以上を要約すると次のように言える。すなわち人間にみられる「芯の柔らかい」利他主義には、強烈な情緒と同時に、忠誠関係形成の変幻自在性という特徴が備わっているのである。人間は、社会的道徳を所持するという点では常に一貫しているのだが、その道徳を誰に適用するかという件に関しては、この上なく移り気な存在なのである。絶対不変と信じられている道徳的規則に対して強い情緒的な訴えを行ないながら、同時にいとも簡単に同盟関係を形成し、破棄し、そしてまた別の相手と結び直すという事実の中にこそ、人間の社会性の、たぐいまれな性格があるのである。おそらく氷河期以来ずっと同じだったのであろうが、今日においても、仲間集団とよそもの集団の区別は大変重要である。
しかし、この両者を分かつ境界線は簡単にあちこちへ移動してしまう。プロスポーツは、このような基本的現象がいまも消滅せずに我々につきまとっていることを土台にして栄えているのだ。
【『人間の本性について』エドワード・O・ウィルソン:岸由二〈きし・ゆうじ〉訳(思索社、1990年/ちくま学芸文庫、1997年)】
みんな同じものを嫌いでみんな同じものを好きな集団は、仲間ではなく同一化。こういう集団に長くいると、自分という存在を消滅させて集団に依存させて適応しようとし始める。常に自分の意見より集団の空気を優先する。
— 為末 大さん (@daijapan) 2011年9月28日
・物事に失敗した集団は最も邪悪な行動に走りやすい
・一体化
・怠惰とナルシシズム