2015-11-01

精神疾患と学会活動について





 まず、「バリ活」などという言葉づかいが気に入らない。創価学会の文脈で語れば「バリバリ活動」することは「戦う」ことを意味しないし、まして勝利とは関係がない。私は青年部時代、傍(はた)から見れば阿修羅のように戦ったが、自分では「普通」としか思っていなかった。ネット上では口程にもないネトガクどもが利(き)いた風な小賢しい言葉を羅列している。

 私はよく「クソみたいな活動してんじゃねーぞ」と言った。私にとって「活動」という言葉は「ごっこ」に過ぎなかった。同じ姿をしていても学会活動と組織闘争は異なる。

 前置きが長すぎた。学会全体を論じる場合に精神疾患と学会活動の相関性に注目するのは構わない。ただ、あまりにも被害者面(づら)する連中が多すぎやしないか? 活動はするもしないも自由だ。ま、実態としては「させられている」連中が多いことは否定しないが、それでも二十歳(はたち)を過ぎた大の大人が、自分の判断力の低さを省みることなく、学会組織に責めを追わせる姿勢は浅はかと言わざるを得ない。

 ツイートの彼女がそうだということではなく、私は何となく嫌な匂いを感じたまでだ。

 では最新科学に基いて解説しよう(笑)。実は「他人に影響されやすい遺伝子」が発見された。変異型COMT遺伝子がそれである。ドーパミンの代謝を司る遺伝子で意思決定との相関性が明らかになっている(『世界は「ゆらぎ」でできている 宇宙、素粒子、人体の本質』吉田たかよし、2013年 )。というわけで、恨むなら自分の遺伝子を恨め(笑)。

 子供が心の病となって問いかけているのは「親の生き方」そのものである。ストレス耐性の低い親であれば、何をやったとしても子育てが疎(おろそ)かになることだろう。

 ただし私の経験則から申し上げれば、若くして大B担、地区担(ま、昔の話だ)となった婦人部は児童虐待の傾向が明らかに強い。私の母もそうだった。

世界は「ゆらぎ」でできている 宇宙、素粒子、人体の本質 (光文社新書)