2015-08-30

大日本皇道立教会と創価学会および日蓮正宗


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小野寺直著『世界を救う一閻浮提の大本尊立つ・日蓮法華経の正統解釈』
玉井禮一郎
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「創価教育学会の宗教的な基盤を支えたのは、牧口の双子の兄弟辺見十郎太(土佐辺見)だと伝わる」との記述に吃驚仰天。早速調べたところ、陰謀論めいたページを発見した。

 上田吉松は青森県下北郡に流れて槇玄範を名乗った。その後、長男・鬼一郎に下北郡の医師・槇玄範を継がせ、自らは死去を偽装し氏家省一郎と称した。鬼一郎の子が笹川良一と陸軍中野学校出身で北朝鮮残置謀者となった畑中理(金策)。

 新潟県柏崎市の漁師・渡邊長松とイ子(いね)の間にはで双子の兄弟が誕生しているが、但し、それは戸籍上であり、渡邊長松が海で行方不明になってからイ子は双子を生み、離婚している。この時、イ子に接近していたのが上田音吉。双子はそれぞれ「父親知らず」としてと逸見家と牧口家に養子に出されたという。兄が逸見十郎太(戸田城聖の父)で弟の方が創価学会の初代会長の牧口常三郎。

卍党とスマイル党

 ウーーーム、コメントのしようがない(笑)。創価教育学会の顧問であった秋月左都夫〈あきづき・さつお〉関連の画像を見つけたので紹介する。Wikipediaには「読売新聞社の編集顧問(後に社長)、京城日報社長を勤め、大日本皇道立教会副会頭でもあった。 政治家の古島一雄らとともに創価教育学会(創価学会の前身)の設立にも尽力した」とある。尚、古島については「創価学会年譜」に「1936年01月27日 昭和11年【学会】【牧口】銀座交誼社に学会顧問・古島一雄氏を訪問。研究員矢島周平、渋谷旬吉。学会現況報告。長野県伊沢多喜男氏の紹介状戴く。(史料・『新教』第6巻第2号p86)」とある。小説『人間革命』で出獄した戸田が終戦の時期を政治家に尋ねる場面があるが、この政治家が古島であろう。