1970年、チリ共和国でサルバドール・アジェンデ大統領を首班とする社会主義政府が樹立。第二のキューバとなることを恐れた米国はCIAを使って右翼にスト、デモを引き起こさせるなどの工作活動を展開した。当時の国務長官はキッシンジャーだった。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
リチャード・ヘルムズCIA長官は、「おそらく十に一つのチャンスしかないが、チリを救わなければならない!……リスクはどうでもいい……1000万ドル使え、必要ならばもっと使える……経済を苦しめさせろ……」と指示し、どんな手を使ってもアジェンデ政権を打倒する姿勢を見せた。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
さらにCIAは物流の要である1972年9月にはトラック協会に多額の資金を援助しストライキをさせた外、政府関係者を買収してスパイに仕立て上げた。これに加えてアジェンデ政権は経済的失政を招いてしまいチリ経済は混乱を極めた。経済が揺れると人心も揺れる。
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1973年3月の総選挙ではキッシンジャー自らがアジェンデ支持に回ったキリスト教民主党を切り崩した。1973年9月11日、ピノチェト将軍はCIAの全面的な支援の下、軍事クーデターを起こした。アジェンデ大統領は砲弾が飛び交う中でラジオ演説をし、徹底抗戦を叫んだが殺害された。
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「私は世界の多くの優れた人間に会ったけれども、その中で二人だけが他の人たちにない何ものかで私を印象づけた。それはチェ・ゲバラと周恩来であり、その二人のまなざしであった。両人のまなざしには内的な力と確信と皮肉があった」(アジェンデ大統領) http://bit.ly/cZbJWU
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・サルバドール・アジェンデ
ピノチェトが軍事クーデターを起こした5日後の1973年9月16日にビクトル・ハラは殺された。
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・『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代〈やぎ・のぶよ〉
【動画】ビクトル・ハラはこんなにも優しく豊かな声をしていた。本当に強い男は物静かだ。 http://www.youtube.com/watch?v=hesTpJ4oGvk
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アメリカは同様の工作を南米各地で行ってきた。/ラテンアメリカに敵対する アメリカ帝国とCIA http://bit.ly/dtEzKC
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・【帝国アメリカと中南米】ラテンアメリカに敵対するアメリカ帝国とCIA【第一部】
・【帝国アメリカと中南米】ラテンアメリカに敵対するアメリカ帝国とCIA【第三部】
更にアメリカはエコノミック・ヒットマンを使って、南米を侵略し続けている。 http://bit.ly/cUSd67
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・経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
我が日本はこういう国に守ってもらっている。幸か不幸か? それは一人ひとりが判断することだ。私は不幸なことだと思っている。巨大な悪は大きすぎるあまり、我々の視野に収まらないのだ。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
嘘は暴力にいたる控え室です。「真実が君臨すること」が民主社会の基本です。(パトリシオ・エイルウィン元チリ共和国大統領)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
そのアメリカと闘い抜いたのがウゴ・チャベスであった。
・パトリシオ・エイルウィン
・キッシンジャー