2013-04-08

比企尼(ひきのあま)

 比企尼(ひきのあま、生没年不詳)は、平安時代末期の女性。武蔵国比企郡の代官で、藤原秀郷の流れを汲む一族である比企掃部允の妻。源頼朝の乳母。実名・父母は不明。(Wikipedia

【比企能員】〈ひき・よしかず〉源頼朝の乳母である比企尼の甥で、のちに養子となる。
 比企尼の縁から鎌倉幕府二代将軍・源頼家の乳母父となり、娘の若狭局が頼家の側室となって嫡子一幡を産んだ事から権勢を強めたが、能員の台頭を恐れた北条時政との対立により比企能員の変(比企の乱)が起こり、比企一族は滅亡した。(Wikipedia

【比企能本】〈ひき・よしもと〉建仁元年(1202年-?)は、鎌倉時代前期の僧。比企能員の末子。法名は日学妙本。比企大学三郎能本。
 建仁3年(1203年)、鎌倉幕府における比企氏と北条氏の対立による比企能員の変で父能員と一族が滅ぼされるが、能員の妻妾と2歳の男子は助命され、和田義盛に預けられたのちに安房国へ配流となった(『吾妻鏡』)。(Wikipedia

比企氏
比企大学三郎能本