『池田大作が、昭和49年から52年にかけて行なった〃謗法行為〃は、〃本尊模刻〃の他にも、ざっと数え上げて次のようなものがある。
一、白檀の数珠の大玉に、「常」「城」「大」と刻み込ませたものを、それぞれ、牧口門下生、戸田門下生、池田門下生の首脳達に与えた
二、大聖人・日興上人のマネをして〃弟子分帳〃を作り、幹部の名前を記入し、造反した者の名前には線を引いて、「叛(そむ)きおわんぬ」と書く。すると、その者は地獄に堕(お)ちて、二度と人間に生まれない、などと言って脅(おど)した。
また、「弟子証」を発行した。原島嵩氏は新弟子の第一号であり、私も若い番号の弟子証をもらった
三、塔婆供養のかわりに池田大作が書いた「慧光照無量」の紙を与えて先祖供養をさせた。
また、会員が寺院に行くのを阻止(そし)するため、会館で七・五・三や結婚式などの行事・儀式・法要、勤行会を盛んに行ない、寺院から典礼を行なう機会を奪(うば)うことを企(たくら)んだ。寺院がなくても、創価学会だけでやっていけるように、との布石である
四、本来、〃供養は、僧侶以外受けられない〃はずなのに、〃在家も供養を受けられる〃と宣言し、〃御供養だ〃といって、会員から一千億円近い特別財務金を集めた
五、御観念文を改ざんした経本や、数珠を勝手に作り、開眼の御祈念も経(へ)ずに販売した
六、東京都目黒区にあった、〃目黒文化会館〃を、御本尊ごと「財団法人公明協会」を経て「有限会社拾伍」に売り払い、営利目的の結婚式場とした等々。
そして、これと併行して、池田大作を〃本仏〃として祭り上げるための、規則改正の準備作業が、断続的に行なわれた。
昭和52年8月4日の副会長会議に出席した原島嵩氏のメモが私の手元に現存するが、それによれば、規則改正案として、
「一、会則と規則の二本立てとする
二、牧口・戸田・池田について、永遠に変わらない、創価学会の原点と定める。
会長は任期制とするが、池田大作は〃創価学会根本師〃〃大師範〃等、それを超えた立場とする」
等のことが検討されている。
【山崎正友『あの頃のこと』慧妙2004年2月16日号】
ブログ主様へ、入手困難な情報のため長文の引用となったことをご容赦願いたい。山崎の一連の手記『池田大作日本経済乗っ取りの野望』には掲載されているのかもしれない。
池田の神格化と謗法が同時並行で露見したのも偶然ではないだろう。肥大した自我が権力を志向したものと考えられる。
人間の脳は見たいものしか見ない上に見たくないものは無視できる。「誤った信念は決して非合理性が生じるのではなく、合理性の欠陥から生じるのである」(『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ、1993年)。知性は客観的な位置で働く。一歩後ろに下がっただけでも、それまで見えなかったものが驚くほど浮かび上がってくる。