2015-09-10

釈迦本仏論に非ず


 おお、そうだったのか。失礼した。音声ファイルも上がっているようだが、勝手に録音したものを本人に断りもなくアップロードする下衆ぶりがいかにも創価学会員らしい。他人のプライバシーをさらすのがネトガク(ネット学会員)の特徴である。何度も言うようだが「仏敵」呼ばわりされたくなければ入会しないに限る。かつて創価学会は白法隠没を誤読しブッダを完全否定していた。「古いカレンダーは現代の役に立たない」と。誤読に気づいたのは1990年代に入ってからであり、広宣部がその先駆けとなった。そこで過去の学会を謗法と断ずれば思想的な飛躍もあり得たのだろうが、そうはならなかった。松戸行雄の凡夫本仏論も学会としては無視した。僭越ながら私が答えを述べよう。本仏はブッダである。当たり前だそんなことは。しかしながらブッダは本仏思想を説いていない。「私を拝め」とも言ったことはない。むしろ「筏(いかだ)の譬え」を通して仏説にすら執着するなと教えた。つまり本仏思想はブッダの教えに背いているのである。久遠本仏というのは文字通り「仏の神格化」である。後期仏教(大衆部、大乗)は復興しつつあったヒンドゥー教への対抗思想であり、危機感を抱いた彼らはあろうことかヒンドゥー教的要素を巧みに取り入れた。後期仏教の本質はその密教性にある。平安仏教も東密(空海)と台密(最澄)で当初から日本仏教はブッダから離れていたのだ。