かのついでに思い出して取り寄せたことを記憶している。

 べてるの家は北海道浦河町にある精神障碍者の拠点である。もともとはグループホームだったが現在は社会福祉法人となり、様々な事業も行っている。斉藤道雄はテレビ記者。端正な文章でべてるの家を描写し、その知名度を全国区にまで高めた。

「病気であってはいけない」「いまのままのお前ではいけない」――これはまさに創価学会の組織でまかり通っている論理である。戦後になり雨後の筍(たけのこ)の如く新宗教が乱立したが、高度経済成長期に入ると創価学会の一人勝ちが鮮明になった。勝因はどこにあったか? 「戸田第二代会長が組織を重視したゆえ」と池田は指摘しているが正確ではない。学会組織は完全に共産党のパクリでオルグを折伏に替えただけのものだ。創価学会が発展したのは組織において人材育成を徹底したためである。特に青年の育成に力を注いだところに戸田の慧眼があった。

 この流れが澱(よど)んだ要因としては文化祭と夏期講習会がなくなったことが大きいと私は考える。また組織全体として見れば指導部の解体が致命的な失敗であった。

指導部

 でもまあ、このあたりは私の世代(創価学会流に言えば第二次宗門問題世代)ならではの見方かもしれない。

 学会組織は布教と選挙を目的としている。そこに限界があり弱さがある。左翼同様、活動家は重用(ちょうよう)されるが役立たずは切り捨てられる。例えば身体障碍者や精神障碍者は会員数から除外されることも珍しくない。

 べてるの家は組織ではなくコミュニティである。コミュニティ性という点でべてるの家は創価学会よりも上である。世界中から見学者が訪れているのも頷ける。

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