外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。
組織は、存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。その点が動物とは違う。組織は社会の機関である。外の環境に対する貢献が目的である。しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中のことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく。
【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】
29歳で著した処女作『「経済人」の終わり』(原書は1939年刊)でも同様のことを書いている。ドラッカーはマネジメントの父と称されるが、その出発点はファシズム(全体主義)から自由を守ることにあった。イギリスの高級紙「タイムズ」の書評で激賞したのは、それから1年後に首相となるウィンストン・チャーチルであった。
言葉を引っくり返してみよう。「人は多いほど、組織は大きいほど、組織の中の活動は多いほど、組織はより完全から遠ざかる」。フム、なるほど。肥大した組織は煩(わずら)わしい内部作業に翻弄される。そして組織は「社会の機関」であることをやめ、自らを社会化し複雑なサブカルチャー(下位文化)を形成してゆく。
組織を結社という。現在では結社の自由や秘密結社くらいでしか使われることのない言葉だ。社は訓読みで「やしろ」。「神を祭る建物、神の降臨する場所」という意味がある。思い切り単純に考えると祭りのために集う人々が結社となる。組織の目的を祭りに置き換えればさほど見当外れでもあるまい。
それぞれの祭りを目指して組織が結成されたのであれば、祭りが終われば組織は解散してもいいはずだ。あるいは祭りのたびに組織が再結成されるべきだろう。ドラッカーはNPO社会に期待をかけていた。企業や教団にもNPO的な緩やかさがあってよいと思う。人体は4ヶ月程度で骨に至るまで新陳代謝をしている(※真皮・皮下組織などは数年単位。一部の細胞は代謝することがない)。澱(よど)んだ組織は腐る。そして腐った組織には腐った人間しか残っていない。
・P・F・ドラッカー