何だかいい加減なこと、あいまいなことだらけで、私たちが信じてきた「整然とした自然」とは正反対ですが、それが自然の本当の姿なのだと、量子論を築いた物理学者たちは考えました。量子論は、物質や自然がただ一つの状態に決まらずに非常にあいまいであることを、そしてあいまいさこそ自然の本質であることを私たちに示したのです。
【『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦監修(PHP文庫、2000年)】
「あいまいさ」とは不確実性・乱雑性を意味する。カオス理論では「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」ことがあり得る。
ゲーデルの不完全性定理やハイゼンベルクの不確定性原理以降、世界は変わったのだ。
運命論者や宿命論者は決定論や因果律にこだわりながら、科学的現実を無視しているように見える。
釈迦の非我説は、詳しくは五蘊(ごうん)非我説といいます。
【『仏教の謎を解く』宮元啓一(鈴木出版、2005年)】
そもそも五蘊仮和合(ごうんけわごう)と因果に整合性があるかどうかを考える必要があろう。
量子もつれ(量子絡み合い)は縁起と捉えてよいと思われるが、量子ゆらぎは因果に反する。しかしながら宇宙は量子ゆらぎから誕生(インフレーション宇宙論)し、現在では脳による意思決定も電気的ゆらぎと考えられている。
「生の本質は反応である」というのが私の持論だが、人生とは人それぞれが勝手な反応を繰り返すブラウン運動であるように思われる。本来バラバラの反応が大きな方向性に傾くのは熱が加わったためと考えられる。