2022-03-08

誰とでも仲良くしてはいけない

活字文化の担い手「新聞配達員」を救え!
『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩

 ・誰とでも仲良くしてはいけない

・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ

 友だちを作るうえで、何よりも大切な原則があります。それは、

  【命題2】☆誰とでも仲良くしてはいけない

ということです。これが友だちづくりの大原則です。誰とでも仲良くしようとすれば、友だちを作るのはほぼ絶望的です。なぜかというと、世の中には、押し付けをしてくる人がたくさんいるからです。誰とでも仲良くするということは、こういった押し付けをしてくる人とも、ちゃんと付き合うことを意味します。
 自分を人間として尊重してくれる人と、自分に押し付けをしてくる人とを、分け隔てせず、どちらも同じように仲良くしようとすると、何が起きるでしょうか。押し付けをしてくる人は、あなたを利用しようと思っているのですから、

 「友だちじゃないか」
 「きみはこういう人だろ」
 「きみは○○と言ったじゃないか」

といった手段によって、あなたに罪悪感を感じさせて、自分に都合のよいことをさせます。そうすると一歩一歩、あなたの時間や能力や友人関係やお金や容姿を(ママ)など、あなたの生きるための資源を勝手に使われることになります。
 それに対してあなたを尊重する人は、そういうことをしません。あなたを尊重する真の友だちたりうる人は、あなたが嫌だと思っていることをさせたりはしません。

【『生きる技法』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(青灯社、2011年)】

 血で書かれた一書である。冒頭の独白に衝撃を受けた。安冨は私と同い年である。東大教授として成功した人生を歩んでいるように見えながら、長らく細君からのモラハラに苦しんだ。そして離婚を決意した途端に幼少期から母親に虐待されてきた事実に気づく。いつしか自殺念慮に取り憑かれ、必死の思いで細君と別れ、母親とも訣別した。

「そういえば、自分も親から愛されてこなかったな」というのが率直な感想だった。そんなことは考えたこともなかったし、愛されたいという願望があったわけでもなかった。ただ、同い年の中年男性の赤裸々な告白にたじろぎ、心の中で蓋(ふた)をしていた感情が頭をもたげたのだ。兄弟が多いせいで一人ひとりにかまけている時間がなかったのだろう、ぐらいにずっと思ってきた。しかし違った。私は親から褒められたことがないのだ。ただの一度もないような気がする。

 ところが、である。私は小学校や学会組織では結構褒められた。明らかに他の子供たちよりも褒められていた。3年生くらいになると体も声も大きくなっていた。父親からしょっちゅう殴られていたこともあって喧嘩は強かった。「面白い」と言われることに無上の喜びを感じていた。小学4年から6年まではずっと学級代表をやっていた。中学では札幌優勝チームの4番打者を務めた。

 こうした内外の極端な評価の違いが私の歪んだ性格を形成した(笑)。過剰な情熱と冷酷が同居しているのだ。声がでかいせいで周囲からは熱血漢と思われているが、実は常に醒(さ)めている。「我を忘れた」ことがない。ま、AB型のせいかもしれんな。

 私が子供と直ぐに仲良くなれるのは、自分が子供だった時の気持ちをよく覚えているためだろう。あるいは、ただ単に子供っぽいだけか。性格が3歳くらいから変わってないのよ。58歳になった今でも見知らぬ子供と目が合うと変顔(へんがお)をする癖が抜けない。

「誰とでも仲良くしてはいけない」とは、悪人を見抜く眼を持つことでもある。創価学会員は善意の人が多いので悪い幹部に騙されやすい。何度も言うようで恐縮だが、喧嘩巧者でないと学会組織で生きてゆくことは難しい。人生の資源で最も大切なのは「時間」である。一生成仏とは人生という時間の主体性を説いているのだ。他人の意のままに動く人は一生が三生であっても成仏はできまい。

0 件のコメント:

コメントを投稿