・「先輩からの手紙」に思うこと 1
・「先輩からの手紙」に思うこと 2
・「先輩からの手紙」に思うこと 3
・「先輩からの手紙」に思うこと 4
・「先輩からの手紙」に思うこと 5
・「先輩からの手紙」に思うこと 6
・「先輩からの手紙」に思うこと 7
・「先輩からの手紙」に思うこと 8
・「先輩からの手紙」に思うこと 9
・「先輩からの手紙」に思うこと 10
八十九年一月は、昭和天皇の死がありました。
そして、二月に大葬の儀。
この時、聖教新聞の一面に全面を使って載った名誉会長名での「追悼の辞」。そして葬儀の時の公明党議員の神道儀式への参加。(社会党等はその間会場の外にいました。)
私は、この新聞の内容と、神道儀式への参加を見て、(ああ、学会は本当に変質したのだ)と痛感しました。
【先輩からの手紙 8】
初志に対する矛盾である。だが言論出版妨害事件の舞台裏が明らかになった現在、変質の根っこは第三代会長就任時にあったと考えるのが妥当だろう。「正本堂供養から池田さんは変わった」と語る日蓮正宗の古僧が多いがこれも誤っている。結党以降、公明党は「必ずや池田先生を首相として国会にお迎えいたします」と事あるごとに池田に誓った。つまり昭和40年代以降、創価学会の目的は権力奪取に舵を切ったと見てよい。
その後の民社党との攻防、創共協定、池田vs.細井紛争と創価学会は謀略体質を強めていった。
「『歴史』を無視するものは、『歴史』によって、シッペ返しを受けるというのが鉄則だと思います」とあるが、山崎正友を最後まで重用(ちょうよう)したのは池田でありながら、誰一人その責任を追求することなく組織を挙げて山崎バッシングに走るのだから、何も考えていないと言わざるを得ない。
その間、ゴミの山から見つかった謎の三億円金庫事件、ルノアールの絵をめぐっての不透明な三十数億円にのぼる三菱商事や画廊との取り引き、証券会社との利益保証事件での登場、オウム真理教事件で法改正がなされた、宗教法人法をめぐっての佼成会などとの共同歩調。等々。
【先輩からの手紙 9】
捨て金庫事件で発見されたカネは帯封がされたものだった。こんなものが大石寺の売店の売り上げのわけがない。また損失補填(そんしつほてん)事件で明らかになったのは、創価学会が会員から集めた財務を投資運用している事実であった。宗教法人への課税強化を望む声が出るのも当然である。
要するに「宗教は儲かる」、「大教団は大変なメリットがある」ということであって、また一般の会員も、もう互助会みたいなもので、「何もないよりは気休めになる」「ヒョッとして何か御利益があるかもしれない」「さぼっていて何かあったら困るから」等々の程度のもので、もう本当に日本的信仰になりきってしまっていると思います。
【先輩からの手紙 10】
そして既に互助会ですらなくなりつつある。
よく考えてみよう。キリスト教における寄付の目安は収入の10分の1である。創価学会では年収が300万円くらいでも100万円の寄付をする会員がいる。だったら機関紙や書籍は無料にしてもよさそうなものだが、すべて販売されている。きっちりとカネの回るシステムが構築されているのだ。新聞啓蒙をする目的は広告を維持するためだ。合理的に考えるなら、財務をなくして入館料を徴収すべきだろう。会員の金銭的負担は激減するはずだ。
私も経験しているが、純粋な会員は食べるものを削ってまで寄付を行っている。その寄付金を学会本部は右から左に投資運用して増やそうと企(たくら)んでいたのだ。ヴァチカン並みの薄汚さだ。創価学会に既成宗教を批判する資格はない。