混ぜるな危険
末法思想が示したのは縁起という関係性が透明化し、一切が政治化・システム化する社会の様相であったと思われる。 RT @ujikenorio: ねるけど最後に吠える。諄いけど、君主制をとろうとも民主制をとろうとも国民国家を「崇拝」することは現代の「偶像崇拝」の一事例にすぎない。— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 5
末法思想が示したのは縁起という関係性が透明化し、一切が政治化・システム化する社会の様相であったと思われる。 RT @ujikenorio: ねるけど最後に吠える。諄いけど、君主制をとろうとも民主制をとろうとも国民国家を「崇拝」することは現代の「偶像崇拝」の一事例にすぎない。