私たちは、いくつかの事実的な書物を読んで、日本が侵略戦争に突入し、泥沼にはまっていった跡をたどっていくと、みんながみんな「無責任」であったという残念な感慨がわきおこってくる。戦争先導者はいうに値しない。しかし周囲のみんながあと少し足をふんばっていたらどうなっていただろうと思う。みんな無責任であった。それに対しては「あのときは仕方なかった。ほかにしようがなかった」という声がこぞってきこえてくる。みんながみんなそうであった。現代の歴史学者のなかにも、時代の判断としてはやむをえぬところがあったと発言するひとたちがいるようである。
しかし「やむをえないこと」にしたのはみんなである。
「やむをえない時代」のなかでも、あきらめてしまわず、人知れず行動を起こした人たちはいた。いいことはいいが、やはりいけないことはいけないのである。それは「やむをえない」とわりきれることではない。わりきっていいことではない。それは明らかなことである。いけないことはいけないと貫くべきなのである。それは私たちが果たすべき社会と歴史に対する責任である。
【真理・正義・平和 - 承前】
記事タイトルが「承前」となっているのは、「志賀直哉と三木清」の続きという意味。
・マルティン・ニーメラーが生まれた日