まず自分がしあわせになる。世間の人は、他人がしあわせになるために自分を犠牲にしなさいっていう。そうじゃないの。自分がしあわせじゃないと、他人をしあわせにできません。だって、募金するのだってそうでしょ。お金を持っていなかったら、募金できない。
— 斎藤一人さんの言葉 (@hitori_words) 2016年12月24日
全ての達成の始まりは願望である。これを常に心に留めておきなさい。弱い願望は、弱い結果をもたらす。ちょうど、小さな炎が少しの熱しか出さないように。『思考は現実化する』 https://t.co/SJvhUiP85w
— ナポレオン・ヒル (@napoleonhillbot) 2016年12月19日
自分の苦しさに負けないこと、自分の苦しさに甘えないこと、自分の苦しさに酔わないことが、自己中心的でないということである。
— 加藤諦三bot @心理学 (@katotaizobot) 2016年12月22日
何気なくツイッターから拾ってきた言葉である。どれも決して悪い言葉ではない。むしろ創価学会員にとっては心地よく響くのではあるまいか。いずれも著名な人物であるが私は著作を読んでいない。これからも読むことはないだろう。牧口常三郎がカント哲学の「真理」を否定したことによって創価学会の言説が世俗性を志向するのは必然であった。日蓮の片言隻語を引用したところで宗教性を追求する次元に至らないことは明白である。
・創価学会の教学は断章取義
言葉には思考を束縛する機能がある。感動した途端、人は洗脳される。これを信仰と名づける。人生という現実に役立つ言葉は無数にあるが、生そのものに迫る智慧は自らつかみ取る他ない。世俗的な言葉はそのヒントにすらならない。抽象度が低すぎるためだ。