2014-05-08

「先輩からの手紙」に思うこと 4

先輩からの手紙
「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
・「先輩からの手紙」に思うこと 4
「先輩からの手紙」に思うこと 5
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「先輩からの手紙」に思うこと 8
「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

『先輩からの手紙』 (3) ぷるぷるメモ」で指摘されているのは、公明党議員の不勉強と創価学会員の他力本願的な迷信についてである。そして創価学会の思想が実はブッダから乖離している実態に触れている。

 組織の欺瞞に気づき始めると暗い道を独りで歩む羽目となる。これはどのような組織においても一緒だ。そこで殆どの人々は孤独に耐えられないあまり心理的な妥協を図る。そう。見て見ぬ振りをするだけで済む。誰かが叫んでからついてゆけばよい(笑)。ま、そんなのばっかりだ。

 気づいているだけではダメだ。突き抜けなければ。小利口な上から目線ではなく完全に達観できるかどうかである。

 事実をありのままに見つめれば答えは見つかる。複雑な問題も根は単純なところにある。

 僭越ながら私が一言で述べよう。創価学会とは「日蓮思想を拝借した大衆糾合運動」であったのだ。組織スタイルが共産党と酷似していながらも決定的に違うのはここだ。共産党員には共産主義化という政治目的があるが、創価学会員には取り敢えず選挙勝利という運動しかない。つまり運動が目的化してしまったところに公称750万世帯で頭打ちになった現状がある。

 牧口の価値論や戸田の功徳論は実際主義としてのプラグマティズムと親和性が高い。そして思想を欠いた広宣流布運動が新自由主義的になるのは必至であった。

 大衆が求めるのは思想ではなく物語である。そして大衆の欲望に応える形で創価学会は高度経済成長を背景に拡大してきた。バブル景気崩壊と阿部vs.池田紛争も軌を一にしている。創価学会の経済感覚の鋭さは、東京牧口記念会館(1993年)→バブル崩壊(1991年~)、正本堂(1972年)→オイルショック(1973年)という流れを見れば理解できよう。当然、建設のための供養は数年前から集められている。

 仏教的な思想性からいえば、日蓮本人がブッダから離れて大衆部を採用しているので致し方ない側面がある。個人的には日蓮の真言宗批判は最澄にこそ向けられるべきであったと考える。だが鎌倉時代であったことを踏まえれば、それでは多くを求めすぎだろう。法華経思想・日蓮思想ならまだしも、日蓮本仏論が世界に通用するわけがない。