宮崎●ブッダの義母で、後に比丘尼教団を興したマハージャーパティ(摩訶波闍波提)の出家譚は、ブッダが当初これを渋ったと伝承されていることから、よく初期仏教の差別的体質を証拠する挿話として挙げられます。けれどそこにおいてすら、ブッダは女性も男性と同じく阿羅漢になることができると明言しているのです。これを踏まえて、佐々木閑氏は「女性も男性と同等に悟りの資質を持っているという前提は仏教のすぐれた特質である。女性がもともと男性とちがう何らかの劣悪な要素を持っていると前提するなら、そこからは女性は穢れた存在である女性の立ち入りを拒否するいわゆる『女人禁制』の思考などが生じてくる。しかし初期仏教はそういう前提を設けない」と評価しています(『出家とはなにか』大蔵出版、1999)。日蓮は「法華経已前の諸の小乗教には、女人の成仏をゆるさず」と断定していますが(『開目抄』)、これはまったくの誤認です。
「女人五障」等の性差別が教理的に何の根拠も持たないことは明らか。ですから、そういう箇所は手違いで混入した異物と扱い、無視して良いと私は思っています。
【『知的唯仏論』宮崎哲弥、呉智英〈くれ・ともふさ〉(サンガ、2012年)】
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宮崎哲弥