2022-03-09

日本仏教に与えた道家の影響

 今の官制の中に、典薬寮の職員として呪禁師(じゅごんし)、呪禁博士などがあったが、僧や民間人の中でも、書符や薬を調合して病人に接する者、山林に隠れ住み、道術、呪術、幻術に熱心だった者も多かったことを窺わせる。
 しかも仏法と偽ってまでそれを行う。この辺にすでに後世の山伏、行者の淵底、密教的萌芽や占術、山人の日本的民間信仰の台頭があったのではなかったか。抑圧されながらも仏教や神道と結びつき、巧みに融和しながら生きつづけ、独自な形態をも発展させていったのではなかろうか。
 それほどに、こうした道術符呪の類は、一般民衆にとっても時の政権担当者にとっても魅惑的、吸引性を持つ存在だったと思われる。
「沙門にしてに本寺を去り、山林に陰住し」て、人の依頼を受け、邪法を行う者が往々にしてある。これは絶対に許せない。「よろしく諸国の司部内を巡検し、あるところの山林の精舎、ならびに居住する」尼僧、僧侶を見つけたら早速報告すべし。見逃したり、怠ったりしてはならぬと、『類聚国史』の「仏道・僧尼雑制」では強く指示していた。
 僧侶、尼僧にとって、単なる仏道帰依の修行より、こうした道術のほうが余程魅力があったのであろう。また一般民衆からも喜ばれ、経済的援助にもつながる点が多かったに違いない。
 大衆への訴えかけ、信仰の厚さは、中国の黄巾賊、すなわち教匪の乱にも発展し、組織化や宗教集団が時の支配者に強い警戒心を与えていただけに、それだけ民衆の熱狂ぶり心酔ぶりも窺える。

【『日本の仙人たち 老荘神仙思想の世界』大星光史〈おおぼし・みつふみ〉(東京書籍、1991年)】

 個人的なルールではあるが儒家(じゅか)・道家(どうか)と記し、儒教・道教とは書かない。発祥において宗教を目指したものではなかったからだ。その意味では初期仏教も「ブッダの教え」とした方がいいように考えている。

 道家の本を集中的に読んでいる。別に宗旨変えをしたわけではない。道家の革命思想に興味があったのだ。孔子の教えは主君に絶対服従するもので、武家社会とは親和性があった。江戸時代まで長く『論語』が学ばれたのは、その内容もさることながら簡潔な文体の秀抜さにあると私は考えている。

 既に7~8冊読んだのだが、どうも駄目っぽい(笑)。シナ(※蔑称ではなく地理的・文化的な呼称)的実利に傾きすぎていて、シナ版密教あるいはシナ版ヒンドゥー教といった印象が強い。

 もう一つは日本仏教に与えた道家の影響を知りたかった。例えば「魂魄」という言葉は道家由来のものだ。そして道家といえば「気」である。宗教的身体性でいえばヨーガ(瑜伽〈ゆが〉)と気功が双璧を成す。

 日蓮が通力(つうりき)を否定したのはトリッキーな方向を戒めるためか。では、曼荼羅や御秘符はどうなのか? マントラ口唱は呪法ではないのか? 因みに「呪」の字には「祝」の義もある。「祝」の字が誕生するのはずっと後のこと。結局のところ日蓮もまた大衆性に配慮したのだろう。日蓮は信を説いて悟りから離れた。

 大衆が求めるのはミラクル(miracle/奇蹟)である。起承転結の転でミラクルが起こればヒット間違いなしである。小説家やシナリオライターはこの一点で腐心する。日蓮は「妙」と説いたが、これは「生の不思議」を見つめたもので、ミラクルよりもwonder(ワンダー)を志向している。

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