・『大空のサムライ 死闘の果てに悔いなし』坂井三郎
・武士の情け
・『今日われ生きてあり』神坂次郎
・『月光の夏』毛利恒之
・『神風』ベルナール・ミロー
正式に紹介がある前の(ティベッツ)大佐はひどく緊張したご様子でした。父に何か別の意図があるのではないかと危惧されていたのかもしれません。
挨拶の後、父は言いました。
「あなたがどういうミッションを実行したかは、知っています。私もたくさんのアメリカ機を落としました。私は軍人ですから、軍人としてのあなたを批判するつもりは全くありませんし、できません」
父はさらに続けました。
戦争の一つ一つの戦局で、どこにどういう攻撃をしかけるかは、前線で実際の戦闘に臨む軍人が決めることではありません。原爆投下もあなたが決定したものでなく、あなたは上部からの命令を遂行しただけの立場です。被害が甚大だったからといって、たまたま遂行役として任命されたあなたを非難するというのは、はなはだ筋違いの話だと、私は思っています。一方で、原爆投下によって戦争を終結させ、さらなる被害を食い止めたとして、あなたを大局的に英雄視するのもやはり筋違いです。
たとえ、ただの遂行役であっても、これほどの被害になる攻撃は命令を破ってでも回避すべきだった……そんな論調が日本にはありますが、どんな被害をもたらすかは原爆が実際に投下され、爆発するまで分からなかったことです。全く最新の兵器であり、誰もその威力を本当には知らなかったのですから。アメリカ大統領やこれを考案した物理学者でさえ、実際にどれほどを把握していたかは分かりません。
また、被害が過去に前例のない、あまりにも恐ろしいものだったということも繰り返し話題にされますが、それならば小さい爆弾で被害者数が少なかったら赦(ゆる)されるのかという話にもなりかねません。もちろんそんなことはあり得ません。第一、どんな小さなミッションでも、敵国を攻撃し、建物施設だけでなく軍人にも民間人にも被害を与える、それは戦争の本質です。
ただあなたの場合、与えられた原爆投下という任務が史上初であったことから、それは極めて重要な時事として人類の歴史に刻まれるものとなってしまいました。
多くの日本人をはじめ、核爆弾禁止を願う世界中の人々は、これを批判するでしょう。しかし、それは核の軍事利用それ自体を批判しているのであって、決してあなたを非難しているわけではないと私は解釈しています。
むしろ、あなたの率直なご意見を聞きたいと願っている人たちも多いのではないでしょうか。図らずも史上初の原爆を投下する立場になったあなたが今どう思っていらっしゃるのか、それを知りたいのが、正直なところではないでしょうか。
私でも、あなたと同じ立場となって上官から「この新型爆弾をアメリカに落としてこい」と命令されたなら、躊躇(ちゅうちょ)なく同じようにしたことでしょう。それが軍人の仕事ですから。そして、あなたと同じように強いショックを受けたことでしょう――。(中略)
聞いている大佐の顔はだんだん紅潮してきて、うっすら涙ぐんでもおいででした。同じようなことを遠回しに伝える人はいても、父のように目の前で大佐自身の目を見て、はっきりと言う人はいなかったのでしょう。
後にティベッツ大佐は、「ねぎらいの言葉をいただいて、非常に嬉しかった」という言葉を寄せてくださいました。この時のことと関係しているかどうかは分かりませんが、後年、ティベッツ大佐は、もう一つの被爆地・長崎を訪問されたと聞いています。
【『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子(産経新聞出版、2012年/光人社NF文庫、2019年)】
孟子曰く「惻隠の心は仁の端なり」と。私は藤原正彦のエッセイで「惻隠の情」という言葉を知った。北海道では聞いたことがなかった。しかしながら腑に落ちた。まだ私の世代でも幼少期から同情心は珍しいものではなかった。「可哀想だろ!」という声はそこここで聞かれた。いじめが社会問題化するのは、まだ後のことだ。
坂井からの申し出でティベッツ大佐とのセッティングが行われた。坂井は武士の末裔(まつえい)であり、娘の道子も武家の教育を受けた。坂井の言葉は武士の情けそのものである。理を尽くす言葉の端々から惻隠の情がほとばしっている。高度経済成長下でゲバ棒を振るいながら平和を叫んだ学生とは大違いだ。
家庭教育も戦闘機乗りらしく独創的で目の付け所が違う。
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