2017-01-29

世俗性と宗教性




 何気なくツイッターから拾ってきた言葉である。どれも決して悪い言葉ではない。むしろ創価学会員にとっては心地よく響くのではあるまいか。いずれも著名な人物であるが私は著作を読んでいない。これからも読むことはないだろう。牧口常三郎がカント哲学の「真理」を否定したことによって創価学会の言説が世俗性を志向するのは必然であった。日蓮の片言隻語を引用したところで宗教性を追求する次元に至らないことは明白である。

創価学会の教学は断章取義

 言葉には思考を束縛する機能がある。感動した途端、人は洗脳される。これを信仰と名づける。人生という現実に役立つ言葉は無数にあるが、生そのものに迫る智慧は自らつかみ取る他ない。世俗的な言葉はそのヒントにすらならない。抽象度が低すぎるためだ。