「小野さんは今回の署名活動についてどう思われますか?」というメールが数通寄せられた。「っていうかさ、お前がどう思ってんだよ? 以上」と返事をしてやろうかと思ったが大人気ないので無視しておいた。下らない問い合わせが私の人生の貴重な時間を侵食してゆく。
結論から申し上げれば「創価学会員は公明党が政権与党となった意味を深く考えてこなかった」ということに尽きる。ただし今回の反対署名に関しては飽くまでも創価大学関係者に対する呼び掛けであり、建学の精神に照らしたのは妥当だ。
例えば日本がイラク戦争を支持した際にネットを中心とした一部学会員が反対の声を上げた。この時は創価学会と公明党は立場を異にした。私は研鑚板(おお、懐かしい)で彼らを「跳ねっ返り」と断じた。
それに対して今回の場合は教義を巡る議論を回避したのは賢明である。謗法を巡る議論となれば日蓮正宗と創価学会の対論みたいな泥仕合にもつれ込んでしまうからだ。
もしも事前に相談されていたら私は何が何でも「やめるように」説得したことだろう。客観的に見れば創価大学の現役学生の中から自然発生的に生まれるべきではなかったか。教員が主導したところに創大生の腑抜け振りが透けて見える。
私が止める理由は簡単だ。個人的に反対を表明するなら問題はないが署名活動となると「組織内組織」と学会本部は認識する。創価学会の本質は信仰ではなく組織活動であり、日蓮の教義よりも本部の通達が重い。これが現実である。
そもそも池田不在が長期間に及び、教学部の遠藤が昂然と首脳部を批判するような腐敗が学会本部にある。そういう意味では直接的な影響はないにせよ、やはり遠藤効果なのかなとも思う。
公明党が与党入りを果たした時、私は阿部vs.池田紛争以上の衝撃を受けた。ちょっと前まで野党となった自民党は週刊誌を振りかざして「池田大作を証人喚問せよ!」と叫んでいたのだ。その自民党と手を組むこと自体が私には理解できなかった。結局のところ与党入りは証人喚問阻止と税務調査回避に目的があったと言わざるを得ない。そして現在に至って自民党は「政教分離規定の見直し」をちらつかせている。
PKO法案の時だって婦人平和委員会のメンバーは支部活動者会などで「断固反対!」を叫んだが、その後は沈黙した。盗聴法に反対していた浜四津敏子代表代行が沈黙したのも同じだろう(『怒らない人』辛淑玉)。何度も書いてきたが創価学会の共産党的体質を軽々しく考えてはいけない。
矢野絢也は100冊にも及ぶ手帳を押収され、髙倉良一(香川大学教授)は日記を押収された。嫌がらせ、尾行、プライバシー暴露は創価学会の常套手段である。
まだ公明党に投票しない運動は起こっていない。まだ聖教新聞不買運動は起こっていない。まだ一切の活動を拒否する動きもなければ、財務拒否の声も見られない。
公明党の一部を批判し、創価学会の一部を問題視する人々は多い。私はすべてを完全に否定する。しかし一部は肯定する(笑)。
氏家さん、ひとたび立ち上がった以上は、ポル・ポト虐殺の被害者を胸に浮かべながら、虐殺の千万分の一を生きるしかないですぜ。