・「中国への自然な同調者たち」と指摘された創価学会・公明党
・中国に利用された創価学会
創価学会員は「日中友好金の橋」などと錯覚しているが実は違う。周恩来の権謀術数はキッシンジャーをも軽々と凌駕するものだった。
日本公明党代表団は、次のように声明した。〔1〕中国はただ一つであり、中華人民共和国政府は中国人民を代表する唯一の合法政府である。「二つの中国」と「一つの中国、一つの台湾」をつくる陰謀に断固反対する。〔2〕台湾は中国の一つの省であり、中国領土の不可分の一部であって、台湾問題は中国の内政問題である。「台湾帰属未定」論に断固反対する。〔3〕「日蒋条約」は不法であり、破棄されなければならない。〔4〕アメリカが台湾と台湾海峡地域を占領していることは侵略行為であり、アメリカは台湾と台湾海峡地域からそのすべての武装力を撤退しなければならない。〔5〕国連のすべての機構での、ならびに安全保障理事会常任理事国としての中華人民共和国の合法的権利を回復し、蒋介石グループの「代表」を国連から追出さなければならない。上記の中国の合法的権利の回復を妨げるすべての陰謀に断固反対する。
中国側は、公明党のこれら五項目の主張は中日両国人民の願望と利益に合致するものであると認め、賞賛と支持の意を表するとともに、もし日本政府が上記の主張を受入れ、しかもそのために実際の措置をとるならば、中日両国の戦争状態を終結し、中日国交を回復し、平和条約を結ぶことができると認め、さらにその後において、状況の発展に応じて、平和共存の五原則(主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存)の基礎に立って、中日相互不可侵条約を結ぶ可能性があることを認めた。
【日本公明党訪中代表団と中国日本友好協会代表団の共同声明(日中国交回復五条件) 1971年7月2日】
・第1回竹入義勝・周恩来会談記録 1972年7月27日
・第2回竹入義勝・周恩来会談記録 1972年7月28日
・第3回竹入義勝・周恩来会談記録 1972年7月29日
つまり、日蒋条約=日本国と中華民国との間の平和条約を破棄させるための道具として公明党は利用されたのである。そもそも一野党に過ぎない公明党が日本の外交方針を云々するのがおかしい。云わば日中友好の呼び水として田中角栄首相は公明党に大見得を切らせたのだろう。
アメリカと中国は、表面的には対立していても裏の情報世界ではもともとツーカーなんです。そもそもCIAの前身OSS時代には、長官ドノバンの命令でOSS要員が延安の共産党根拠地に出向いて、対日抗戦を支援していた。60年代の中ソ対立時代も米中はあらゆる場面で結託してソ連に対抗していたし、79年のソ連アフガニスタン侵攻で、ムジャヒディンを支援しタリバン政権を後押ししたのも、米中の情報機関です。スパイマスター周恩来によって育まれた中国共産党の情報機関、中央委員会調査部は胡耀邦総書記の時代、公安部の一部と合併、国家安全部として、現在では、かつてのソ連のKGBをしのぐ巨大組織になっています。
【『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘(徳間書店、2006年)】
菅沼は公安調査庁に入庁後、西ドイツのゲーレン機関でスパイとしての本格的な訓練を受けた人物で、CIAやモサドとも太いパイプを持っている。その彼が「スパイマスター周恩来」と呼んでいるのだ。
周恩来・鄧穎超〈トウ・エイチョウ〉夫妻には孫維世〈ソン・イセイ〉という養女がいた。
文化大革命時代には、女優としての名声の高さと毛沢東との男女関係から江青の嫉妬を買い、迫害を受けた。孫維世は養父である周恩来が署名した逮捕状を以って、北京公安局の留置場に送られ、1968年10月14日に獄中で死亡した。遺体は一対の手枷と足枷のみ身に付けた全裸の状態であった。一説には江青が刑事犯たちに孫維世の衣服を剥ぎ取らせて輪姦させ、輪姦に参加した受刑者は減刑を受けたと言う。また、遺体の頭頂部には一本の長い釘が打ち込まれていたのが見つかった。これらの状況から検死を要求した周恩来に対し、「遺体はとうに焼却された」という回答のみがなされた。
【Wikipedia】
保身のために娘の逮捕状にもサインしたのである。周恩来は文化大革命を推進し、毛沢東の政敵を次々と殺害していった。公明党や田中角栄をてなづけることなどわけもなかったに違いない。
台湾には多くの創価学会員がいた。彼らを切り捨ててでも創価学会は政治的成果を望んだのだ。
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