・中国に利用された創価学会
こうして竹入は、いわば“手ぶら”で訪中するのだが、待っていたのは中国側の意外な厚遇だった。当時の首相・周恩来が直々に竹入と会談。国交正常化のための中国側の条件を詳細に伝えてきたのである。
周は日本に台湾との関係清算は求めたが、そのほかの懸案事項、たとえば日米安保体制や尖閣諸島の領有権などに深くこだわる気はないと明言。特に日中戦争の戦時賠償金を求めるつもりはないと言い切ったことは竹入に大きな衝撃を与えた。
当時、日中国交正常化交渉となると中国側は巨額の戦時賠償金を求めてくるだろうと、日本の政界関係者は予想していたからである。
帰国直後の8月4日、竹入は周恩来との会談内容について記したメモを、田中のいる首相官邸に持参。居合わせた外相・大平正芳は興奮した様子で「これ、頂戴します」と言ってポケットに入れ、外務省へ飛んで行った。翌日に詳細な会談記録を渡しに来た竹入に、田中はこう言った。
「このやりとりは間違いないな。お前は日本人だな」
「正真正銘の日本人だ」
「わかった。中国へ行く」
田中は翌9月に訪中。1978年8月の日中平和友好条約締結に向け、事態は一気に動き出す。
【『SAPIO』2015年12月号】
創価学会は竹入義勝の功績をなきものにしようと企(たくら)んでいる。宗教とは狭量の異名か。