明治維新を読み解く鍵は会津戊辰戦争にあると思われる。孝明天皇の意を汲んだ会津藩がなにゆえ逆賊とされたのか? そして直近まで賊であった長州藩がどうして官軍となり得たのか?
会津戦争といえば白虎隊の悲劇が知られるが、薩長軍の虐殺・強姦は熾烈(しれつ)を極めた。挙げ句の果てには遺体の埋葬も許さなかった。領土を失った会津は斗南(となみ/青森県下北半島)に追いやられる。そこは寒さ厳しい不毛の大地であった。往時を綴った『ある明治人の記録 会津人 柴五郎の遺書』(石光真人、1971年)は涙なくして読めない。
その虐殺・強姦・放火を命じたのは薩摩の西郷隆盛であった。
会津戦争に関する本はもともと多いが、昨今、明治維新を捉え直そうとする動き(=司馬史観からの脱却)が顕著になっている。原田伊織は吉田松陰以下門下生を「ただのテロリスト」と断じる(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』2012年)。また明治維新において下級武士や農民が活躍できたのはフリーメイソンによる資金援助があったためとの説もある。坂本龍馬はグラバー商会の手先にすぎなかった(『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一、2009年)。苫米地英人は薩長をイギリス・ロスチャイルド家が、そして幕府をフランス・ロスチャイルド家が支えたと指摘する(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』2008年)。どちらが勝ってもロスチャイルド家の利益になるというわけだ。
日本の近代化が薩長の謀略(偽勅)で成し遂げられ、薩摩閥・長州閥がそれぞれ帝国陸軍・海軍となって日本を大東亜戦争という歴史にいざなった、と原田伊織は主張する。
少し話の方向性を変える。明治維新における神仏分離と廃仏毀釈が国際舞台で戦うための「精神の内燃装置」(『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』安丸良夫、1979年)を目指したものであるならば、それを伊藤博文が西洋の神に対抗し得る基軸として天皇を憲法の中心に据えたと考えることができよう(
中西輝政が「日蓮宗は新しいかたちの神道ではないか」との仮説を立てている(『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』2000年)。大東亜戦争前夜に日蓮主義者が日本を揺るがした(血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件など)ことを思えば、皇道と日蓮思想に親和性はあると考えられる。その一つの精華が国柱会(立正安国会)であったのではないか。
天才戦略家と謳われた石原莞爾〈いしわら・かんじ〉も国柱会の一員であった。『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』(早瀬利之、2013年)を読むと、創価学会二代会長の戸田城聖すら小者に思えてくる。石原は「俺をA級戦犯にしろ!」と叫び、東京裁判でアメリカを糾弾しようと目論んでいた。
で、本題に戻る。仮に明治維新~大東亜戦争が薩長による欺瞞の歴史であったとしても、明治維新に決定的な影響を及ぼしたのは水戸学である。それゆえ水戸学が台頭した際に水戸藩の日蓮系教団がどのような動きをしたのか。これが一つのテーマになり得るのではないだろうか。
日蓮の遺文を見る限りでは日蓮による天皇批判は記憶にない。
最後になるが私は会津藩の悲劇は「真面目に生きた者は滅びる」様相を示しており、藩という部分観を超えられなかったところに最大の原因があったように思う。松平容保〈まつだいら・かたもり〉はあまりにも愚直すぎた。しかしその愚直は現代にまで美しい光を放っている。
【付記】現在に至るまで首相の出身県(生まれではなく立候補地)は鹿児島(薩摩)・山口(長州)が最も多い。安倍首相も山口県選出である。