今まで確認したこともなかったのだが、厚木市という地名を知ると少し実体を伴った風景が迫ってくる。
・上依知本間屋敷、本間氏下屋敷(※妙伝寺)
・中依知本間屋敷(※蓮生寺)
・本間屋敷(※妙純寺)
検索したところ道順に関する記述を見つけた。
・日蓮の佐渡配流の神奈川県における道順
質問者が書いてある通り、確かに「相模川の渡り方」が気になる。たぶん橋はなかったことだろう。「源頼朝が……浮橋(川に舟や筏を並べて浮かし、その上に板を敷いて人や馬等を渡らせた仮の橋)を架けた」(源頼朝と相模川)ようだが、場所は茅ヶ崎付近と推定されている。渡し船の出た場所が本間邸よりも北側であれば、座間の円教寺に立ち寄った可能性はあるだろう。「休息山」という山号が泣かせる。
・本間氏
何と「武蔵七党横山氏流」とある。横山党は八王子だ。
鎌倉中期の佐渡守護代であった本間六郎左衛門重連の邸は相模国依智にあって、年に一度佐渡に渡っていたようである。僧日蓮が佐渡へ配流された際、これを預ったのも重連であった。そのことは日蓮遺文によって明らかだが、重連については日蓮遺文以外には史料がなく、本間系図の記すところも一様ではない。(上記ページより)
・佐渡守護所跡と本間重連館跡
本間の名は相模国愛甲郡依知(依智)郷本間の地に由来。この地に建久年間に本間五郎資俊、文永年間には本間六郎重連、正慶年間には本間資貞および資忠が住んでいたことが知られている。資貞および資忠は赤坂城の攻防戦で討死している。
本間氏は能久入道の代に佐渡守護代を北條大仏氏のもとで務めたことで佐渡への足がかりを掴んでいる。
ちなみに、日蓮上人を佐渡配流の際に預かったのは本間重連、直重兄弟である。現在の建徳寺、蓮生寺そして梅香寺の辺り一帯が本間重連の居館跡であると比定されている。重連の子孫は武蔵国葛飾郡彦成村に代々住んだというが、その間に重連の居館が3つあったとの伝承が伝えられているという。
【本間氏_武蔵七党_横山党_海老名氏流】
東京から大石寺登山に向かうバスが途中で立ち寄るのが海老名インターチェンジであった。人の名前だったとはね。