2021-10-12

岸信介と北一輝

・『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒

 ・岸信介と北一輝

・『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

 興国同志会と縁を切った岸が、もうひとり別の思想家の門を叩いたのはほぼときを同じくする大正9年の春先だった。
「北氏は大学時代に私にもっとも深い印象を与えた一人であった」(『我が青春』)と自ら告白するように、岸はある時期、北一輝から圧倒的な感化を受けた経験を持つ。
 北一輝に会って烈々たる隻眼(せきがん)に睨まれた岸は、それまでに経験したことのない雷鳴のような衝撃を受けたと正直に語っている。
 北一輝に会いに行く前、同じく国家主義者の鹿子木員信〈かのこぎ・かずのぶ〉(大アジア主義の思想家で戦時中には言論報国会事務局長)を鎌倉の建長寺に訪ね、一緒に座禅を組んで教えを乞うたり、友人と大川周明(国粋主義者)宅を訪ねたりしている。
 その大川周明のアジア主義からもかなりの影響を受けたと述べているが、このとき大川から北一輝に会うよう勧められた可能性もある。

【『絢爛たる醜聞 岸信介伝』工藤美代子(幻冬舎文庫、2014年/幻冬舎、2012年『絢爛たる悪運 岸信介伝』改題)】

 工藤美代子は文章がいい。事実に即していながら物語の構成も絶妙で、どんな人物であっても彼女の手にかかれば一級のドラマと化すことだろう。それだけに「騙されてなるものか」と力みながら読む羽目になるわけだが、結局のところ「ああ、面白かった」で終わってしまうのが常だ。

 岸信介〈きし・のぶすけ〉は1896年(明治29年)生まれだから、戸田城聖よりも4歳年上である(戸田が早生まれのため学年は3年違い)。岸は戸田が出獄した直後の1945年(昭和20年)9月15日に逮捕され、1948年(昭和23年)12月24日までA級戦犯として巣鴨拘置所に勾留された。

 旧制一高~東京帝大では秀才で鳴らした。戸田は牧口と出会い、岸は北と遭遇した。若き日に人生を左右するほどの出会いを経験した人は幸せである。北一輝の国家社会主義思想は岸の精神に刻印され、後に官僚として統制経済を仕切ることとなる。

 一方、「美濃部(達吉)博士や吉野(作造)博士には到底同感出来なかった」と語る岸であったが、東大卒業後、配属された商工省文書課の上司は強面(こわもて)で知られた吉野信次(作造の実弟)だった。

 残念ながら本書に戸田の記述はない。特筆すべきは「踊る宗教」の北村サヨで、家族と別れを告げて巣鴨拘置所に向かう、まさにその時に現れ、「岸は3年ぐらいで帰ってくる。そして必ず10年以内に総理大臣になる!」と大声で叫んだ。この予言はそのまま実現するのである。岸は終生、サヨに頭が上がらなかったという。

0 件のコメント:

コメントを投稿