上杉謙信は武田信玄の機先を制すべく、鞭の音も静かに千曲川を渡る。 RT @kanshi_bot: 鞭声粛粛夜渡河,暁見千兵擁大牙。=鞭声粛粛(べんせいしゅくしゅく)夜河を渡る,暁に見る 千兵(せんぺい)の大牙(たいが)を擁するを。【頼山陽「題不識庵撃機山図」より】
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年9月2日
(頼山陽の続き)遺恨 十年 一剣を磨き/流星光底 長蛇を逸す~信玄を長蛇に例える。剣の光は届かず。謙信の無念を詠った七言絶句。舞台は川中島。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年9月2日
遺恨とは捻(ねじ)れた怒りの異名である。怒りは「頭に来る」が遺恨は「肚に溜まる」。恨みを晴らすという言葉が示すのは「曇った心」だ。政党、企業、教団、学校が争いに明け暮れている。そして敗れた大多数の者たちが遺恨を抱く。恨みは怒りを自己正当化する。終わることなき争いの輪こそ六道そのものであろう。
「人間が生きる」ということは、「好きなものを得るために行動する」「得られないものや邪魔するものはぜんぶ壊す」のいずれかです。我々の日常生活は、この二つのエネルギーに支配されているのです。
【『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2006年)】